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週刊SPA!6月2日号 第86章「抑圧策から緩和策に転じよ」


 

タッチ&ゴー

《収録参加》

え:えみりん

た:たっちゃん

カ:カレーせんべい

  

《収録》

2020年5月26日20時45分から21時30分

 

週刊SPA!6月2日号

ゴーマニズム宣言 第86

 

「抑圧策から緩和策に転じよ」 

 

 

た:今週のゴー宣を読んで一番心に残ったのは、「経済的な基盤が弱い人たちこそが本当の弱者である。」と描かれたところです。

 

カ:「自粛の影響で、仕事のやりがいと食いぶちを失った人」ですね。

 

た:コロナが原因で倒産する会社や、失業する人がこれからもたくさん出てくるわけで、その人たちが本当の弱者ですよね。

 

え:「経済的弱者を気にせず、『巣ごもり』を楽しめる者たちは、全然コロナ禍の弱者じゃない」とありましたが、その通りですね。

 

た:ところが、僕の知っている社長さんは「元々危なかったとこが淘汰されているのだから、コロナが終わった後の世の中は良くなっている」と言ってました。

 

カ:なんですか、それ?「コロナによって淘汰される」ではなく「コロナによって大ダメージを受ける業種や個人が存在する」という話ですよ!

 

た:社会的に成功している人ですが、弱者の痛みを見ようともしていないですね。

 

カ:これを言うとゴー宣ファンから反論あるかもしれないけど・・・、私は『岡村隆史のラジオでの発言』は不快に思いました。

 

た:岡村隆史の発言は「コロナが終息したら、絶対面白いことがあるんです」「なかなかの可愛い人が短期間ですけれども、お嬢やります」「短期間でお金を稼がないと苦しいですから。」というものですね。

 

え:どうして不快に思われたんですか?

 

カ:岡村隆史の発言から『コロナによって「ダメージを受ける者」と「ダメージを受けない者」の分断』を感じたからです。

 

え:あの発言は『女性蔑視』ということで叩かれていましたが・・・。

 

カ:私は岡村隆史の発言が『女性蔑視』とは思わないです。それは難癖だと思います。ただ「これから失業する人の痛みは全く考えていない」と不快に感じました。

 

え:そうですか。

 

カ:話を戻しますが、強者の立場から弱者の痛みを見ようとしないという感覚は「小泉竹中構造改革」の時からありました。『構造改革の規制緩和で潰れるような会社や個人は淘汰されるべき存在であって、それらが全て潰れてから世の中は良くなるのだ』といういわゆる清算主義です。 これは一見すると強者のようにも見えますが『強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる価値がない。』という価値観から、私は「強者」とは認めたくないです。

 

◆◆◆

 

た:木村もりよさんによれば「『緊急事態宣言』で政府はコロナ対策を『抑圧政策』に転換した」ということですが、要するに、緊急事態宣言によって、ウイルスに効くワクチンや治療薬ができるまで、国民の自由を徹底的に抑圧する政策に転換したってことなんですよね。

 

カ:今週のゴー宣のタイトルにもなっている『抑圧策と緩和策』という言葉は、概念を把握するのに分かりやすいですね。

 

た:だけど僕はその話を聞くまではそういう政策の意味を理解していなかったですし、国民の多くも「緊急事態宣言によって政策転換した」なんて理解してないんじゃないですか?

 

え:そうだと思います。

 

た:世の中全体が「政府は緊急事態宣言を早く出せ! 遅すぎる!」などと言ってましたが、それは「抑圧政策の効果や意味」なんか一切考えず、なんとなく騒いで、なんとなく受け入れている人ばっかりだと感じます。

 

カ:今週のゴー宣で「コロナウイルスがゼロになるわけがないのだから、『抑圧』を解除したら感染者が増え、また『抑圧』してというふうにモグラ叩きを続けていたら・・・経済崩壊で、真のコロナ禍の犠牲者・経済的弱者を救えない」と描いてましたが、要するに、現実的に抑圧政策を徹底することはできないんですよね。仮に理論上は正しかったとしても抑圧政策自体が「もう詰んでる」と言うか、土台無理な話なんですよね。

 

◆◆◆

 

え:私は、最後のページの「文化は人間の証明である!」という言葉に触れたときに、人間が生きてるっていうのは心臓が動いて体の機能がちゃんとしてることが生きてるってことじゃなくて、文化的なもの、芸術とか仕事とか、そういうのができたり楽しめたりして初めて生きてるということなのかなって思いました。

 

カ:なるほど!

 

え:ただ死ぬのが怖いとか、病気になるのが嫌やからずっと家の中でいてじっとしてましょうっていうのは、それは生きてるんじゃなくて生かされてるんちゃうかなって思いました。

 

カ:うわー、すげえ意見だ!

 

え:日本人の死生観みたいなのまでコロナが炙り出したんかな。「ステイホームなんて言われても、帰る自宅もなく、ネットカフェを追われ、職も見つけられない孤独な人々が本当の弱者である。」っていうのを読んだらすごい切なくなって・・・。そうか家もない人だっているんだなって思いました。

 

カ:そうだね。

 

え:テレビとかでもコロナの感染者数とか死亡者とか発表してるけど、こういう人たちのことは報道せえへんのかな?

 

カ:結局、視聴率が取れないんやろな。それよりは「PCR検査だ! 隔離だ!」ってセンセーショナルに煽るやり方がウケちゃうんだろうね。

 

え:そういう完全隔離とか、国民を全員検査にかけろとか、できもしない非現実的なこと言ってるほうが楽なんかな? その裏側で失業したり自殺したりしてる人に目を向けてしまうと、現実を突きつけられて、見るのも嫌になるのだと思う。

 

カ:NHKとかでは報道はしているんですけどね。だけどそれが全然世論に影響しない。

 

 

【ここから議論が急展開】

ゴー宣ファンによるテレワーク論

 

 

た:コロナ感染者が限られた場所で、そこだけ抑圧したら済むという段階だったら、抑圧政策も可能かもしれないけど、もうその段階じゃないから。でもなんか「コロナ収束後もテレワークを続けたいと思ってる人が6割」という報道を目にしたんですけど。

 

カ:テレワークについては、どう思います?

 

た:僕は嫌ですけどね。テレワークも仕事によってはできる人もいるだろうけど、僕は工場に行って、機械を使って、カツオを削って云々かんぬんが主な仕事なので、家にいてもできるわけないんでね。

 

カ:それは当然、職種にもよるでしょうが、私の仕事は経理なのでテレワークとは相性が良いんです。私個人としては「テレワークは効率が下がる」という理由で否定的ですが、今現在、週に3日テレワークで、週に2日出勤しています。やっぱり出社する日はすごい残業になるんですよ。なぜなら書類が山積み、まだまだ紙やハンコの文化がいっぱい残ってるからです。私個人としてはテレワークよりは出社して、ちゃんと背広着て、気合いを入れて仕事したいっていうのがある。ただテレワークをやったことで「仕事のあり方を改良していく余地」が存在することに気づきました。

 

え:「仕事のあり方を改良する」って、それは具体的に何ですか?

 

カ:今までの仕事のやり方は「ハンコ文化」に依存してきた側面がありまして、それがテレワークとはすごく相性が悪い。その辺を改革することで、業務の効率化に繋がると体感しました。

 

え:世界のゴー宣ファンサイトの交流掲示板で、カレーせんべいさんがそのような意見を投稿されているのを読んで、私は「えーー!?」って思ったんです。

 

カ:私の意見に反対ですか?

 

え:はい。

 

カ:それはなぜ?

 

え:その紙とかハンコとか物理的なものがあるからこそ「人間」というのが必要とされるんであって、それをコンピューター上で全部やってしまったら、行き着く先は 「AI 化」なんちゃうかなって思いました。

 

た:なるほど「行きつく先はAI化」ですか。

 

え:テレワークの導入率が62.7%とニュースで知った時も「そんなんやったら全部行き着く先はAI化なんちゃうん」って思ったんです。

 

カ:いや、まぁ、おっしゃることは分かるんですよ。

 

え:「自分で自分の居場所をなくしてるんちゃう? アホちゃうん?」って思いました。

 

カ:確かに「ヘビが自分のしっぽを食ってる」ような滑稽さはあるかもしれない。だけど、たとえば経理という仕事で言うならば、昔は完全に手書きでやってたんですよ。手書きで伝票や小切手切ってた時代がありましたが、今は完全にパソコンです。つまり「パソコンを導入した時点でAI化は始まっていた」わけですよ。

 

え:人の手が要らなくなり、仕事が少人数でやっていけるようになると、その分世の中から仕事が無くなり、就職できない人がたくさん出てきます。

 

カ:私は人の仕事を奪おうなんて思ってない。だけど、僕らサラリーマンは日々改革してなんぼの存在なんです!

 

え:どうして?

 

カ:分かりやすく言うなら『定期昇給があるから』です。毎年少しでも給料がアップしている以上は「去年と同じ仕事をしてはいけない」です。給料分の仕事するのがサラリーマンなんです。そのためにも、業務効率化が目の前にあるのに、それに全く手を出さないなんてことはできないです。

 

え:そうやって、利便性や合理性を追求していくと、必然的に人なんか要らなくなってしまうと思うんです。結局それは「今の自分この瞬間だけなんやろな」と思ったりもします。だって、その後に続いていく人たちはだんだん要らなくなっていくじゃないですか?

 

カ:就職口自体がなくなるってことやね。

 

え:私は「人間が一番めんどくさい」と思うんです。コンピューターなら人間関係もないしね。人件費とかいうのもないし。だけど・・・

 

カ:私は「コンピューターを使って浮いた時間を他の仕事に当てられる」っていうふうに考えます。つまり生産性が増すわけです。別の仕事に打ち込むことができる時間を捻出するために、日々改善なり改革なりをやっていくわけです。

 

え:その行きつく先はAI化だと思う。

 

カ:だったら、所詮AIにできるような仕事しかできないんであれば、それはもう淘汰されるべき仕事なんですよ!

 

た:カレーさん、そんな言い方したら、僕が知っている社長さんと全く同じ言い方じゃないですか!

 

カ:・・・確かにそうですね。思想が、矛盾しているのか、私は。

 

え:左官職人って知ってます? 壁を塗る左官屋さん、その技術をAIに覚えさせたんですよ。均一に塗るのにすごい技術がいるし難しいんです。それを機械にやらして実際に壁に吹き付けたら均一にすごい綺麗に塗ってたんですよ。職人さんも凄いびっくりしてて「これはすごい技術」とか言ってて。これからこういうのが発展していけばいいなって言うのを見たときに、私は「これでいいんかな?」って思いました。

 

カ:・・・だけどさ。「職人に匹敵するような技術」が目の前にあるのに、職人を守らないといけないと言う動機で、その技術を追求しないっていうのは、本当に正しいのでしょうか? 私の親父が肺癌になったとき、放射線治療をやったことがあるのですが、それはAI技術を使ったサイバーカッターという機械を使いました。肺の動きをAIで予測して、癌細胞に放射線を当てるんです。これは人間の技術じゃ到底できない。どんな名医でも絶対にできないような技も、AIならばできる。そのことを私は肯定的に思うし、感謝もしている。目の前に技術があるならば、よっぽどの非人道的なことや生命倫理に関わるようなこと以外であれば、追及するのは必要なことだと思う。

 

え:そうするうちに「職人」がいなくなっていくのかな?

 

カ:あ! ・・・なるほどそれはまずいね。そうなると「美意識」みたいなのも、だんだん劣化していくわけですね。

 

◆◆◆

 

カ:そうか。テレワークが当たり前になると『会社への帰属意識が要らなくなってしまう』わけですよね。テレワークで今日の仕事が問題無くできたように見えたとしても、やっぱり会社に行って仕事仲間の表情や動きを感じながら仕事するのが大切ですね。誰か困っている様子が見えたら手助けができるしね。そして会社にピンチが訪れた時に、底力出して乗り切るのは、結局「人間」なんですよね。

 

た:そうですね。

 

カ:仕事終わって飲みに行ったりとか、たまには愚痴や文句を言いながらも、それでも支え合ったりとか・・・。やっぱり私たちは心で仕事してるんですよね。AIだとそういうのが全部なくなっちゃうよな。

 

た:そういう一体感や労働観って人と関わってなんぼかもしれませんね。

 

カ:「AIで出来る仕事に見えるが、実はAIでは出来ない」という意義みたいなのもあることを再確認したり言語化する必要があるかもしれない。一見「めくら判」で不合理に見える決裁フローだって、実はAIでは判定できないチェックがかかってるのかもしれない。部下の様子とか、そういう機械では分からないものを毎回チェックしているんですよって言わなきゃならない。「目には見えない価値」みたいなのが、実は知らず知らずの内にあったんやっていうのを一度言葉にしてみせて、再確認しなければならないのかもしれませんね。「会社で仕事をしてる意味」を、今までは当たり前すぎて言葉にしてこなかったけど、今こそ、再確認して言語化し、テレワークに対抗しなきゃいけないのかもしれない。

 

え:それこそAIではできないことですね。

 

◆◆◆

 

カ:今回は、作品の「感想」よりも「議論」が白熱してしまいましたね(苦笑)

 

え:言いたいことが言えました。

 

カ:僕はえみりんに論破されたなぁ。でも、もう少しだけ考えさせてね。

 

え:はーい。

 

た:ところで、今週号も誤字がありましたね。

 

え:どこですか?

 

た:3ページ目の右下です。「コロナ禍」が「コロナ」になっています(笑)

 

え:ほんとうだ(笑)

 

カ:いやー、優秀なSPA編集部がこんなミスするわけない。きっと「コロナ」で正解なんです(笑)

 

た:「コロナ」じゃなくてよかったと思います(笑)



コメント: 4
  • #4

    カレーせんべい (火曜日, 02 6月 2020 12:06)

    >>1 青ネギさん
    >「AIは人間の良き補助的な相棒」との位置付けでの導入が望ましいと思います。

    なるほど。確かにそうですね。
    テレワークという技術は、通勤自体が困難な障害者や、なんらかの事情で自宅を離れることができない人のサポートをするのであれば、全否定することもできないと思いました。

    技術を中心に人が振り回されるのではなく、
    人を中心に技術を活用するべきと私は考えます。


    >>3 希蝶さん

    >一見不合理なようでいても、職人さんの作業は、「多くの先人」の智慧と経験の結晶であって、長い歴史と伝統を重ねた上で磨き上げられてきたものであり、だからこそ機械のこなした「完璧な作業の結果」とは異なる、仕事の成果に対する「心からの感動」が生まれていくわけです。
    >人は一人では生きてはゆけない、「集団」あってこその「個」であり、「公」なのだ、そういうことを思いました。そして、機械が機械の判断で動いてしまったら個としての人のみならず、「群体」としての「人間」も不要になるのだから、人間という「集団」の判断あってこその機械の活用、という視点を失ってはいけないのかな、とも思いました。

    すべて納得しました!
    私も同じ考えに至りました。

    私は仕事においては「進歩主義」を選び、または、流されているところがあるので、大局から判断できるよう戒めたいと思いました。


    >>2 和ナビィさん
    >最初に出てくる小林旭の「自動車ショー歌」♪聴きましたよー(^-^)/。

    あ、座談会でもその部分に触れていたんですが、編集しちゃいました(笑)
    未公開部分も、この掲示板に公開しておきます^^

    ・・・

    カ:最初の1ページ目の歌は、知ってましたか?
    た:僕は、知ってました。
    カ:えー!ちょっと歌ってくださいよぉ。
    た:歌うのはちょっと・・・(苦笑)、YouTubeで調べてもらったらわかると思うんですけども、車の名前がポンポン出てくる歌なんです。うちの社長が車大好きなんでカラオケでこの歌をよく歌うんですよ。
    カ:なるほど。つまりこの歌、けしてイメージはよくない・・・(笑)
    た:いやいやいや、別にイメージ良くないわけじゃないですよ!(笑) 
    カ:それは大変失礼しました(笑)
    た:この歌、ダジャレみたいな感じで、車の名前がたくさん出てくるんです。
    カ:ちなみに、よしりんの替え歌はぴったり合ってるんですか?
    た:合ってますね。最後のコロナはもうそのままコロナやったと思いますよ。
    カ:なるほどすげー!さすがやなあ。「やめてもいいコロナ~♪」になってるんや。

  • #3

    希蝶 (月曜日, 01 6月 2020 05:32)

    タッチ&ゴー宣、楽しく読ませていただきました。
    私のしている仕事も、AI化は可能なのかもしれないけれども、一人で独断専行してはいけない、という意味で、人と人とのつながりが必要な仕事なのかもしれない、と思いながらテレワークについての意見を読みました。

    自分の場合、よく人の意見を聞いていない、とか、何も言わずに勝手なことをしてしまう、別の場所へ動いてしまう、というふうに言われます。そういうつもりは本人にはなく、ちゃんと断って行動しているつもりですし、場の空気を「推理」して、自分で考えて、「一を聞いて十を知る」ようなつもりで判断して動いていると思っているのですが、空気を読んで行動する、という言葉の裏には、AIには不可能な、「群体」としての人間のコミュニケーションの領域があって、それが人間を人間たらしめているものなのではないか、そんなことを思いました。

    自分の場合は、これからする行動を全部言葉にして、人に聞こえるようにして意思表明しないといけないのかな、と悩んだりするのですが。AIにはこういう懊悩は生まれないのでしょう。それが人間の面倒臭いところでもあるけれども、だからこそ、心のこもった作業ができる、機械化、マニュアル化された動きではなくて、臨機応変に、その場に合った判断ができる、というような利点も生まれるのだろうと思います。
    パソコンを使用する仕事が中心の職場であっても、その作業場の雰囲気も、「協同」で仕事をしているという職場への帰属感を生み出してもいるわけでしょう。在宅勤務だと複数の企業の仕事を自宅でこなす、というようなことが可能になり、「自分自身」が法人化されてしまうのではないか、それを新しい生活様式だと感じている識者がいるのだとしたら、それは新しいわけでも古いわけでもなく、「1人単位」の会社社会を再構成しているだけで、「私」を中心とした社会であり、ますます個と個を社会から切り離し、「公」への意識を薄くしてゆくのではないのでしょうか。

    一見不合理なようでいても、職人さんの作業は、「多くの先人」の智慧と経験の結晶であって、長い歴史と伝統を重ねた上で磨き上げられてきたものであり、だからこそ機械のこなした「完璧な作業の結果」とは異なる、仕事の成果に対する「心からの感動」が生まれていくわけです。
    人は一人では生きてはゆけない、「集団」あってこその「個」であり、「公」なのだ、そういうことを思いました。そして、機械が機械の判断で動いてしまったら個としての人のみならず、「群体」としての「人間」も不要になるのだから、人間という「集団」の判断あってこその機械の活用、という視点を失ってはいけないのかな、とも思いました。

  • #2

    和ナビィ (土曜日, 30 5月 2020 21:12)

    「カフェ文化創設 有言実行中」の言の通りのタッチ&ゴー宣ですね。
    ゴー宣読んで触発されたこと、即発の感想を述べあうばかりでなく、そしてそこから議論が展開しててく様子が一層あらわれた回ですね。特にAIに関する異論を率直に出し合うことでさらに考えが深まっていくのを、その場に参加しているような気持ちで追いました。

     変な忖度とか馴れ合いなんぞとは無縁、対等でスパッと自らの実感に立つ意見を誠実に言葉にしていく、聴き合い述べ合うことで「自分」の形が把握できるからこそ変わって行ける、---そんな躍動感があります(^-^)9。カフェ文化って素敵だ☆。

     ご指摘のように、今回のゴー宣は「経済的な基盤が弱い人たち・自粛の影響で、仕事のやりがいと食いぶちを失った人こそが本当の弱者だ」を見据えた論。まさに≪強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる価値がない。≫に貫かれていることをズシン!と感じました。

     とりわけ【経済も人の命である! 商売も人の尊厳である! 文化は人間の証明である!】(P66)の言葉に≪人は何を以て生きるのか≫の深い洞察があって震撼します。

     あらかじめ逃げ道を作ったリスクのない言論など価値は無い、リスクのない社会などこの世にはない---私達にも突き付けられた、と思いました。

     それから、最初に出てくる小林旭の「自動車ショー歌」♪聴きましたよー(^-^)/。こりゃ車版・茶魔語オンパレードじゃなかでしゅか;;。この時代にもしょんなノリがあったとね。懐かしい車の名が次々出てきて大笑いでした((>o<));。

  • #1

    青ネギ (土曜日, 30 5月 2020 12:45)

    こんにちは。大変興味深く読ませて頂きました。
    今般の「珍コロナ騒動」で急速にテレワークが日本でも広まった感じですが、そのテレワーク、通勤自体が困難な障害者や自宅を長時間離れることが難しい在宅介護者にも少し分けてはくれぬか?と思いました。
    しかし、テレワークで事足りる仕事でも、ずーっと職場の誰にも会わないでいるというのは、精神的にきつくなるのでは?とも思います。
    また、AI化の推進によって業務効率を良くした分、労働時間を短縮する事も可能では?と思っております。ただし、給料はそのままで。時間的な余裕が生まれれば、その分「文化的な活動」に充てる事が出来るのではないかと期待も持てます。
    しかし、何でもかんでもAIに置き換えるのには抵抗があります。「AIは人間の良き補助的な相棒」との位置付けでの導入が望ましいと思います。