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SPA!9月17・24日合併号第58章「慰安婦問題、つまりこういうこと」

慰安婦問題、つまりこういうこと


SPA!91724日合併号 

ゴーマニズム宣言 第58

 

「慰安婦問題、つまりこういうこと」 

   

カ:今回は第58章「慰安婦問題、つまりこういうこと」。どのように感じましたか?

 

た:僕は、「よしりん先生が好きなカップラーメン」のことが気になりました!

 

カ:いきなり、それを取り上げますか!()

 

た:カップ麺から湯気が出ている描写がすごくリアルで、絵に気迫を感じました()

 

カ:是非とも食べてみたいです!ゴー宣に登場する食べ物は、いつもそう思わせるパワーがある!

  

た:具体的な商品名が知りたいですね。

 

カ:それはともかく、この【タッチ&ゴー宣】の初回は、「伊藤詩織さんの裁判で見えた」の回だったじゃないですか?

 

た:そうでしたね。

 

カ:その時は『弁護士がレイプ被害者の心をえぐる詰問をするのはセカンドレイプである』という認識を共有した一方で『冤罪というものもあるから、証言には裏付けとなる証拠が必要。真偽を確かめることが重要』という話もしましたよね。

 

た:あとでホームページで確認しておきます。確か話してました。今回はまさにそのテーマですね!

 

◆◆◆

 

カ:今週のゴー宣を読んで、いわゆる「従軍慰安婦問題」というのは、現在の価値観を過去に持ち込んで先人たちを糾弾しているところがタチが悪いと感じました!

 

た:現在の価値観である「人権」は、国が豊かになったからこそ成立する概念ですしね。

 

カ:そう。豊かさは「歴史」を経たからこその恩恵であるのに、まだ歴史の恩恵を得ることができなかった時代の先人たちを、「タイムマシーンに乗って裁く」という行為は、人間として卑怯だと思います!

 

た:想像力が無いのでしょうか?「今では当たり前でも、昔は違う」、たったこれだけのことがなぜ分からないのでしょうか!?

 

カ:ゴー宣にも描いてありましたけど、公娼制度は昭和33年まで存在していたんですね。

 

た:結構最近まで、売春は合法だったんですね。それには驚きました。

 

カ:「その先人があって、自分たちの価値観が成立しているくせに、自分たちの価値観を絶対視して、先人たちを断罪する」。私はこのたぐいの「仁義を欠く人間」には虫唾が走ります!

 

◆◆◆

 

カ:そもそも冤罪を着せられているのは自分たちの祖父じゃないですか?物言わぬ死者の代わりに反論するのは国民の務めですよ!

 

た:なるほど。「死者の民主主義」というやつですね。

 

カ:そんな理屈抜きにしても、自分たちのじいちゃんですよ?万が一、犯罪を犯していたとしても、ギリギリまで無罪を信じるのが人情ではないですか!?

 

た:そうですよね!

 

カ:それなのにまるで「犯罪者であってくれ」と願っているかのように断罪する感情が、根本的に理解できないです!

 

た:それは実際に「犯罪者であってくれ」と願っているんだと思います。今週のゴー宣に描かれている通り『日本軍が悪いという結論にするためだったら、理屈はなんでもいい』という感覚なんでしょう。

 

カ:なぜそう思うのでしょうか?どうして『日本軍が悪であって欲しい』と思うのでしょうか?

 

た:「人権とは素晴らしい価値である」「それを大事にしている自分たちは素晴らしい人間である」と思えるからです。

 

カ:かーーー!!!

でも、今の話聞いて、私は『無謬論』を連想しました。「絶対に結論は動かない」という意味でですが。

 

た:確かに、それに近いかもしれませんね。

 

カ:「日本軍が悪であるという結論にたどり着くのなら理由はなんでもいい」となれば、それはもはや『信仰』や『イデオロギー』の世界です。

 

た:史料に基づく歴史とは全然違いますね。

 

◆◆◆

 

た:どうして左翼の人たちは、「強制連行の証拠が無かった」という時点で、自分たちが間違っていたと認められなかったんですかね?

  

カ:そこがダメね。

  

た:カレーさんは、自分が間違っていた場合は、素直に認めて謝れるタイプですか?

  

カ:・・・それ、僕は、苦手かも。

  

た:なんですか!?だったら左翼の人たちと一緒じゃないですか!()

  

カ:・・・うん、そうなっちゃいますね(苦笑)

  

た:もちろん物事によるんでしょうけど。

  

カ:いやいや、だけど、100%自分が間違っていたら、それは謝りますよ。だって仕方がないじゃないですか。

  

◆◆◆

  

カ:ほんなら、たっちゃんは「無謬論」になっている対象はないんですかぁ!?

  

た:えーー、なにかあるかなー?僕は自分で疑い深い慎重な人間だと思っているので・・・。

特に無謬性を感じる対象は無いと思っています。

 

カ:じゃあ、あえてイジワル言いますけど、「天皇」に対しては?

  

た:うわー!!「天皇陛下のなさることならば間違いは無い」という無条件の感覚は、確かにありますね!

 

カ:でもね。それはよくよく考えると、「天皇」に対する長い信頼の実績があるからなんだと思います。

 

た:そうですね。

 

カ:だから天皇に対してある種の無謬性を感じるのは「信仰」ではなく「信頼」なんだと私は解釈しています。

 

た:それが「歴史」ですね。

 

◆◆◆

 

た:ところでカレーさん。「6ページ目の左上のコマ」を見てもらえますか?

 

カ:え?はい、見ました。

 

た:「確かにそういう悪質な業者はいたのだろう。」「だが軍はそのような業者が入り込まないように注意する調達を出していたのだ。」

 

カ:あーーー!!

 

た:『調達』というのは、『通達』のミスですよね?

 

カ:ホンマや!字も似てるね。

 

た:その前のページ。「5ページ目の左上のコマ」を見てもらえますか?

 

カ:あ、はい。

 

た:「移動にせよ、物資の調達にせよ、戦地じゃ軍が関与しなければままならない。」 

 

カ:ここで『調達』使てるやん!()

 

た:もしかしたら、この時に、パソコンの予想変換が残ったのかな。

 

カ:つい2日前に「やっぱり校閲は素人には無理だ」と言われたばかりで・・・タイミングが。

 

た:このまま黙っておいた方が身のためでしょうか?

 

カ:うーん。

 

た:でも単行本では直された方がいいですよね?

 

カ:やっぱり物事に無謬性なんて無いよ!今日も疑い合って生きていきましょう()



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