≪現場からの報告≫ 現代のお寺とお坊様

 

投稿者:くれはさん

 

最近、たまたま御縁があり真言宗の某寺院のお坊様と話をする機会がありました。

 

尼様で初めて来た私に御茶やお菓子を出して頂き色々な話を聞きました。

 

1時間ほどの滞在でしたがその間近所の人が何人も訪れ、お土産を持ってきたりしていました。

 

尼様も近所の人も楽しそうでした。

 

 

聞けばこのお寺、小学生もお菓子がタダなのでよく遊びに来たり、学校帰りの子供たちが勉強できるように部屋を開放していたり、人生相談もよくあるようで過去には弁護士さんのところへ一緒に行ったこともあったと言っていました。

 

また恵まれない子供を二人面倒みているそうで、この寺を昔の寺子屋のようにしたいとおっしゃっていました。

 

私も仏教的視点でのこの世の苦しみについて話を聞き、良い学びの時間となりました。

 

 

小林先生が過去に動画で統一協会について述べていたことで、一言一句は忘れましたが、現代のお寺の僧侶がそういう迷っている人達の助けになるように活動して欲しいというような趣旨の発言をしていました。

 

まさにそんな僧侶でした。

 

私はこの尼様と出会って、こんな人が世の中にいるのかと大変驚きました。

 

統一協会のような怪しい新興宗教は心の隙を突いてくるのでしょうが、そういうところに魅力を感じてしまう人は本物を知らないのでしょう。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

とても貴重な報告をありがとうございました。

 

あ、僧。いや、あ、そう!

 

以前私は、ホームページ上で、現役のお坊様と議論してしまったことがあります💦

 

バチバチの議論をやったのはバチ当たりだったかもね(笑)

 

 

≪該当記事≫

◆2022年8月28日:≪管理人の反論≫現役僧侶から「YouTube宗教とカルトの違い」への批判

 

・・・

 

でも、その時から感じていたのですが、「ホンモノの宗教」が社会に求められていることは、極めて普遍的なモノだと思うのです。

 

ボキャブラリーに乏しい私がそれを一言で表現するのは難しいですが・・・、強いて言うなら「心の平穏を保つための共同体」です。

 

 

厄介なことに、ある意味カルト宗教も「心の平穏を保つための共同体」を提供しているわけです。

 

しかしそれは「エセ共同体」です。

 

なぜなら「子供を不幸にする」からです。 

 

だからこそ、子供の幸せを目指し、心の平穏を保つための共同体を提示する宗教は、私はホンモノだと思います。

 

 


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コメント: 7
  • #7

    グッビオのオオカミ (水曜日, 22 2月 2023 23:23)

    くれはさん、返答ありがとうございます。
    やはり、くれはさんにたずねて大正解でした。
    先ほど統一協会の国教化疑惑に関して改めて記事を入手したので、投稿しておきました。
    実際に霊的権威というものが建国神話であったり、昔のヨーロッパならば王権神授説による教会からの戴冠式だったりと「物語の伝承」によって正統性が与えられて来ました。
    国家も政治と憲法の他に伝統文化とそれらを陰ながら支えるエートス(魂)によって成り立っていると思います。
    アメリカではメガ・チャーチと呼ばれる野球場の様な大きい教会があり、大規模な集会が行われ、そこで選挙の票にも響いていると言います。
    ただ、統一協会は余りにも活動実態が反社会的過ぎるし、さらに問題なのが体制側がその反社会組織の後押しをしてしまっているという事です。
    宗教(何なら思想全般でもよいのですが)は場合によっては反体制側に成り得ると思います。
    体制側は時の政府。反体制は時の政府の方針に反対。
    社会側は公共空間。反社会側は公共空間や市民生活を害する。
    例えば意見広告運動は政府の方針に反する反体制側でしたね。しかし子供の命と健康や将来を守ると言う「公共」のために活動した、こう理解出来ると思います。だから反体制だとしても反社会ではない。
    ところが統一協会で厄介なのが、コロナ禍同様に体制側(政権)が反社会側(統一協会)を支持してると言う所ですね。
    このまま皇位が断絶に追い込まれればそちらも懸念しなければならないと思います。
    皇位継承問題と統一協会を追っているうちに疑問に思った事でした。
    愚問に付き合って頂きありがとうございます。


  • #6

    くれは (月曜日, 20 2月 2023 17:43)

    グッビオのオオカミさん、私はこのサイトに投稿する人達に比べれば、まだまだ思考が浅いですし、少々奇天烈?な考え方を持っているので、話半分で聞いて頂ければと思います。こんな人間もいるのだと暖かい目で見て頂けたら幸いです(笑)。

    ① 皇位の断絶は信教の自由を脅かすについて

    グッビオのオオカミさんの考察、勉強になります。皇位の断絶が結果的に信教の自由を脅かすということに繋がるかどうか。その時の政権に(統一協会のような)国家転覆組織が寄生していたかによってはそうなるかもですね。

    日本を日本で無くしてしまえという思想の元で、強い力を持った国家転覆組織が国の中枢にいた場合、皇位の断絶は必須事項かと思われます。そうなると日本は完全に沈んだまま、二度と浮上することはないでしょう。
     
    天皇陛下のことを考えますと、私の場合必然的に霊的な話になっていきます。(嫌いな方はゴメンナサイ)私の背景を話すと長くなるので割愛しますが、私は日本の神道の神様、仏教の仏様、先祖神(霊)は存在すると言う立場です。また、有難い神仏とは反対の存在、厄神や祟り神も、どうもいるかもと考えています。
     
    神社参りをしていると、元人間という神様がいます。そういう神様の来歴を調べると、共通したパターンがあります。非業な死を遂げていたり、死後祟ったので残った人が恐怖したために、神として祀ったというものです。
     
    でも、こういった非業な死を遂げた人が神様となってしっかりと祀られているのなら、まだましな方と言えます。中には祀られることも無く、死後別の強い神仏をその地に置き、現在に至っている場合があります。封じの神社です。本来の神は地の底にあり、別の神がその神が出てこないように蓋をしているような感じでしょうか。

    若い頃、父が特殊な人でしたので、そういう神社の見極め方や様々な話を教えてもらいました。そしてそんな封じの神社は少なからずあるというのも知りました。日本の歴史の裏部分には、祟りと封じの歴史があると知りました。全部が全部とは言いませんが、古い寺社には荒ぶる神を封じる、近付けない、なだめるという役割もあると思います。そのような寺社の祭祀は特に重要だと思います。
     
    日本国の歴史は、学校などで習う人の思考と行動、結果の集大成という部分と、そんな人に寄り添うように連綿と続いた神仏(霊)の存在と、両方ありきで成り立っていると私は考えます。
     
    天皇陛下は祭祀王である。天皇論で知った言葉でしたが、これは衝撃でした。そして天皇陛下がいてくれたおかげで、今の日本があるとも認識出来ました。

    日本の祭、これに着眼しますと、日本の寺社や民間でずっと行われ続けているお祭り、法要などは、不必要であればとうの昔に潰えていたでしょう。非科学的と捉えられるそれらには、必ず某かの意味があります。そしてそれを伝えていく人たちは、無くしてはならないと本能に近い部分で使命感をもっているとさえ思えます。そういう日本国に残る数々の祭祀の、中心的要が天皇陛下であると私は考えます。
     
    私は天皇陛下の公務は1から10まで知りません。知りませんが「祈る事」がやはり今でも大きなウェイトを占めていると思います。

    大昔は人に不幸なことがあったり、天災・疫病などで大打撃を被ると、そこには荒ぶる神の仕業とか、恨みを抱いて呪っている人がいると普通に考えられていました。日本には膨大な数の神社や寺がありますが、それは裏を返せば、人の手には負えない何か超常的な存在への畏れもたくさんあったからでしょう。
     
    地域ごとの畏れには、その地の寺社が祭祀を通じて問題を担当する。そして日本国全体となるとそれは天皇陛下のお仕事となる。そういうことではなかったのかと思います。
     
    私は歴代の天皇陛下たちが、時代に翻弄されながらも、その時々において祈ってくれていたから、国家の祭祀を取り仕切っていてくれたからこそ、今の日本があるのだと思います。祭祀の継続は、文化とか伝統とか言った言葉では説明できない重要な意味があると思います。

    もし皇位が断絶して、天皇陛下が日本にいなくなった場合、日本や国民のために祈ってくれている尊い方がいなくなり、重要な国の祭祀も無くなる訳ですから、それはもう今までの日本国ではなくなり、日本らしさも失うことになるでしょう。没落すると思います。権力を握った国家転覆組織がその時にいれば、変な方に舵を切ることはありえると思います。 
     
    ②大統領制になれば、特定宗教の国教化につながるについて

    明治政府は国家宗教を神道とし、仏教や陰陽道を廃絶しようとしましたが、結果的に甚大な被害は被ったものの、宗教の一本化は失敗しました。今の政治家を見ても責任逃れする人ばかりなので、大統領制になったとしても特定の宗教の国教化はないだろうとは思います。

    ただ統一協会の問題をみると、楽観視もできないなとも思いました。安倍さんの暗殺事件がなかったらそのままだったでしょうから、あのまま突き進んだらどうなっていたのか?と考えると恐ろしいです。最近あんまりテレビでやらなくなりましたが、解散に追い込むのは難しいのでしょうか?


    「皇室が無くなれば宗教団体の体制側についた団体や数の最も多い団体が半ば「国教」に近い形で振る舞えるのでは無いかと思うのです。逆に皇室があれば、どの宗教団体が多数派でも少数派でも決定的な権威を持つ事が出来ない。」

    と言うのはなる程と思いました。そういう面もあるでしょうね。

    信教の自由が危なくなる場合を考えると、それは日本が独裁国家の支配下になった時でしょうか。質問の答えになっていないかもしれませんが、こんな感じです。

    ゴー宣読者には御法度な霊的視線で考察してみました。気分を悪くさせてしまったらすいません。私は愛子様が天皇陛下になることを望んでいます。テレビで拝見するともう圧倒的な感じがします。長文失礼しました。

  • #5

    グッビオのオオカミ (日曜日, 19 2月 2023 20:33)

    いい話ですね。
    中間共同体としても人を支えている様です。
    信仰は"持つ"のでは無く、信仰を"生きる"が正しい気がします。
    伝統に裏付けられた宗派は、本来なら歴史的な叡智の宝庫です。
    だからある意味、カレーせんべいさんの"心の安定の共同体"は半分正解ですが、もう半分は"探求し実践する"思想にもなり得ますね。

    …くれはさん。読んでおられたらで、いいのですがちょっと意見を聞きたい事があるのです。
    忙しかったり、面倒くさかったらスルーで全く問題ありません。
    ここまでの投稿や書き込みから、くれはさんを信用して聞きたいのです。
    統一協会と皇室の事です。
    統一協会の元宗教2世の方の中に「統一協会は国教化を狙ってる」と言う人がいました。
    実は私は案外、外れてない気もするのです。
    皇位継承で男子限定にすれば早晩、皇室は無くなります。確実に。
    小林よしのり先生は政治における権力と権威の問題として、皇室と立憲君主制を語っておられますが、私は実は統一協会が本当に国教化するには一番邪魔なのは皇室では無いかと勘繰っています。
    権威とは神話や霊的思想に関わります。
    実際に大統領制になればその都度、選挙活動が要ります。そうなるとそこに支持母体や支援団体か等の政治利権が発生します。
    その度に統一協会には出番が回るでしょう。
    皇室が無くなれば宗教団体の体制側についた団体や数の最も多い団体が半ば「国教」に近い形で振る舞えるのでは無いかと思うのです。
    逆に皇室があれば、どの宗教団体が多数派でも少数派でも決定的な権威を持つ事が出来ない。
    ①皇位の断絶は信教の自由を脅かす。
    ②大統領制になれば、特定宗教の国教化につながる
    長くなりました。
    ①と②に関してご意見頂ければ有り難く思います。

  • #4

    マスクOFFゾロ おおみや (土曜日, 18 2月 2023 19:03)

    御縁、これが大きいですね。そこを感じ取って学びとする、動的平衡の醍醐味です。

  • #3

    ねこだるま (土曜日, 18 2月 2023 13:21)

    「心の平穏を保つための共同体」

    これって「居場所」ではいけませんか?
    多少の失敗や自慢が愛嬌として許されるような、人の集まり。
    ニュアンスの違いがあるかも知れませんね。

    合同結婚式に憧れる信者たちのことを考えてみたんですが、自分の伴侶選びを外部に委託してしまうのはセンスとか感覚がポップでなく、友達つくりのヘタな人たちではないかと想像します。
    だけど生真面目で自分の人生が無意味だと思いたくない。高邁なものに触れていたい。
    その「高邁なもの」と「共同体」を同時に提供するのが「カルト」な宗教団体ということなのかな、と思いました。

    ちなみに「カルト」と言う言葉も差別的で違和感があったのですが、「カルト」の狂気性、異常性ってのを規定しているのが、社会とか常識とかいった「世間的」なものなんですよ。
    精神障害者スレと関わってくるとこですが。
    つまり「コロナ安全」「ワクチン危険」という考えもカルトの定義に含まれてしまう。
    ので、人が使うのは「こーいう意味で使ってんだ」ということを酌量してとくに批判しませんが、自分から「カルト」という言葉は使わないかな。

    くれはさん紹介のお寺が非常に好感なのは、素朴で自然発生的に見えるのがいいんでしょうね。
    もちろん、そのお坊さんの生活が安定していて余裕のある状態であることは絶対条件でしょうが。

    中川淳一郎さんも唐津の町の素朴なよさを書いていたけど、こういう素朴な空間をもっと再発見したいもんです。

  • #2

    くぁん (土曜日, 18 2月 2023 12:53)

    カルトは正体を隠して、向こうからやって来るけど、こうして、子供や近所の人達が気軽にやって来るのは良いですね♪まさに"拠り所"

  • #1

    kd (土曜日, 18 2月 2023 12:32)

    本物もカルトも信じている人にとってみれば、心の平穏を与えてくれるという点で変わらない。ただ、カルトは信者の周囲の人を不幸にする。違うかな?