≪報告≫ 民間震災ボランティアに参加したので報告します

 

投稿者:リカオンさん 

 

4月7日主人に誘われて、民間団体が運営する能登震災ボランティアに参加しました。

 

私はこれまで公的機関主催のボランティアのみ参加して来ましたが、甚大な被害のわりに募集人数が少ない事に疑問を持っていました。

 

募集が少ない理由の一つとしてアクセスが困難で現地までの移動に長時間かかるという問題点があげられています。公的機関は限られた道路を大型バスでまとめてボランティアを現地に送ることで対応しています。

 

そこで民間ボランティアは現地に入りこみ、宿泊場所を自分たちで確保し独自に活動をしていました。

 

もちろん被災地に負担がかからないよう自己完結が必須で、それは過去の東日本大震災や熊本地震などの支援のノウハウが役に立っている様です。

 

その一つの団体に主人は3月の数日間行動をともにし関係を築いていたので、私も誘われて参加してきました。

 

 

今回は公的ボランティアと民間ボランティアの違いに着目しながら報告します。

 

 

 

 

活動内容ですが、石川県や富山県の募集では災害ゴミの搬出、支援物資の仕分け、炊き出しや農林水産業の支援があります。

 

この民間団体も同様の支援の他に支援物資の配達、家屋補修大工の手伝い等もしており、その時々のニーズに合わせてあらゆる活動をしていました。

 

 

(イラスト:拠点事務所)

 

七尾市で借りているという事務所に主人の軽トラックで乗りつけると、数人の若者が泊まり込み、人が入れ替わりながら運営していました。

 

年齢は20代〜30代が中心です。女性は半分弱ほど。

9時からブリーフィングがあり、自己紹介と本日の予定の説明。

 

午前中は七尾市で農業支援と災害ゴミ搬出の2組に分かれて作業。私は農業支援組に、主人は災害ゴミ組に。

北陸はGWに田植えをしますので、今のうちに田んぼの補修や育苗を始めないとシーズンに間に合いません。

 

 

(拠点古民家)

 

15分ほど車で移動した先の農家で、育苗用のトレイを作る作業をしました。

 

ベルトコンベアをトレイが移動する間に土、水、種もみ、肥料入り培養土の順にのせて行くので、ベルトコンベア上部のロウトに土、種もみを切らさないよう次々と投入。

 

私は種もみを担当し、保管しているビニールハウスへ数kgの種もみの袋を取りに往復し、ロウトに種もみを入れる。

 

同時に隣のロウトの土を金網で細かく砕いて投入する作業を繰り返しました。

 

午前中に1.5haの田んぼに植える分の育苗トレイが出来上がりました。

 

 

(種もみ)

 

他のメンバーがコンビニにお弁当を買いに行っている間私は古民家にて持参した弁当で先に昼休憩。

 

食事の終わった人は午後の仕事が始まるまでの間仮眠をとったり、ノートパソコンを広げてニーズを整理し予定を組んだり、思い思いの時間を過ごしていました。

 

 

(古民家内部)

 

この古民家は井戸水、ガス、薪もあり、五右衛門風呂も薪で沸かす事ができ、水道が止まっている間も生活に困らなかったため、ボランティアの拠点として使われたそうです。

 

現在の拠点はコンビニ近くの貸し事務所に移り、現在古民家の方は道具置き場や休憩所として使われているそうです。

 

午後からまた2チームに分かれてそれぞれ別の家の災害ゴミを搬出します。私達のチームは中能登町のお宅へ行きました。

 

沢山の畳が庭に山積みとなっており、軽トラックに積んでいきます。

 

20枚も積むと300kgほどとなり、軽トラックのタイヤのパンクが怖いのでこの程度に。

 

私はyoutubeを見て練習して来た南京結びで荷崩れないようロープで固定。

 

家の中にはまだ捨てたい家具がたくさんありますが、軽トラックは畳だけでいっぱいです。

 

 

(畳搬出)

 

軽トラックをそろそろと運転しやっと15時20分に辿り着いた災害ゴミ集積場は残念ながら閉まっていました。

 

受付は15時まで。

 

残念!閉まるの早いよ。

 

下調べ不足でした。道路周辺に咲き始めた桜が慰めてくれます。 

 

(桜)

 

主人達のチームは大型冷蔵庫を搬出しに。

 

そこは以前観光で訪れて次回こそ利用しようと思っていた七尾の食堂。店舗は見かけ無事そうでしたが、営業の見込みはたっていないとの事。主人達はそこの冷蔵庫を集積場へ運搬。

 

その後私達のチームが行ったお宅に立寄って残りの災害ゴミを積み、拠点事務所で合流しました。

 

主人の軽トラックを含む2台の災害ゴミを積んだトラックは明朝、集積場に行く事になったので主人は帰らずに他の若いメンバーと宿泊し、明日またボランティア活動を継続することになりました。

 

 

そのため明日仕事のある私だけ七尾線を乗り継いで富山に帰宅する事に。

 

七尾駅〜金沢駅は既に1月22日には運行再開しています。

 

七尾駅より北の穴水駅までは昨日4月6日から運転再開されたばかり。鉄道も着々と復興して来ています。

 

 

(七尾線)

 

◆◇◆◇◆◇

 

今回参加した民間ボランティアはこの様に独自に宿泊する拠点を開拓し、資金や物資、人を集めていました。

 

人は流動的で、ニーズの拾い集めは口コミやインターネットを使って行っていました。

 

活動の立案はボランティアメンバーが話し合いながら進めており、1日にいくつもの要望に応え、数ケ所を回ったり、異なる作業をしたりと柔軟です。

 

バスボランティアのように金沢からの移動時間がない分、長時間を支援作業に充てる事ができます。

 

同じ場所の作業が複数日になった場合も従事者が全員入れ替わるわけではないのでスムーズに引き継ぐ事ができます。

 

若者中心なので学生は春休みなど学校の休みを利用して来ます。

 

平日の中心メンバーはニート、海外や日本じゅうを旅している若者、メンバーの友人、就職活動の合間の人など様々でした。

 

 

以上民間ボランティア初参加の報告でした。

 

主人は他の民間ボランティアにも参加しており、彼の体験談は参考になります。

 

政治的な関わりや宗教的な関わりある団体は避けたいと夫婦で話し合っています。

 

また、ボランティアを通じて気づきがあれば報告します。

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント) 

 

リカオンさんご自身も富山県にて被災された身でありながら、石川県の復興ボランティアに尽力されていて、頭が下がります。

 

そして今回は公的ボランティアと民間ボランティアの違いについてもご報告いただき、大変興味深かったです。

 

人体において「ケガ」をした際、様々な機能が「治癒」に向かって働くと聞きます。

 

「国家」を人体となぞらえた場合、自然災害によって「負傷」した箇所を、「治癒」しようと働き出す機能が「国民」なのかもしれないですね。

 

 

 

 

 【関連記事】

 

≪報告≫ 輪島市の震災ボランティアに参加しました(2024年4月1日) 

 

≪報告≫ 七尾市の震災ボランティアに参加しました(2024年3月25日) 

 

≪報告≫ 中能登町の震災ボランティアに参加しました(2024年3月10日) 

 

≪報告≫ 震災ボランティア2回目に行って来ました(2024年2月4日) 

 

≪報告≫ 災害ボランティア活動をしてきました(2024年1月27日)


↓(スポンサーリンク)↓



コメント: 7
  • #7

    おおみや (月曜日, 15 4月 2024 21:01)

    #6 実家はこれ程の見事な古民家ではありませんが、初代の生年から考えると1890年頃には基本の部分が出来ていて、昭和中期には天井部分の吹き抜けスペースが天井板で埋められ囲炉裏も無くなり、私が知っているのはその頃からです。ではあっても、居間の真上には煙排出の空きスペース構造が残っていて、梯子で登れたのでたまに冒険してみるとススで真っ黒、ずっと昔は囲炉裏からの煙を上に逃がして屋根から出す必要があったその名残でした。増築部分を含めても正方形に近いですし、最初に建てられた部分の柱の太さなどを思い起こしてみると確かにしっかりした造りでした(今回の地震では震度5強地域、更に山のしっかりした地盤により長周期な震動とはならずに済み屋根瓦すら被害無く)。同じく昭和中期には屋内型五右衛門風呂や調理場・別室の増築、平成初期までは薪で風呂沸かし。風呂に使っていた水は5メートル横を流れる小川の上流から独自に引いていた水道からで、今回の地震による断水時にもそれが生きていて生活用水には全く困らずに済みました。地区内は小川が多い地域で皆さんは小川を板で堰き止めてバケツで汲んでなんとかしのぎ。そんな中、蛇口をまわすと水が出る家は殆ど無く、うちに限っては(ご先祖様、ありがとうございます)でした。
    ただ…細い路地を曲がりながら登った斜面のため、昭和時代にもトイレの汲み取り車のホースが届かず…自力で汲み取りが続いていました。更に…歩くと床板がミシッミシッと音をたてるトイレ、その薄い板が割れると下に落ちる恐怖感、照らすは暗い裸電球。
    『夫婦の絆』でも出てきた古い時代の日本家屋の暗さの感覚もよくわかる気がしています。
    今はトイレは水洗化、風呂はガス化されています。

    (大幅に話がそれましたが)特にこれからの季節は熱中症にも気をつけながらのミッション、御主人様や仲間の皆様におかれましても引き続き無理なくよろしくお願い申し上げます。

  • #6

    リカオン (日曜日, 14 4月 2024)

    皆様コメントありがとうございます。

    #1 おおみやさんのご実家は古民家なのですね。茅葺き屋根のどっしりとした民家は新しい家よりもあの揺れに耐えたのだと感心しました。太い柱や梁、根太ががっちりと骨組みを構成し、揺れをものともしなかったのでしょうか。先人の技術に脱帽です。

    #2 あしたのジョージさん、昔、運送業者がいとも簡単に南京結びでトラックにロープをかけているのを見て、スゴイ!かっこいい!ぜひできるようになりたいと思いました。
    同僚の男性もチャレンジしたけどすぐにほどけてしまうと、運送業者はドヤ顔で再び鮮やかに結びを決めました。その頃はまだyoutubeのない時代でした。

    今回の現場では唯一南京結びができる男性が「ロープワーク!」と呼ばれあちこちトラックで結びまくっていました。やはりこれは是非とも会得すべき技だなと再確認。そして今はyoutubeという便利なものがあり、超ベテランの方が嫌がらずに何度でも繰り返し教えてくれる事を思い出し、早速教えを乞うた次第です。

    #3 サンさん、私もボランティアして帰宅すると家の中に物がやたら溢れており、家の片付けしないと子どもに迷惑がかかるなあと思いました。それで主人も同意見で終活を兼ねて少しずつ物置の使わない家具を壊してはゴミに出しています。

    #4 パワーホールさん、たまたま今回自分に近いところにいるからできているので、これまで一度もボランティアに行った事はないです。できる範囲でできる事をすればいいと思います。できる事の一つには関心を持つ事もあるのだと思っています。

    #5 ヤンさん、ゴミの受け入れが早く終わる理由は予想ですが、受け入れの後、業者に引き渡したり、片付けをしたり色々時間が必要なのだろうなと想像しました。どこも人手は足りないし、仕方ないと諦めました。また民間ボランティアは公的ボランティアに比べると情報収集能力や調整能力が未熟なのでどうしてもこういうプチトラブルはつきものかなと思います。

  • #5

    やん (日曜日, 14 4月 2024 19:24)

    リカオンさんのご家族ぐるみでのボランティアは本当に頭が下がります。
    ありがとうございます。

    ゴミの受け入れ終了確かに早すぎますね。
    災害ゴミなのだから、いつもより長く受け入れてくれてもいいのに。

    くれぐれもお身体に気をつけて活動なさってください。

  • #4

    パワーホール (日曜日, 14 4月 2024 17:23)

    リカオンさん
    幾たびにも及ぶボランティア参加、本当に恐れ入ります。
    自分に至っては今回の震災や台湾での地震への募金すらほとんどできずじまいであり申し訳ない気持ちです。

  • #3

    サン (日曜日, 14 4月 2024 17:11)

    リカオンさん、ご家族様、本当に頭が下がります
    いつも興味深く読ませていただいております

    災害ゴミの搬出、一筋縄ではいかないのですね。環境や法律を鑑みれば当然とはいえ、あらためて物を捨てるというのは大変なことだなと考えさせられました。災害時に限らず、もう少し捨てやすくなればいいのにと勝手ながら思ってしまいます、そうでないと物を買わない方が合理的に行き着いてしまうかもしれないので。。

  • #2

    あしたのジョージ (日曜日, 14 4月 2024 14:20)

    リカオンさん、被災地ボランティア活動リポートありがとうございました。
    今回は民間団体のボランティア活動だったんですね。
    公的機関のボランティア活動との違いがよくわかりました。
    移動時間等が少ない分、本来の活動に時間が掛けられる利点があるんだなぁと思いました。
    しかし何でもトライする姿勢が素晴らしいですね。 
    南京結びまで覚えて。
    昔、草刈り作業のアルバイトをしましたが、その際トラックの荷台に草を積んで板などで囲ってひもを結ぶのですが、その結び方が覚えられませんでした。
    お恥ずかしいですが。(⁠╯⁠︵⁠╰⁠,⁠)
    田植えの手伝いまでするとは思いませんでした。
    ただただ頭が下がります。

  • #1

    おおみや (日曜日, 14 4月 2024 13:35)

    幼き日、ゴールデンウィークの田植え、お手伝いに明け暮れてふとニュースで「全国の高速道路、行楽地への渋滞」に(なんで~)、それも今となっては良き思い出です。古民家内部の左・前・右や上の黒ずみの感じ、これぞ正に能登の家です。
    農地修繕ボランティアはニュースで見ておりましたが、こうした活動もある事は初めて知りました。南京結びも駆使され、細かい気配りが行き届いたその活動に感謝です。生業の日常復帰にも力を貸して頂き、ありがとうございます。

    鉄道の全線復旧が能登鹿島駅(別名=能登さくら駅)の桜満開及び新学期の通学に間に合った事も喜ばしく。セブンイレブンで売っていた北陸4県鉄道応援企画の本「北陸応援パーフェクトガイド/飛鳥新社」には、のと鉄道社長のロングインタビューが載っておりました。