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よしりん辻説法 第2巻 はじめに【迷わぬ者に「皮肉な悟り」なし】

タッチ&ゴー

1周年記念スペシャル

 

「執着」とは?

「悟り」とは?

「食べ物」とは?

「アンチ小林よしのり」とは?

 

ゴー宣読者が集まり議論する。

 

 

 《参加者》

和:和ナビィ(女性)

h:hisui(女性)

玉:玉姐(女性)

こ:こぴゃる(女性)

え:えみりん(女性)

た:たっちゃん(男性)

カ:カレーせんべい(男性)

 

《収録日》

2020年8月8日

 

よしりん辻説法 ② 皮肉な悟り

はじめに

迷わぬ者に「皮肉な悟り」なし】

 

カ:今日は2020年8月8日、場所は新大阪の喫茶店です。和ナビィさんは「よしりん辻説法」の第2巻が大好きなんですよね?

 

和:はい。この「皮肉な悟り」の表紙から大好きです。よしりん先生の、上をぐっと睨んだ口元とか目つきとか、すごく好きなんです。

 

え:真剣な表情に、可愛らしさがありますよね。

 

カ:そもそも『皮肉な悟り』とは一体何なんでしょうか? 確かに「悟るまいとすることを悟った」という結論が皮肉な悟りであることは分かります。それではなぜ、よしりん先生は「悟るまい」と思ったのでしょう? 和ナビィさんはどのように解釈しますか?

 

和:私の解釈は、よしりん先生は「思考停止しないぞ」と悟ったのだと思います。

 

カ:どういう意味ですか?

 

和:もし悟ってしまうと、ある意味そこでストップがかかるわけです。どこまでも感覚をオープンにすることで、悩むし、執着もするだろうけど、決して思考停止にはならないわけです。

 

カ:なるほど!

 

和:よしりん先生の今までの歩みもそうだけど、いつでも感覚を開き「これで良し」とは絶対にしない。悟ったらそこで終わりになっちゃうんだけど、よしりん先生の場合は「悟らない」ではなくて『悟るまい』なんです。この『悟るまい』というのは意志でしょ? だからそこが「皮肉な悟り」という意味になったと思いました。

 

カ:『悟るまい』というのは「これからも人として悩む」という意志でしょうか?

 

和:そうね。人として悩み続けるし、どこまでも歩みを止めないという決意表明。 私はそんな気がしました。

 

カ:そういえば一番最初のコマに『悩んどるな悩んどるな人として~~』というセリフがありました。これは【厳格に訊け!】という漫画の主人公、厳格和尚のセリフでしたよね?

 

和:そうそう、あの漫画も面白かったね。

 

カ:つまり悟ってないからこそ、人として悩んでるわけですよね。

 

和:そうだと思う。動物は怯えるかもしれないけど、悩みはしない。取り越し苦労をしたり、いろんな執着をしたりして悩むのは、やっぱり「人」なんですね。

 

◆◆◆

 

え:『動物は日頃悩んだりしない。』『襲ってきたら恐怖に駆られて必死で逃げるのみだ。』というのを読んで、本来、人間も動物だけど、人間に動物的な本能がだんだんなくなってきたから、それが悩むことに繋がったのかなと私は思いました。

 

カ:なるほど、そういう解釈もありますね。

 

え:確かに『執着は悩みの源泉』っていうのは全くその通りやなって実感します。

 

カ:タイトルになってる【皮肉な悟り】は、ある種のパラドックスになってますね。『執着は悩みの源泉じゃ。諦めればスッキリする。』という真理を示しておきながら、その一方で『生きることや、愛や道徳に執着しなければニヒリズムになる。』というもう一つの真実も述べているわけです。

 

た:「執着」が良いモノなのか、悪いモノなのか、一概に言えないところがあるわけですね。

 

え:だけど好きな人のことが忘れられない人が、全員ストーカーになるわけじゃないですよね?

 

カ:そうね、世の中ストーカーだらけになっちゃうからね(笑)

 

え:もしかすると、執着にも「仕方」みたいなんがあるのかな?  正しい執着の仕方、悪い執着の仕方みたいに?

 

カ:あ、それいいね。『正しい執着の仕方』という新コーナーを作ろうかな(笑)

 

h:それは面白そうです(笑)

 

カ:ある意味、【愛国心】や【公のため】だって執着といえば執着なんです。「この国を良くしたい」と願うのは「子供らの世代のため」であり、これもまた執着なんです。

 

え:だけど、それって、自分の欲ではないと思います。

 

カ:うーーん、そうだろうか?

 

え:ストーカーは、ただ自分の欲があるだけで。

 

カ:それはその通りですね。

 

え:【公のため】は、自分の欲のためじゃなくて未来の人のためだから。それは良い執着なのかなって思います。

 

カ:いずれにせよ、物事の一切に執着がなかったら、それはほとんどニヒリズムと同じですね。

 

和:そんなのつまんないよね。

 

え:多分ニートになると思う。

 

◆◆◆

 

た:よしりん先生が執着してるモノは『食事だ。朝昼夕、きちんと食べる』と言ってますね。写真がたくさん載ってますが、これはよしりん先生の奥様が作られた食事ですよね。

 

カ:まるで料亭のような料理ですね。食器の一つ一つがすごくキレイです!

 

た:『執着は悩みの源泉』であり、執着は良くないと述べている一方で、よしりん先生自身は、執着してるのは食事だとおっしゃるのは、なんだかいいなって思いました。

 

和:きっとよしりん先生はね、心も体も、作っているのは食べ物だって思ってらっしゃるんだよね。

 

た:なるほど。

 

和:食べることで元気になるし、それは栄養素だけの話ではなくてね。 母から教わったものをまた次の代に伝えたりとか、人に食べていただくっていうのが作る者としてもすごく嬉しいことだったりする。それを執着と言うなら、確かに執着かもしれないけど、私は食べ物に執着するっていうのは大アリだと思ってますね。作る方も、食べる方も。

 

h:人間の体って3ヶ月ぐらいで全部入れ替わるらしいですね。

 

和:そうなんですよ。その材料はいったい何かといえば「食べる物」なんですよね。本当に食べるものでしか、人間の体って入れ替わっていかないわけ。それをチューブ入りの栄養素だけで体を維持したとしたら、「それで生きてることになりますか?」という問題もある。つまり食べ物って心身の食べ物なんだなって思います。

 

h:私は子供が2人生まれて、2人ともミルクを飲まなかったんですよ。だから離乳食が始まるまで全部母乳で育てたんです。赤ちゃんなんて新陳代謝が激しいから、体の全部が母乳でできていることになるじゃないですか。それもすごいことだと思ってました。だからちゃんとしたものを食べなあかんなって思います。

 

和:hisuiさんがおっしゃることが「実感」ですよね。赤ちゃんはすべてお母さん経由で、お母さんが食べたものが母乳になって、それが赤ちゃんに注ぎ込まれて育つわけだから。結局はお母さんの食が繋がっていくわけですね。

 

◆◆◆

 

カ:今日は、和ナビィさんが収録参加者に「梅シロップ」と「刻み梅」と「煮梅」のお土産を持ってきてくださり、私もいただきました。

 

和:私は母から作り方を教えてもらって、母の植えた梅から加工して、そしてこうやってお土産にしたら喜んでいただけるというのが嬉しいんです。食べ物を作ることにも執着しておりますっていうことですね。

 

カ:そこに「幸せの循環」があると思います。

 

和:第一、食べるのって楽しいよね。よしりん先生もこんなに楽しそうに写真にしてね。奥様は、美味しく食べてもらおうと思って、器からメニューからバランスから考えて先生のために作られたことが、写真からもビンビン伝わってくるね。栄養バランスとれてるもんね、野菜あり、魚ありでしょう。

 

た:稲荷寿司もやっぱりちゃんと作ってることですよね。

 

こ:そうですね、手作りですよね。

 

え:これだけおかずがあるから、ご飯はちょっと少なめですね。

 

こ:ほんとうだ。ちょっと少ないかも。

 

和:この後にお菓子がくるのよ。

 

カ:ちょこちょこ食べて小動物みたいやね(笑) 一遍にドカッと食べるんじゃなくって、少量をバランスよく食べられるわけですね。

 

た:ほんま旅館の朝食みたいですね。

 

カ:よしりんの日常の食事は、我々の非日常なんだよ(笑)

 

和:旅館の料理よりすごいと思う。それに奥様がよしりん先生のために作っているっていうのが、やっぱり本当に心身に沁みていくパワーになるよね!

 

カ:私は【夫婦の絆】という漫画を思い出しました。

 

た:小林よしのり先生が【わしズム】に連載していた未完の作品ですね。

 

カ:主人公の男は、妻と結婚した記憶が一切ないんです。「一体なぜこの女と結婚したのか?」、理由も記憶がない。だけど毎食、旅館並みの料理が出てくるわけです。「この料理こそが夫婦の絆ではないか」と納得する場面があったんですが、それはすごく心に残っています。

 

た:その反対に「ファーストフードだとしても、誰かと食べることによって、食事になる」というセリフもありませんでしたか?

 

カ:それもありましたね! 食べることは深いですね。

 

◆◆◆

 

カ:私が今回、このテーマを選んだ理由の一つは【ゴー宣読者でアンチ小林よしのりになる現象】について論じてみたかったからです。決してアンチを見下したり、吐き捨てるような言い方はせずに、哲学的に論じてみたかったんです。

 

和:執着というのは、アンチになることも含めて、色んな執着があるけど、執着に必ずくっついてるのは「悲しみ」がありますね。

 

カ:「悲しみ」ですか?

 

和:私は『おぼっちゃまくん』の中でも特に好きなのが、24巻のメカ茶魔の話なんです。

 

カ:知らない人もおられるかもしれないけど、メカ茶魔の話は愛憎が入り乱れた名作です!

 

和:メカ茶魔は、すごい執着と憎しみでどこまでも追いかけてくるじゃないですか。最期は、お父ちゃまを助けて自分は沈んでいっちゃうっていう形で決着がつく。その結末に私はわんわん泣いちゃったんだけど、あのときに、執着には悲しみが同居しているんじゃないかなって思ったんですよね。

 

カ:メカ茶魔はロボットだけど、「喜怒哀楽」という4つの感情がありまする。ところが「喜」と「楽」の感情は過去にあるんです。現在存在するのは収拾がつかないほどの「怒り」なんです。執着する人は「喜と楽が過去にあった」という共通点があるかもしれない。

 

和:なるほどね。

 

カ:執着する人は、怒りが全面に出ているように見えるんだけど、本当はそれは悲しみなのかもしれない。

 

和:そう。「執着っていうのは醜いですね。」で片付けちゃうんじゃなくて、そこにはどうしようもない悲しみも一緒に同居しているんじゃないかなって思います。

 

カ:『執着する人は、過去に良い思い出があった人』なのかー。

 

和:それでもストーカーはどうかと思いますけどね。

 

カ:私の知り合いがストーカーなんですけど・・・知り合いなら止めろよ!!

 

た:セルフでつっこみ、ご苦労さまです(笑)

 

カ:ストーカーにも「思い出」があるんですよ。 「取り戻せるはずもない思い出」に執着して、醜いストーカー行為を繰り返しているパターンがほとんどだと感じます。

 

た:なるほど。

 

カ:そう考えれば、「小林よしのりのアンチ」になる人も同じだと思うんです。 アンチになる人も「過去には小林よしのりに対して良い思い出があった」と思います。

 

和:そうかもしれないね。

 

カ:思い出はとても大事だけど、「未来に繋がらない思い出」に執着するのは、人間として良くないことだと思います。そのような執着は捨て、前へ、未来へ進んで欲しいと思います。

 

◆◆◆

 

h:「悩んどるな悩んどるな、人として~~」というセリフがありますが、人は悩むから成長できていくんじゃないかなと思いました。執着も成長するための過程なのかもしれない。

 

玉:なるほどね。

 

和:「イヤだ!人間でいたい!」というセリフも、人間というのは固まった、解脱した存在じゃないよっていうことでしょうね。常に「途中」で、常に「過程」なんだと思う。

 

カ:単純に考えて、煩悩があった方が人生は楽しい。

 

h:楽しいと思います。

 

和:それは楽しいでしょ(笑)

 

カ:皮肉な悟りというのは、「しんどいけど人間でいたい」ということなんでしょうね。

 

和:「出来上がっちゃわないぞ」っていうことだろうね。

 

カ:そうか、出来上がっちゃわないぞっていう決意が皮肉な悟りか。

 

和:皮肉な悟りをした方が、その先があるよね。そこから発展したり、自分を否定することもありつつ、変わっていけるわけだから。

 

カ:なるほど。

 

和:「常に変わっていく」というのが、よしりん先生のコンセプトでしょう。いろんなものを吸収して、反応して、変わっていくっていう過程がよしりん先生の今までの歩みだから。

 

カ:そうですね!小林よしのりという作家は「わしは悟ったから、読者のお前達に教えてやる」ではないんですよ。 常に読者と一緒に歩んでいくっていうスタイルで、ずっとずっとやってきたわけなんです。

 

和:そうだね。

 

カ:だから小林よしのりは「悟った」じゃないんですね。「教祖」じゃないんですよ。だって悟った人は教祖になっちゃうもん。

 

和:そうですね、よしりん先生は「教えてやろう」という態度ではないですね。

 

カ:教祖と信者の関係性なら「この教えを広めよう」という発想になるだろうし、 私は布教には興味が持てないんです。作品を通じて一緒に悩み、一緒に考え、一緒に笑えるからこそ私はゴー宣読者になっています。

 

た:分かりました! 僕らも悟らずに、悩み続けることにしましょう!

 

カ:今、完全に悟りましたね(笑)

 


 

議論のあとはみんなでラーメン🍜

 

《行列のできるラーメン屋に行きました♪》

さらに三次会🍦☕


コメント: 4
  • #4

    hisui (月曜日, 14 9月 2020 00:14)

    ぷーさんの感想、すごく納得できました! 自分では言葉にできなかったことを語ってもらえた感じです(*^^*)
    何事も、自分の心をごまかさず、見据えながら、行きつ戻りつですが執着を昇華させていければいいな~と思います。
    昔むかしのことを思い出しては、思い出し怒りしてる自分ですが(^o^;)

  • #3

    ぷー (日曜日, 13 9月 2020 15:02)

    執着にも「仕方」がある、というのはおもしろいですね。
    確かにその通りだと思いました。
    思い入れのあったことというのは、その人を形成してきた一部でもある訳で、
    執着を一切絶って…なんて言い方は少し空々しい…
    それは自分の存在すら認めていないことにもなりますから。
    だから、執着はする…するんだけれども、後はそれをどう昇華させていくか。
    自分が何に思い入れていたのか、その本質を見失わないように。
    怒りや悲しみの感情も、自分なりに何かに転化できたなら、
    その状態を以って、執着してない、ということになるのかな?
    まぁ言うは易しで、そこが上手くできなくて悩むんですけどね。

  • #2

    カレーせんべい (木曜日, 10 9月 2020 16:23)

    >>1 たこちゃん
    ご指摘の通り、三次会の写真は、
    名古屋発「コメダ珈琲店」でございますo(^o^)o
    サービスでマメ菓子さんが付いてきます(笑)

    私はアイスコーヒーの「大」を注文しましたが、
    樽のようなコップがベリーグッドです(・∀・)


    >思えば私がゴー宣ファンを25年も続けた主な理由は、
    >よしりん先生が読者とともに歩いていくスタイルにあるように思います。

    強く共感します。
    ここまでキャリアのある漫画家で、いつまでも読者と歩む姿勢と言うのは、他に思い浮かばないほど稀有なことだと思います。

    また「言葉が凝り固まらない」というのも凄いと思います。
    私も座談会で話したり、感想文を書いたりするときに、
    「自分の言葉を紡ぐことの難しさ」を痛感しています。
    常に感覚を開いて、新しい感性を取り込まないと、自分の言葉も停滞をするんですよね。
    だから、長年ゴー宣を読んでいて、よしりん先生の常に刷新されていく言葉に触れて、「成長し続けること」ってすごいことだなぁと感じます。

  • #1

    たこちゃん (水曜日, 09 9月 2020 16:24)

    議論お疲れ様でした。

    もしや、3次会は名古屋名物「コメダ珈琲店」では?
    名古屋以外でも、「お菓子」ついてくるんですね。

    思えば私がゴー宣ファンを25年も続けた主な理由は、
    よしりん先生が読者とともに歩いていくスタイルにあ
    るように思います。
    ゴー宣道場設営隊員になって、よりそう思うようにな
    りました。