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「遊び」と「遊ばされ」

 

投稿者:和ナビィさん

  

4月に入り、週明けから新学年・新学期が始まります。

 

春休みは朝から小学生が来ていました。

 

おなじみだった6年生達も登校する時は中学生です。

 

この一年に3度も(トラブルで)担任の交代があり大変だった学校生活の様子、2年生の時転校してきて皆と馴染むまでの過程、初めはいじめの筆頭だった子といつの間にか親友のようになって今日ここにいっしょに笑って話していること、・・・珍しく夕方までいっぱい話して行きました。

 

小学生でもその期間には驚くほど悲喜こもごもの経験を重ねてきているのが改めて察せられました。---みんなの「人生は夢だらけ」(♪by椎名林檎)は、まだ始まったばっかり。

 

 

≪「遊び」は面白い!「遊ばされ」はつまんない≫

 

----子供達でも年配になった自分でも結局そうだよなー、といつも思います。

 

自分に湧いてくる遊び、お膳立てされお仕着せの遊ばされ、両者は全く別物。

 

何でもない材料から作る工作・それを使って考えた遊び、また小学生中学生何人も外でボール遊びに興じている、----その顔が声が違います。それを眺めている自分もつられてワクワクしてしまう。

 

 

添付した写真は春休みの子供達の一コマです。

 

厚紙にいろんなキャラを描いてカラフルに色付け、切り抜いてテープでコーティングしてたくさんのカードを作る。それを対戦させたり作話したり延々と楽しんでいました。

 

 

(カレー千兵衛のコメント) 

 

自分に湧いてくる遊び、お膳立てされお仕着せの遊ばされ、両者は全く別物。』は深いですね。

 

やや大げさに言えば、【自由】や【民主主義】においても同じことが言えるのではないでしょうか?

 

 

「与えられたモノ」と「自分で作ったモノ」では、価値が違う。

 

 

ところで、子供たちの工作は、なんというハイクオリティなんでしょう♪♪

 

とても丁寧に作っていて、時間もかかったことでしょう。

 

そう。なにかを作るというのは「過程を楽しむ」が大切ですね☆


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コメント: 6
  • #6

    ポコ太郎 (金曜日, 17 4月 2026 19:16)

    ♯5 和ナビィさん

    白川静さんは、あまり知られていないみたいですが、漢字学を独学で極めたお方です

    以前ご紹介しました、松岡正剛さんも白川静さんのことを書かれた本があります。
    これが非常に分かりやすく、白川研究の入門書にぴったりと思います

    松岡正剛 著『白川静 漢字の世界観』
    https://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E5%B7%9D%E9%9D%99-%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9D%BE%E5%B2%A1-%E6%AD%A3%E5%89%9B/dp/4582854400

    子どもは神様から与えられ、この世に生まれてきたと思いますね
    先日、初孫が生まれたので余計に感じ入ります

  • #5

    和ナビィ (金曜日, 17 4月 2026 09:46)

    >遊ぶものは神である。神のみが遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。

    心踊るような言葉ですね♪。確かに子供は、より「神」に近いかもしれない。白川静先生の漢字の面白さについて書かれた御本を読みたくなってここを通して頼みました。
     上記にある「自由」という字もよく見れば「自らに由る・由来する・由(よし)とする」。誰の物でもない、奪われるもんか(椎名林檎「人生は夢だらけ」の歌詞より)----頑なさとは違うのびやかさを感じます。

     先日のセイエド・アッパス・アラグチ氏の著書「イランと日本」、ポコ太郎さんのご紹介は興味深くて家でもよく話題になります。

  • #4

    ポコ太郎 (水曜日, 15 4月 2026 22:33)

    「遊ぶものは神である…」は、白川静著『文字逍遙』の巻頭「遊字論」の冒頭の有名な一節です

    皇族の方々も、お遊びにお遊ばれるのは、やはり神に近いのだとしみじみ思います

    「お遊ばれる」という言葉はそのような意味でしょうね

  • #3

    ポコ太郎 (火曜日, 14 4月 2026 22:48)

    漢字学者・漢字研究の第一人者・白川静さんは、「遊」という漢字が一番好きだと仰っていましたね。白川先生は没後もう20年経ちます

    「遊ぶものは神である。神のみが遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。…遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる」

    「遊」という漢字は、自分たちの国や所属を現す旗を掲げて、子どもたちが他の土地に進んでいく。子どもたちという解釈ですが、先祖から現代に至る者たちという意味合いもあります。旗を掲げることで、そのアイデンティティに誇りを持ち、身を守られるという考え方もあるそうです

    遊びから多くの学びを得られ、仲間を得られ、人と人のコミュニケーションを得て、イノベーションも生まれる

    和ナビィさんのほっこりする投稿を見て、尊敬する白川静さんを思い出しました

    余談ですが、今、イランとアメリカとの交渉でイラン代表のお一人、外務大臣セイエド・アッパス・アラグチ氏の著書「イランと日本」を読んでいます。ものすごく知的な方。2011年まで約4年間駐日イラン大使をされてました。「イラン人は親日」というステレオタイプではなく、日本・日本人について是々非々で分析されている一級の日本人論だと思いました。またイラン人の考え方もよく理解できます

  • #2

    和ナビィ (月曜日, 13 4月 2026 10:18)

    この子達はこの時2年生、4月から3年生になりました。メンバーも遊びも少しづつ入れ替わっては成長していきます、止まることも固執することもなくサラサラと変化していく、これも「動的平衡」ですかね。

    >やや大げさに言えば、【自由】や【民主主義】においても同じことが言えるのではないでしょうか?(カレーさん)

    ほんとですね。ある考えに染められたまま変われなくなっていたり、あやかったり、見下すことで自己確認とったり-----権力を持つ側・影響力を持つ側・指導的な立場にいるはずの人達の中にも思い当たるフシがたくさん。
    『自分に湧いてくる遊び、お膳立てされお仕着せの遊ばされ、両者は全く別物』 
     ☆いっぱい遊びたいです☆。

  • #1

    英二 (日曜日, 12 4月 2026 23:31)

    私の子どもの頃はパンスと駒でした。こんな器用にモノを1から作ることはありませんでした。強いて挙げればカレンダーとかチラシの裏に鉄人とか描いてたことでしょうか。レベルが高い。