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《意見》日本の食文化を守るなら「和洋中エスニック」の垣根をぶっ壊せ!

 

投稿者:真っ暗くん 

 

さて、令和の米騒動もようやく沈静化しつつある現在、ちょっとした総括としてよく知られている米離れのと魚食離れについて思い浮かびが上がりました。

 

米の消費量は年々減少傾向にあり、魚食も同じく減少傾向にあり、肉類と完全に逆転してしまっています。

 

コメを食べなくなった日本人

https://www.nippon.com/ja/features/h00257/

 

1人当たり年間魚介消費量、過去最低の23.4キロ―20年度 : 薄れる魚食文化、肉の消費は増加

https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01349/

 

原因は様々ですがここで主に語られている共通の原因として

「『伝統』に固執したため」

と言うのが挙げられます。

 

ご存じのように「伝統」とは原理を守りつつ、時代が経過するにつれて柔軟に変化していくもので食文化における伝統とて例外ではありません。

 

実際に米も魚も料理が和食に偏り過ぎてしまい、肉のように洋中エスニックへの転用が広がりにくくなっています。

 

魚食においてもこれが大衆魚(イワシ、サバ、サンマ、サケ、スルメ)となるとより一層、強くなります。

 

魚食の分野ではこの和食に偏り過ぎた「伝統」の固執を反省していまは広く伝わっていない基本の下ごしらえも含めて現在の食事事情に合わせて和食に偏り過ぎた魚食文化を和洋中エスニックに広がるようにしながら普及に向けて取り組んでいます。

 

上田勝彦氏によるウエカツレシピ

https://www.pride-fish.jp/uekatsu/index.html

 

さて、米の話に戻しますが、現在、一般的に食べられている米は単粒米(ジャポニカ種)が主でそのなかでも食感がもち米に近く、おもに関東の気候に基づけば晩秋から晩春の気候に合った食管をしていて、料理も梅雨から初秋の蒸し暑い時期に食べられる料理に比較的不向きです。

 

逆に粘り気が比較的少ない中粒種やササニシキは梅雨から晩秋の気候に合うのか、真夏の暑い時期でも比較的においしく食べられます。

 

平成の米騒動の原因となった平成の冷夏までは粘り気が少ないササニシキも一般的に販売されていた事から暑い夏でも米への抵抗が今よりも少なかったと考えられます。

 

しかし、平成の米騒動以降は粘り気の強い単粒種が日本の米食事情を占めてしまい、猛暑などの気候変動も相まって米の消費量減少に拍車をかけたと考えられます。

 

いちど取り入れて普及した食習慣は気候同様、元に戻すことができない以上、米も生産の現場からして大幅に見直す事はもはや必須と言っていいでしょう。

 

そこで、見直す策として米を

「和、洋、中、エスニック、真夏、粉もん」

にそれぞれ分けて作っていくというのものです。

 

実際に令和の米不足で外米である中粒種を導入したカレー屋ではカレーの味が向上したというニュースもありました。

 

実際に夏に食べるカレーはとろみがすくなく、水っぽいカレーの方が食べやすかったりしますが、中粒種、長粒種でなければ一般的においしく頂く事が出来ません。

 

実際に中粒種や長粒種(インディカ種)は洋、中、エスニックに向いていて、沖縄の伝統的な米料理やタコライスも当時、沖縄が返還される前までは中粒種や長粒種が沖縄で一般的に流通していた米だったからと言う事です。

 

チャーハンも大規模な業務用のガスレンジで大なべをひっくり返さなくとも中粒種や長粒種なら家庭でおいしいパラパラチャーハンが気軽に作れたり、本格的な中華がゆを食べる事が出来るなど、その幅が広がります。

 

これはサラダを含む洋食でも同じです(長粒種はサラダにしても美味しい)。

 

さらに古代米にまで幅を広げれば、粉もんや麺の具材とも相性の良い米も作れるのではないのかと思えてなりませんが如何でしょう?

 

老舗の蕎麦屋などは別として立ち食いうどん、蕎麦屋でそばやうどんを戴いた後に残った麺つゆ、薬味と一緒に頂くご飯があっても良いのではないのかと思えてならないのです。

 

単粒種だけでは難しくても中粒種や長粒種も含めれば可能性は広がるのではないでしょうか?

 

炊いたご飯に限らず煎餅やおかきなどもうるち米に品種改良を続ける、またはさまざな種類の米を掛け合わせる事で、洋中エスニックに向いた煎餅やおかきを作っては食の幅を広げ、米の消費の増加につながると考えます。

 

そこで、提案するのが単粒種に留まらず、世界中から米の種を導入しては品種改良も含めて国内で栽培する米の種類を増やしてはそれまで米の消費における足かせとなっていた和洋中エスニック粉もん麺の垣根を取っ払ってしまう事です。

 

現在でも米粉とは違う、ご飯をパン用小麦にまぜて醤油や和食に会う

「ご飯パン」

がホームベーカリーで作れてしまうし、真夏の暑い日でも夏バテ対策に冷やした甘酒(玄米甘酒ならなおよい)が夏の米の消費減少を抑えるヒントとなっています。

 

実際に江戸時代では夏バテ対策に江戸では真夏に冷やした甘酒が飲まれていました。

 

伝統は大事であり、原理を忘れてはいけませんが、固執するあまりに歴史を含む世界観を狭めてしまっては伝統は生かされずに慣習は廃れてしまってお終いです。

 

米に限らず、ありとあらゆる慣習、文化を世界各国からどん欲に取り入れて自国、地元のものにしてしまう楽しさこそが伝統を継続させて文化を発展させていく上で最も大切な事なのではないのかと思いますがみなさま、如何でしょうか?

 

米に限らず気候変動が激しい反面、自然が豊かな日本において国内で栽培させて普及させる事が出来る食材はいまでも世界に山ほど眠っているのです。

 

 

(カレー千兵衛のコメント) 

 

料理には「歴史」があり、長く続いてきたという「伝統」もあるわけですが、

 

同時に、料理ほど大胆な「革新」を続けてきた文化もないですね。

 

そういう意味では【米】の可能性を追求する意味で「革新」していくことは「食文化」として正しいと思います。

 

 

文化の継続には

「保守」と「革新」の

両輪が必要ですね。

 

 


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