「光る君へ」まひろと道長のラブシーンに大反響

 

投稿者:まいこさん

  

「光る君へ」第10話、古今集の和歌に陶淵明の漢詩で応じる恋模様が描かれました。

 

『光る君へ』“まひろ”吉高由里子&“道長”柄本佑のラブシーンに称賛続々「こんな大河初めて」

https://news.yahoo.co.jp/articles/d5f32758667214434a31a236dffc17b731393f9c

 

元記事

https://www.crank-in.net/news/142840

 

 

道長はまひろへの恋心を和歌に託した文を送る。受け取ったまひろも思いを漢詩の乗せた文を返す。

 

文のやりとりが続く中、道長が情熱的な言葉を書き続けると、まひろの気持ちも徐々に高まっていく。

 

***

 

道長

 

思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 色には出でじと 思ひしものを

 

そなたを恋しいと思う気持ちを隠そうとしたが俺にはできない

 

 

 

まひろ

 

既自以心爲形役 既に自ら心を以って形の役と爲す

 

これまで心を体のしもべとしていたのだから

 

奚惆悵而獨悲 奚ぞ惆悵として獨り悲まん

 

どうして独りくよくよと嘆き悲しむことがあろうか

 

 

 

道長

 

死ぬる命 生きもやすると こころみに 玉の緒ばかり あはむと言はなむ

 

そなたが恋しくて死にそうな俺の命 そなたが少しでも逢おうと言ってくれたら生き返るかもしれない

 

 

 

まひろ

 

悟已往之不諫 已往の諫められざるを悟り

 

過ぎ去ったことは悔やんでもしかたがないけれど

 

知來者之可追 来者の追う可きを知る

 

これから先のことは 如何ようにもなる

 

 

 

道長

 

命やは 何ぞは露の あだものを 逢ふにしかへば 惜しからなくに

 

命とは儚い露のようなものだ そなたに逢うことができるなら命なんて少しも惜しくはない

 

 

 

まひろ

 

實迷途其未遠 実に途に迷うこと其れ未だ遠からず

 

道に迷っていたとしても それほど遠くまで来てはいない

 

覺今是而昨非 今の是にして昨の非なるを覚る

 

今が正しくて 昨日までの自分が間違っていたと気づいたのだから

 

 

 

恋歌に漢詩が戻ってくる状況に戸惑った道長は、同僚の行成に相談、

 

「和歌は人の心を見るもの聴くものに託して言葉で表し、漢詩は志を言葉で表す。

 

志を詩に託しているのでは?」というアドバイスで、自分の言葉を送ることに。

 

 

 

道長

 

我亦欲相見君 我も亦た君と相見えんと欲す

 

***

 

このストレートな志をもって、二人は相まみえることに。

 

一族の決起を前にして、京から共に逃れることを求める道長に対して、まひろが小さな幸せよりも、「世の中を変える」宿命に従うように促した後、大河史上もっとも美しく大胆な場面が展開。

 

二度と大切な者を失いたくない私的な動機が、理不尽なことが罷り通らないよう

 

「世の中を変える」公的な志となり、恋愛感情をも俯瞰で見てしまうヒロイン。

 

千年の後に作品が残る人物の描写とは、かくあるべきなのでしょう。 

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)   

 

まいこさんの高貴なコメントの後に、カレーせんべいが次元の低いコメントをしてしまうのですが。

 

大河史上初のラブシーンが流れたことで・・・、我が家の食卓は地獄でした。

 

娘は16歳。

 

男女の機微を親子でフランクに話せるような現代風の関係性を、私は築いていないんですよね…。

 

 

き、気まずかったぁ。


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コメント: 9
  • #9

    さおりん (水曜日, 13 3月 2024 20:06)

    息を呑むシーンでした。まひろ役の吉高由里子の心情の動きの表現が見事でした。柄本佑の表情も良かった。さすが、NHKで「セカンドバージン」を執筆した大石静氏です。日曜日の20時台でこの表現はかなり攻めてますね。民放だったらスポンサーに忖度して、こうはいかなかったと思います。

  • #8

    グッビオのオオカミ (火曜日, 12 3月 2024 21:24)

    実は私は勤務時間と合わないので、あまり番組を見れ無いんですよ(笑)
    家内はよく見てますけど。
    ところが、帰宅してその場面を見ましたが、
    「うわ、エロい!」
    と、思いました。
    あの「含み」の持たせ方が上手いですね。かえって色々と想像させます。

  • #7

    パワーホール (火曜日, 12 3月 2024 20:46)

    私も部屋にテレビがないのですが、大河でラブシーンとは斬新ですね。実家に住んでいた時に、「真田丸」・「おんな城主直虎」・「西郷どん」を見ていましたが、この三作はホームドラマ要素が強かったですね。(うち2作が最終回前半で主人公死亡という意外な展開なのも驚きでした。)ホームドラマがありならラブシーンもありだと思いますし、戦国と幕末のばかりではマンネリ化も否めませんし。

  • #6

    まいこ (火曜日, 12 3月 2024 20:44)

    投稿採用とコメントいただきありがとうございます。
    日曜夜8時のラブシーン、お茶の間は大丈夫?という意見もあったようですが、家族で一緒にドラマを観ていて気まずい…ということ、平成、昭和には、もっとあったような気がします。これも『よしりん御伽草子』のような情操教育になるのかも。美しい復讐、本当にそうですね。

    まひろの装束、山吹色の袿(うちぎ)の下の紅い小袖(下着)姿が艶めかしかったですね。あさイチに出演されていた詮子役の吉田羊さんによると、リハーサルの際は軽い着物(おそらく小袖と長袴)で、撮影の際に、さっと10分ほどで10キロほどの重い衣装(単衣、袿(五衣 いつつぎぬ)、唐衣を重ねてセットしてあると思われます。)を身に付けるのだそうです。重ねた衣は、当時は掛布団のような役目も担っており、案外とスルっと着脱できるようで、『源氏物語』の「空蝉」は、「やをら起き出でて、生絹なる単衣を一つ着て、すべり出でにけり…かの脱ぎすべしたると見ゆる薄衣を取りて出でたまひぬ」薄衣を残して光源氏から逃れるシーンがあります。

    サントラCDの御紹介ありがとうございます。ファンサイト経由で買ってみたいです。
    古今集と陶淵明、御二人の書いた文字と台詞から原典に辿り着きました。『枕草子』の「草の庵」も男性の漢詩に女性は和歌で応えているところ、ドラマは男女逆転なのが「雨夜の品定め」で漢詩の得意な女性を描いた紫式部らしく。御紹介の漢詩、今後、登場しそうな情感がありますね。

  • #5

    ひとかけら (火曜日, 12 3月 2024 13:55)

    良かれと思って役人に賄賂を渡して直秀が助かると思っていた道長の期待は裏切られた。
    道長は権力の限界を感じ血で血を洗う闘争に嫌気がさしたのではないだろうか。直秀の遺体を前に号泣し、まひろは道長に寄り添おうと抱きしめる。前回は二人が精神的に一体となってましたね。
    道長が情熱的な和歌を読んでも、まひろは何処か俯瞰的で冷静な漢詩を読む。まひろは道長に世を変える宿命を説き自身の母が殺された無念だけではなく権力者の横暴に泣く庶民を救おうとしている。これは美しい復讐と呼ぶべきでしょうね。
    まいこさん文字起こしありがとうございます。驚嘆する集中力と文章表現です。

  • #4

    あしたのジョージ (火曜日, 12 3月 2024 12:44)

    平安時代の身分の高い女性は、かなり重ね着をしている印象がありますが、キスぐらいなら今と変わらないと思います。
    ですが、いざチョメチョメになったらかなり面倒臭そうです。
    服着てるにもほどがある!と思います。
    と言ってますが、又ながら見してよく見てなかったので土曜日の再放送を録画して後からよく見たいと思います。

  • #3

    ねこ派 (火曜日, 12 3月 2024 10:52)

    私は、家にテレビがありません。東日本大震災と同じ年、テレビが地デジに、完全移行となったでしょう。その機会にテレビ視聴を止めて、そのままになっています。だから、NHKも大河ドラマも、全然、見ていないわけです。なので、このサイトで、今年の大河ドラマについて、いろいろ知ることが出来るのは、とてもありがたいです。ラブシーンで、ヒロイン・まひろ(紫式部)に、陶淵明の漢詩『帰去来辞』を詠ませているのですね。対して、相手の道長は、和歌で応える。あの時代は、確か、男は漢詩文に秀でていないとダメで、漢詩文は、出世にも関わる、必須の教養だったはず。なのに道長は、まひろの意図がいま一つ分からなかったようで、同僚にアドバイスを求めているのが、可笑しい。三男坊だからかな? まひろが、漢詩文に長けているのは、分かります。幼少の時分、隣の部屋で、兄が教師から漢詩文の授業を受けていたのを、耳を欹てて聴いていたまひろが、兄に先んじて暗誦してしまった、というエピソードが、今に伝わっているから。紫式部は、千年以上前の日本女性ですが、西洋のクラシック音楽で言えば、モーツアルト並の才能の持ち主だったのでしょう。で、まひろは漢詩文に長けているというのもあって、道長との逢瀬において陶淵明の漢詩を選んだのでしょうが、陶淵明って、さらに遡ること数百年、4、5世紀のシナの漢詩人ですけれど、調べると、エロい漢詩もあるのです。『閑情賦』っていうのですけれど。その中には、次の文句が。

    願在衣而為領  願はくは衣にありては領と為り
    承華首之餘芳  華首の餘芳を承けん
    (願わくばそなたの衣の襟となって、首の香りをかいでみたい)

    願在裳而為帶  願はくは裳にありては帶となり
    束窈窕之纖身  窈窕の纖身を束ねん
    (願わくばそなたの裳の帯となって、そなたのか細い腰を束ねてみたい)

    願在髮而為澤  願はくは髮にありては澤となり
    刷玄鬢於頽肩  玄鬢を頽肩に刷はん
    (願わくばそなたの髪に塗る油となって、そなたの髪をとかしてみたい)

    願在眉而為黛  願はくは眉にありては黛となり 
    隨瞻視以閒揚  瞻視に隨って以て閒かに揚らん
    (願わくばそなたの眉に塗る黛となって、そなたの視線の動きに従い自らも上下してみたい)

    願在莞而為席  願はくは莞にありては席となり
    安弱體於三秋  弱體を三秋に安んぜん
    (願わくば蒲のむしろとなって、そなたのか弱い身体を秋三月の間休ませてあげたい)

    願在絲而為履  願はくは絲にありては履となり
    附素足以周旋  素足に附きて以て周旋せん
    (願わくば生糸で編んだ履となって、そなたの素足とともに歩んでみたい)

    ……
    まひろは、間違いなく『閑情賦』を知っているでしょうね。道長は、どうかな?
    『閑情賦』は、情を閑める(しずめる)賦(うた)、という意味で、今列記した、女性への抑えがたい恋情は、故あって達成されない、ということになるみたいです。
    だから二人は、今回の逢瀬が最後で、別れてしまうのでしょう。

    参考までに
    閑情賦:陶淵明のエロティシズム
    https://tao.hix05.com/203kanjohu.html

  • #2

    リカオン (火曜日, 12 3月 2024 09:06)

    まいこさんのガイドブックより詳しい和歌、漢詩の現代語訳と解説つき!なんと贅沢なファンサイトでしょう!

    男性側は和歌による恋文のやり取りを面倒くさがる挿話もありましたが、まひろと道長がお互い惹かれ合う描写があり、それを踏まえての道長の恋文。和歌と漢詩のもどかしいやり取り。漢詩で返してやっとまひろの真意と心を掴んでのラブシーン。なかなか見応えありましたね。

    個人的には花山天皇が騙されて出家するシーンがハイライトと予測して、どう描かれるのか興味を持って視聴してました。

  • #1

    おおみや (火曜日, 12 3月 2024 08:04)

    まひろの表情からどう読み解こうか?と観ておりました。

    そこまでの繋がり、まいこ様の流石の文章構成力ですっきり収まりました。私自身の力では纏め切れなかったところ、こうしてガイドしてくださり(それぞれの力、そんな人としての営みの喜び)をも感じ。
    ストレートに向かってきてくれる、さてどうしよう?はきっと多くの女性が知っておられる処、これ以上は男性である私が何を思い何を見た(つもりになった)ところでそれはきっと野暮かつ永遠の謎…ですね。
    先日、「あれ?いつの間にかサントラが出てた!」で購入し、今は音楽プレーヤーと共に街歩き。主題曲が終わり間際に入っているその構成の意図とは?とかを考えつつ。