投稿者:晃明さん
“希望の最期”実現へ「治療中止も可能」強調 終末期医療の指針11年ぶり改定へ
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/900188176.html?page1
回復する見込みが極めて低くなった時、治療を続けるのか、それともやめるのか…。
そうした終末期医療のガイドラインが、この春、大きく変わろうとしています。
超高齢化が進む今だからこそ、避けて通れない大事な問題。何が、どのように変わるのでしょうか。
・・・
「延命治療が絶対的に正しいこと」とは言えない。
そう考える人は案外多いと思います。
ところが「医療現場では、患者が望まない延命治療が続けられてきた」というのは、
実際に個人的な体験からも感じます。
なぜそんなことになっているのか?
それは病院や医師が「訴訟されるリスクを回避するため」でしょうね。
訴訟社会って、
世の中を硬直化させる
側面があります。
そもそも「延命治療をデフォルトにする」のは、
必ずしも本人のためにもならないですし、
「社会的コスト」は看過できないです。
私の父は、
いわゆる「希望表明書」を自筆で残してくれたので、
私も迷わずに済みました。
元気なうちに
「自分の死生観に基づいた延命治療の方針を書いて残す」
ことは必要ですね。
死生観があればの話ですが(笑)
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トマト (金曜日, 17 4月 2026 06:16)
>私の父は、
>いわゆる「希望表明書」を自筆で残してくれたので、
>私も迷わずに済みました。
お父さま、すばらしいです(←もっと違う単語を使いたいのですが思いつかない・・・語彙力の乏しさよ・・・)
身近で思うところがあったのではないかと想像します。
番組も視聴しました。とても良い流れと思います。
ポコ太郎 (金曜日, 17 4月 2026 12:24)
オヤジは大酒飲んで、酔っ払って風呂で亡くなったので、そのような表明書はなかったのですが、オヤジらしい人生やったなと、この歳になって、しみじみ思います
オヤジの告別式には、地元のスナックのママが大勢きましたが、お焼香の後にボクの顔を見るや「あんた、あの人の息子さんやったんや、知らんかった」「あんたのお父さん、大変やったんやで」…この場で言うか!というくらい、大声でオヤジの悪口を聞かされましてね
四十九日法要が終わってから、各スナックに挨拶しに行き、亡きオヤジをママと偲びましたわ〜
そうとう地元でヤンチャしてたみたいですが、そのDNAは今も連綿と生き続けてます❗️
晃明 (金曜日, 17 4月 2026 17:46)
保険証に「延命治療の有無」の記載があれば意思の表明がしやすいと思いますが、個人情報の問題やらで難しそうですね。
病気や怪我で治る見込みがなくなったら、自分のことだったら延命治療は絶対やってほしくないですけど、これが家族だったらどうでしょう。
医者から「治療」と言われれば藁にもすがる思いで何でもやるかもしれません。
なので、家族に延命治療をしてしまう人の心情は痛いほどわかるのです。
英二 (土曜日, 18 4月 2026 16:57)
脳死の状態だったら延命は望みません。
母を延命させたのは間違いでした。本人も倒れる前、喉を切って管入れられるくらいの苦痛はないと言ってたんですが、そのとおりの状態で延命させてしまいました。何十年も悔いが残りますね。
確かに何か意思表示できるものがほしいですね。
sparky (日曜日, 26 4月 2026 06:20)
昨年三月に臨終を迎えた我が母の場合は、まだ元気な頃にテレビの終末医療関連の番組を見ながら「私はこんな風に管をたくさん繋がれてとりあえず生きているだけってのは嫌だからね」と言われたのを一応生前の意思表示として、妹及び医師と相談の上で、私が、胃管の抜去を決めました。
臨終は抜去からおよそ一週間。独断ではないにせよ「自分が手を下した」との感覚は消えません。
医師からは「胃瘻 (いろう)なら一~二年は生きられる」と言われましたが、同時に「心臓の具合が悪いので手術(時の麻酔)に耐えられるかどうかかなり厳しい」との説明を受けて、「意識不明で植物状態」という最悪は避けたいというのが本音だったと思います。
医師から生前の母の意思を問われて、確かに聞いた言葉を伝えたものの「そうはいっても元気だった頃のことだしな…」という逡巡もありました。
選んだ道を歩むしかない訳ですが、諸々の感情が頭から消える事もないのでしょう。
ガイドラインはあった方が良いし、絶えず検討され改められる事が絶対に望ましいですが、見守り見送る側の葛藤がそれで解消されるという事もないのだと思います。それは各自で引き受けて考え続けるしかないのでしょう。