≪管理人の反論≫現役僧侶から「YouTube宗教とカルトの違い」への批判

 

投稿者:北の僧侶さん

 

YouTube「宗教とカルトの違い」を拝見いたしました。

 

小林先生と木蘭さんをして、現代仏教のご認識が「熱烈な信仰心を持った人を導くことができる宗教家が居ない」「日本のお寺は葬式の時しか活動しない」というものなのですね。

 

 

私自身は僧侶ですが、生活のほぼすべてを「宗教活動」に費やしています。

そういうお坊さんは多いと思います。

 

また、法事や葬式も、「布教」であり「仏道の実践」です。

経典の講座だけが「布教」ではありません。

 

更には、YouTubeを少し検索すれば、色々なお坊さんが、お説教をアップされています。

 

正直、ここまでしても、やはり、「仏教は何もしていない」という認識なのだなあと、自分自身、猛省いたします。

 

そんな折、あの香山リカ氏が、北海道新聞にコラムを書いておりました。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/722890/

 

記事自体は、会員登録をしなければ閲覧できないかもしれません。

 

内容を要約いたしますと、

「香山リカさんご自身の診察室で、ときどき宗教の話になり、患者さんの中には、『お寺に行ったら心が落ち着いたんですよ』と話してくれる人がいる。聞けば、お寺の本堂に座っているうちに感じたことのないゆったりした気分になったという。『あまり自分で治そうとがんばりすぎないで、大きな力にゆだねることも必要かもしれませんね』とその人はほほ笑んだ。自分一人でもがいてもどうにもならないとき、『おまかせします』とふと力を抜くことで、自分も楽になり状況が好転する場合もある。これぞ“宗教の力”なのではないかと思う。」というものです。

 

一般的に、「保守」とされる小林先生が、「日本仏教は何もしていない」と認識され、左っぽい香山リカ氏が、お寺の効用を認識されている。

 

ここで、小林先生を貶めて、香山リカを擁護するつもりはありません。

 

しかし、こと「宗教」に関しては、「こういうものだろう」という推論でものを進めると、それは、正確な認識には至らないのではないでしょうか。

 

 

いずれにせよ、現代の仏教が「何もしていない」と認識されている方々がいらっしゃることも事実であり、そのことに関して、私自身も一僧侶として、猛省をいたします。

 

しかし、このサイトをご覧になる皆さまが、もし家の宗教が仏教で、菩提寺があるなら、ご自身の眼で、そのお寺はどういうものなのか、そのご住職はどのような人なのか、ご判断していただきたいと思うのです。

 

そうして、できるならば、皆さんご自身のお寺を、皆さんの手で、そのお寺のご住職と一緒に、理想的なお寺となるように歩んでいって欲しいのです。

 

そのことが、「宗教を考える」ということになると、私は考えます。 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

まずは、現役のお坊さんがここに投稿してくださったこと、有り難く思います。

 

また貴重なお話もして頂き、どうもありがとうございました。

 

私自身、お寺やお坊さんの生活にまったく無知ですから、勉強になりました。

 

 

さて。

 

私のような浅慮な俗物が、僧侶相手に反論するのはバチが当たりそうですが・・・

 

正面切って議論を持ち込まれたら、たとえ相手が「神」だろうとヤるしかない。

 

◆◆◆

 

小林よしのりが「熱烈な信仰心を持った人を導くことができる宗教家が居ない」と述べたとおっしゃいますが、それは自分の叔母さんの実例を踏まえた上で「真の宗教があればカルトなどに入信しない」という考えの表明と存じます。

 

 

それに「宗教家が居ない」は誤解であり、端折られた「宗教家が居ないといけない”」という部分こそが重要です。

 

 

少なくとも、小林よしのりの叔母さんのそばには「宗教家が居なかった」からこそ、統一協会ごときカルトに入信したと言っているわけで、そのような不幸は日本中に溢れているということを憂慮しているわけです。

 

 

次に泉美木蘭が「日本のお寺は葬式の時しか活動しない」と述べたとおっしゃいますが、これまた端折られた「”得てして”日本のお寺は葬式の時にしか活動しない」の冒頭部分こそが重要です。

 

得てしてとは「その傾向がある」という意味です。

 

北の僧侶さんから≪法事や葬式も、「布教」であり「仏道の実践」≫と教えて頂きました。

 

しかしながらそうだとしても、それだけでは、小林よしのりの叔母さんのようなケースは救えなかったと言っているわけです。

 

 

北の僧侶さんはあの動画をご覧になって「保守」とされる小林先生が、「日本仏教は何もしていない」と認識されと受け取られたようですし、もしかしたら失望をされたのかもしれませんが、真実は逆だと私は思います。

 

私は、あの動画を見て「小林よしのりは本物の宗教に期待している」と受け取りました。

 

泉美木蘭も「宗教者には宗教者の役割があるわけですね」と結論付けています。

 

 

それこそ、生活のほぼすべてを「宗教活動」に費やしている北の僧侶さんのような方が、カルトに入信してしまう人々のそばに居たなら、不幸は防げたのではないか・・・と夢想します。

 

 


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コメント: 20
  • #20

    猫娘と猫息子の母 (水曜日, 31 8月 2022 01:41)

    生まれ育ちがs学会の二世でした。信者の大勢集まる会合の中で「申し訳ありませんが、今後この信仰を持つことが出来ません。やめます」と言い放って、その場から去ったのが、30年くらい前のこと。人生最初で最大の孤独な戦いだったなあ…。
    私は「信仰の自由(宗教選択の自由)」はあると思いますが「宗教(団体)の自由」はないと思っています。その時代その時代の社会ルールに則った活動をしなければ、宗教団体はただの迷惑団体です。s学会も、一昔前は他人の家に土足で上がり込んで神棚を破壊するとか、ひどい事をやらかしてましたね。古い世代の人にはまだ、s学会への偏見は多いと思います。
    s学会が、ここまで政治団体として規模を拡大し影響力のある存在となっているのは、組織の中央にいる人たちが有能であった事もあると思いますが、一般人の、それも下層の人々の受け皿コミュニティとして、とても上手く機能しているからと思います。
    s学会は、宗教団体というより社会福祉団体とか、政治思想団体とかに近いのではと思います。選挙のあるたびに、実家から「公明党推薦に票を」との電話があり「あーはいはい」と聞き流してますが笑。

    それでもやはり、「あなたの宗教は?」と聞かれたら、私はやはり仏教ですと答えますね。幼少の頃から刻み込まれた「法華経」が自分の中に生きていますし、s学会で経営する北海道での広大な墓所には、供養せねばならん(笑)親がおりますし。結婚したダンナは、カチカチカトリックですーワハハ〜ここに生まれた子供達が、どんな宗教観を持って育ってくれるのかわくわくです〜笑

  • #19

    おてんば (火曜日, 30 8月 2022 03:06)

    北の僧侶さん

    私も、カレーせんべいさんと同じで、北の僧侶さんの投稿文から「考えるキッカケ」をいただき、勉強になりました。更に皆さんのコメントも拝読し見識が広がり、ありがたかったです。

    宗教について本格的に勉強したこともない私の考えですが、この世には、カルト宗教と、偽物宗教と、本物の宗教の3つがあると思います。

    •カルト宗教は、教祖と信者は主従関係。教祖は信者に罪悪感を与えて支配し、金品を搾取する。信者の人権は無く、教祖は信者を操る。他者への迷惑は顧みない。教祖の個の利益のみを考え、信者や、公は考えない。

    •偽物宗教は、教祖は信者に不安感を与えて、偽物宗教を信仰すれば救われると騙し、取り込む。信者は損得勘定優先で、自分さえ良ければ良い。教祖と信者の個はあるが、公は考えない。

    •本物の宗教は、教祖が信者を支配せず、教えや、常識は守るが、考え方を押しつけない。主体が信者にありながらも、公と個の幸せを両立させている。信者は教祖の教え(常識)を参考にしつつ、自分らしくありながら、周りの人にも優しい。

    北の僧侶さん投稿文を拝読し、本物の宗教だと思いました。
    自分が辛い時に出会えていたら良かったなと思ったのは、下記の二つの文章です。

    「お寺の本堂に座っているうちに感じたことのないゆったりした気分になったという」
    →この心境に、個の幸せが確かにあります。

    「皆さんご自身のお寺を、皆さんの手で、そのお寺のご住職と一緒に、理想的なお寺となるように歩んでいって欲しいのです。」
    →教祖が考え方を押しつけていないので、自分らしくありながらも、常識を大事にしつつ、公の中での幸せを作っていける希望があります。

    私自身は、これまで本物の宗教との出会いに恵まれず、無宗教です。
    強いて言えば、自分で勝手に作った「自分教」です。信者は自分。神様は、私の中に1人います。そんな私は、他の人にも、その人の中に神様が1人いると勝手に認識してます。「自分教」の教えは、本物の宗教の理念を目指してます。

    北の僧侶さんや、カレーせんべいさん、皆様のコメントを拝読し、仏教について勉強したいと思いました。
    ゴー宣道場の小林よしのり先生のブログでも、先生の宗教は仏教だと仰っているので、更に深く知りたくなりました。
    私も、日々精進!
    でもたまに撃沈(苦笑)

  • #18

    カレーせんべい (月曜日, 29 8月 2022 22:31)

    >>8 北の僧侶さん
    迷惑だなんてとんでもないです。
    おかげさまで「考えるキッカケ」を頂きました。
    投稿して頂き、ありがとうございました。

    そして、ここの皆様の投稿も勉強になりました。

    そういえば、私も普段、日常的に使っている『精進』という言葉は、「雑念を去り、仏道修行に専心すること」という意味だったんですね。

    私は長らく「自分は無宗教だよなぁ」なんて思っていましたが、やはり仏教の影響は無意識に受けているのだと思います。

    それこそ「精進」されている僧侶の方々からの「見えざる恩恵」を、私自身が受けているのかもしれませんね。

    よし、私も日々精進!
    でもたまに意気消沈(苦笑)

  • #17

    潤峰 (月曜日, 29 8月 2022 21:24)

    本当の宗教にはどこかに「愛」があると思います。

  • #16

    タイトスカートの読書女 (月曜日, 29 8月 2022 21:22)

    心が乱されたときこそ
    お釈迦さまの教えを思い出し
    心を沈めてから真意を見定めなければ
    判断を誤ってしまうのだなと勉強になりました。

    北の僧侶さん
    今後もがんばってください。

    カレーせんべいさんの
    素晴らしい見識に感服いたしました。
    今後もどうぞよろしくお願いします。

  • #15

    とくめい (月曜日, 29 8月 2022 18:27)

    北の僧侶さんの活動ぶりは素晴らしいと思います。
    ですが、「ここまでやっているから認めてくれ」と言っているようにも見えます。

  • #14

    やなちゃん (月曜日, 29 8月 2022 18:02)

    北の僧侶さんのお話、現場で頑張っている分、それが伝わらないもどかしさがあるのだろうなと思いながら拝読しました。拙い言葉に浅い洞察しか持ち合わせておらず、僧侶さんの真意と異なっていたらごめんなさい。

    動画ですが、私としてはよしりん先生が宗教自体に対しての期待が感じられましたし、それが意外で強く印象に残っています。カルトに対する「なっとらん」発言と、他の宗教に関する想いとは別で語られていたと思いました。

    私は特定の宗教はなく、とはいえ葬式あげるなら仏教となります。特に信心深くなく、罰当たりに生きてしまってます。北の僧侶さんのようにお寺を支え、日々精進を続けてくださる方がいるからこそ、いざという時にお経をあげ説法をしてもらえるのだと感謝を深めたくなりました。

    カレーさんの洞察が深すぎて輝かしいくらいです。私はそこまで見抜けなかったです。思考すること、言葉の引き出しや使い方、まだまだ奥深くまで掘り下げていけるのだと励みをいただきました。

  • #13

    和ナビィ (月曜日, 29 8月 2022 14:25)

    >北の僧侶さん (ご投書本文&#8)

    「真面目に宗教を希求される方の受け皿になるべく、わたしの受け持つ「現場」において、もっともっと精進いたします。」のお言葉、有難いことです。救われる方々がきっといることでしょう。そして思い出したことがあります。

     まだ若い頃(20代前半)、初任地の近くにお寺がありました。同僚の女性(年配の方)がその親しい檀家で、いっしょにお寺に遊びに行くことがありました。境内に保育園併設で明るい雰囲気、ご家族も和やかに接して下さいました。
     そこのおばあちゃん(ご住職の奥さんのお母さん)が親切な方で、楽しくお喋りしながら私達に縫物を初歩から(只で)教えて下さり、毎週のように通うようになりました。

     中年のご住職(当時小・中・高校生のお父さんでもありました)も檀家の方々と日常的に親しく、年代別に定期的に茶話会を開いておられました。若い女性達は「セブンティーンの会」おばちゃん達は「井戸端会議」?、おじさん達の会もありました。もちろん私は「セブンティーン・・」のメンバー;;。いろいろな職業の女性がいました。
     特に仏教の話でもなく、和尚さんも加わった自由なお喋りの会でした。年の暮にはそれらの会合同で、お寺の広い部屋で幾つもの鍋を囲んで忘年会でした。

     また、檀家の為に毎年「暁天講座」も開かれ、一流の講師を招いて本堂にて早朝に「歎異抄」の講義を聴きました。講義が済むとおばあちゃん・奥様の手料理で朝食を頂き、それから出勤。老若男女、様々な職業の方々が参加していました。

     振り返れば、日常の暮らしとともにあり、「ほとけさま」が見守って下さっている素敵なお寺だったと懐かしく有難く思い出します。
     その後転勤、そして結婚、自営業へ・・。歳月は流れ、その頃のお寺のおばあちゃんと同年代になりました。----宗教を問われたらもちろん「仏教です。」と答えます。

  • #12

    ジュンちゃんのドロップキック (月曜日, 29 8月 2022 14:12)

    オウム真理教も仏教
    事件当時は
    「お坊さんは何やってたの」
    と思いました。

  • #11

    the_k (月曜日, 29 8月 2022 13:38)

    全く関係なくてメチャクチャ低俗な話ですいませんが、
    カレーさんがアップされてる動画、自動で字幕つけて見てみたら字幕の誤字が凄すぎて何言ってるのかさっぱり分からなくなってしまいましたw

    「宗教とか色々チャーハンねうんそもそもんだから カルドなんですよそういうあのなぁ現れ」

    みたいな感じでw

  • #10

    バチガミ (月曜日, 29 8月 2022 11:59)

    若いころは「宗教なんざクソだ」と思っておりましたが、「座しては人を救えず」とオウムに洗脳され入信した子供たちの奪還を行ったり、社会不適合者の面倒を見たりするお坊さんを見て、180度見方が変わりましたね。
    自分は宗派は?と聞かれたら「神仏習合」ですと答えます。

  • #9

    おてんば (月曜日, 29 8月 2022 09:50)

    私も、カレーせんべいさんの結びの文章と同じで、北の僧侶さんのようなお坊さんがそばにいたなら、カルト入信や、不幸は防げると思います。
    小林先生、泉美先生が、本物の宗教に期待したいと仰っており、宗教を否定しているのでは無いことも、動画で理解できました。

    問題は、カルト宗教と本物の宗教の勧誘活動方法の違いから、悩める人は本物の宗教と出会いにくいのではないでしょうか。

    北の僧侶さんには申し訳ありませんが、現実的に、たいていの悩める人は、自分から門戸を叩いて宗教を見つけに行く気力はなく、更に、自分の家族も機能不全家族で虐待を受けてきた可能性も高いので、悩める人となったのだと想像します。そうすると、実家のお寺の住職さんに対する期待値は低く、実家の家族と関わりたくないので、近寄らないはずです。
    また、ユーチューブの画面越しの動画を受身で観たところで、自分の問題と一致する説法を見つけるのも難儀で、直接自分と対話してもらえていないので、物足りなさもあるかもしれません。

    対して、カルト宗教は勧誘員の人数が多く、学生時代からの連絡網を使い、ピンポイントで電話で勧誘したり、駅前や道端で幸薄そうな人を待受けて、巧みな勧誘活動で、直接会って、積極的に信者を掴んでいます。
    悩める人は、(優しそうな)人の笑顔、(心がこもっていそうな)励ましに飢えているので、ついつい信じてしまうのだと思います。
    更に、自分の頭で考えずに、教祖様の言う通りにしていれば、簡単に自信が持てて悩みが解決した気にもなれますし。

    カルト入信予防策は、北の僧侶さんのような本物の宗教家さんと、悩める人を繋げる方法があれば、不幸を防げるのではないかと思いました。
    いのちの電話のポスターの横に並べて北の僧侶さんの説法の予定と連絡先の記載されたポスターを貼るとか、電車の踏切近くに立て看板を立てるとか。
    役所から発行される機関誌に掲載するとか。
    お寺でヨガスクール(先生に依頼)を開催して、終了後に説法会を開催したり。
    実施済でしたら申し訳ありません。

  • #8

    北の僧侶 (月曜日, 29 8月 2022 09:49)

    カレーせんべい様。
    私の投稿を取り上げていただきありがとうございます。
    確かに、小林先生は、「本物」の出現を望むとおっしゃられていますね。小林先生の真意はそこにあるのに、ただ単なる仏教批判と受け止めてしまった私の読解力不足でした。
    この度、深く考えもせずにこのような投稿をしてしまい、お詫び申し上げます。また、私の投稿によって不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、同様にお詫び申し上げます。
    今後は、真面目に宗教を希求される方の受け皿になるべく、わたしの受け持つ「現場」において、もっともっと精進いたします。
    ご迷惑をおかけいたしました。

  • #7

    希蝶 (月曜日, 29 8月 2022 09:21)

    形からはいれ、とも申しますが、形だけで中身がない場合もあるのでは、と思います。
    何かを努力したつもりも、実際は何も起こせていないなら、それは何もしていないのと同じではありますまいか。そんなことを思いました。的外れかもしれませんが、そのように思います。

  • #6

    じょせふぃん (月曜日, 29 8月 2022 09:20)

    〉少なくとも、小林よしのりの叔母さんのそばには「宗教家が居なかった」からこそ、統一協会ごときカルトに入信したと言っているわけで、そのような不幸は日本中に溢れているということを憂慮しているわけです。

    →たしか『差別論』だったとと思いますが、小林先生が解同の方との対談で、
    「実家が真言宗(密教思想)寺院の叔母さんは、宗教のせいで好きな人との結婚を反対されたことがある。結局宗教は人を救わないじゃないかと、叔母さんの中で不信感が生まれた」
    という内容のことをおっしゃっていたと記憶しています。その叔母さんというのが、のちに統一協会に入信して家庭が崩壊した女性と同一人物だと推測します。

    以下は仮定の話になるのですが、叔母さんの「既存の宗教のせいで結婚を反対された」心の傷が、何年後かに再び開いて新興宗教に走らせることになったのだとしたら……。「もう既存の宗教には期待できない。統一協会の教えどおりサタンだ」と結論づけたのだとしたら……。悲しいことですね。

    何十年も昔でどうにもならないことですが、叔母さんの身近に「宗教家」がいたなら、「カルト」がつけ入る隙を与えなかったでしょうに。

  • #5

    Richard Tiger (月曜日, 29 8月 2022 09:08)

    そういえば、ゴー宣のこれまでの戦いは、宗教とどう向き合うかとの戦いでもありました・・・

    お祭りは主に神社が担い、葬式は仏教が担う。結婚式は神社だったり場合によってはキリスト教が担う。

    では、普段の日常は、果たしてなんの宗教が担えるのだろうか・・・
    ここの穴の部分が、もしかすると統一協会ら新興宗教との悲劇に繋がっているかもしれないと、思いました。

  • #4

    グッビオのオオカミ (月曜日, 29 8月 2022 09:06)

    カレーせんべいさんの指摘が正しいでしょうね。
    肩ひじ張らず「形」がおおらかにそこにある事も大切です。しかし、強い求道心や強い信仰心にどう応えていけるかもまた、課題なはずなのです。
    北の僧侶さんが言う菩提寺を見直して欲しいというのも、分かります。
    ただ「人と向き合う姿勢」が各僧侶にどこまであるかでしょうね。

  • #3

    かずず (月曜日, 29 8月 2022 09:02)

    小林先生の著作やブログでの言葉えらび、(例えば、餓鬼等)を見れば、仏教の考えも思想に入れており、仏教を馬鹿にしている感じは無いです。

  • #2

    たこちゃん (月曜日, 29 8月 2022 07:50)

    カレーせんべい様

    いつもお疲れさまです。

    小林先生と宗教というと、叔母さまのこともありますが、お母さまのご実家のお寺のことが思い出されます。

    子どもの頃の原体験、叔母さまのこと、そしてオウムとの闘い。
    国内の表現者の中で、キレイごとで済まない宗教との向き合い方をされた稀有の人が、小林先生だと思います。

    だから、先生の指摘は的外れとは全く思いません。

  • #1

    くぁん (月曜日, 29 8月 2022 06:09)

    北の僧侶さんの宗教観が、あまり見えてきませんね。職業:僧侶としての大変さは伝わりますが…。