≪考察≫「日本は法治国家である」という常識が大衆に著しく欠けていることについて

 

投稿者:なおジョカさん

  

 

以前にも書いたことがありますが、僕は連鎖販売取引(いわゆる「ネットワークビジネス」)の会社のコンプライアンス担当をしております。

 

業界的に、「悪徳マルチ」的行為により一般的な評判はあまりよろしくありませんので、法令遵守により業界のイメージアップをはかろうという動きが活発です。

 

そのため、定期的なコンプライアンスセミナーが当該協会で実施されています。

 

本日、そのセミナーを受講して、良い学びがありました。

 

会社VS消費者の法的な争いについて、弁護士から学ぶ機会がありました。

 

 

一つの事例として、ある高齢消費者の家族から、過去10年分全ての取引の返金を求める訴訟を起こされた、という会社からの相談に、弁護士が答えていました。

 

このようなケースは、ほとんどの場合、会社が有利な立場で推移するそうです。以下がその理由です。

 

裁判所は、消費者側の立場を取りやすい「消費生活センター」とは全く異なる。

裁判所は、消費者側の請求が法律に基づいて成り立つかを厳密に審査する。

すべての取引において、会社側の不実告知(事実ではないことを告げて商品を買わせる)を消費者が立証することはほぼ不可能である。

会社が判断力のない消費者に無理やり買わせた、会社が消費者の不安を煽った、等の行為を消費者に対して行ったことを、消費者が立証することはほぼ不可能である。

 

①詐欺による取消、②錯誤取消、③公序良俗違反、④不法行為、等の主張がなされることが一般的であるが、いずれも裁判所に受け入れられるような提示を消費者側が行うことはきわめて困難である。

 

以上のような理由です。

 

消費者側が、会社の明らかな法律違反行為の証拠を持っていて、社会的にも深刻な問題になるようなケース(統一協会みたいな)は別ですが、まっとうな会社VS消費者のケースであれば、会社は消費者からの訴訟を過度に恐れなくてもいいのではないか、という話の内容でした。

 

 

僕が特に印象に残ったのは、「裁判所は法律に基づいて厳密に審査する」ということです。

まあ、ごくごくごくごく当たり前のことではありますが!

 

リテラシーの高いゴー宣ファンが読まれるので誤解を恐れずあえて書きますが、この話における、消費者側の立場を取りやすい「消費生活センター」とは、自称被害者の証言を鵜呑みにする週刊誌やマスコミに当てはめられると思いました。

 

連鎖販売取引の会社は、消費生活センターに寄せられる消費者のクレームを恐れますが、しかしながら、彼らが直接的に会社を罰することはないということもよくわかっています。

 

しかしながら芸能界においては、週刊誌やマスコミの力が、法律を飛び越えて当事者をキャンセルし、社会的に抹殺してしまうのです。これは恐ろしいことです。

 

松本人志が法的に訴えたことは大正解だったと思います。

 

週刊誌や大衆がどんなに誰かを自分勝手に断罪しても、裁判所は、少なくとも今回のようなケースでは、週刊誌や自称被害者の主張が「法律に基づいて成り立つかを厳密に審査する」はずです。(国家権力の力が働く場合等はこの限りではないかもしれませんが。)

 

一昔前は、訴訟国家のアメリカは息苦しいなどと言って、争いを好まない平和な日本を僕たちは謳歌していましたが、そのような時代は終わったのかもしれません。

 

不文律や常識が通じない大衆が増えてしまった以上は、しっかりと「法律」によって白黒させることが大切です。

 

そのような事例をたくさん見て、ようやく愚かな大衆は、「おお、おれたちってそう言えば、ホーチコッカに生きているんだ」という常識に気づくのかもしれません。

 

キャンセルカルチャーがここまでまかり通るようになってしまった以上、僕は法と論理で淡々と裁く社会を望みます。

 

そのような事例を重ねない限り、愚かな大衆はキャンセルカルチャーの異常さに気づかないのではないでしょうか。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

この投稿は色々と考えさせられました。ありがとうございます。

 

本来私は「法的に決着をつける」というのはあまり好まないです。

 

事の善悪は「法」ではなく、「道理」という不文律で決めれば良いと思うからです。

 

しかし、昨今の「キャンセルカルチャーの惨状」及び「コロナ全体主義の無惨」を目の当たりにすると、やはり日本人は「法治国家」を目指すべきだと思うようになりました。

 

なおジョカさんの考察に賛同します。

 

 


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コメント: 7
  • #7

    ももこ (日曜日, 18 2月 2024 06:09)

    なんか、消費者センターとキャンセルカルチャーを同一視して、消費者センターが全て法律に基づいていないような解釈になっているが、ちょっと違うのでは。

    マルチ商法で買ったものを、法律上既にキャンセルできない状態になっているのに、それでも、キャンセルしたいお客さんが、消費者センターの手を借りてキャンセル交渉をしてくるのが、マルチ商法の会社としては「法律上でのキャンセルできる期限をすぎているのに、キャンセルの手助けする、商売の邪魔」な存在なのでしょう。

    マルチ商法に限らず、商品知識がない人がターゲットにされて、変なものや高いものを買って後から後悔するのはよくある事で、
    たとえ法律上問題なくても、原野商法や投資用マンション、儲からない投資等も法律上は問題なくても、「変なものを高い値段で買ってしまった」と後からキャンセルしたいお客さんは沢山いるでしょう。
    消費者センターを「法律上キャンセルできなくなっている契約なのに、お客さんと一緒にキャンセルを頼んでくる」と商売の邪魔と見るより、
    そもそも勧誘方法や法律上の話以前に、お客さんが買って喜ぶ商売ではないと、
    購入後のキャンセルや消費者センターに駆け込むお客さんは中々減らないのでは。

  • #6

    新米派 (日曜日, 18 2月 2024 01:13)

    法律と習律が平衡を保っている社会を我々は希求しています。けれども、大衆の気分支配が高じた結果、習律による社会的制裁が幅を利かせ法律による法的制裁の位置付けも不安定になっている状況にあっては、ルール感覚の重要性を国民に迫る意味でも「法の支配」に加えて「法治主義」を敢えて掲げることは意義があると自分も思います。

    自分も含め多くの国民はマルチ商法とねずみ講の違いをよく判っていません。多くの客を連れてきてくれるお得意さんに特別サービスするのは当然な一方、ねずみ講に利用する以外ではメルカリでも売りようがない会員権/販売権は違法です。我流の理解ですが、その商品の売買の利ザヤが一般市場での利ザヤとかけ離れていくほど、事業持続性の観点からマルチ商法からからねずみ講に近づくのだと考えています。とは言え、「一般市場での利ザヤ」など精確に算定できないので、マルチ商法そのものは合法化せざるを得ないのでしょう。
    いずれにしても、ねずみ講との違いも判らない消費者とマルチ商法の細目や立件化のラインに精通している企業とは、情報の非対称性が著しいということがトラブルの一因でもあり(悪く言えば)企業側の儲けどころでもあります。

    それぞれの事情の差異を捨象して安易に類推して良いのかは微妙なところですが、原作改変問題に端を発した≪作家と出版社・テレビ局≫、最近ニュースになった≪タレントと芸能事務所≫、ハラスメントや内部告発での≪社員と会社≫――などについても、一方は組織として顧問弁護士や法務部を抱えているけども、もう一方は個人として本業に専念したいだけで法律や業界事情に明るいわけではない、といった非対称性があります。

    こうした状況で法治を前面に押し出すと、大企業/権力者が有利となり零細事業主/一般素人が不利となってしまい易いのではないかとも危惧します。多くの国民は順法精神はあってもリーガルマインドが備わっているわけではありません。それゆえ、「深刻なトラブルに遭っても警察や裁判官ならちゃんと理解してくれる」程度の意識しかなく、せいぜいスマホでこっそり録音するぐらいのことしかできないでしょう。他方で大企業/権力者の側は順法精神があるかどうかは怪しくともリーガルマインドはしっかり身に付けています。複雑な契約書や専門家が熟読しないと見落としてしまう重大な前提条件・破棄条項で完全武装しつつ、無防備な個人が明らかに誤解している口ぶりでも明確に質問されない限りは補足説明しないという構図はよく見られます。
    そしてこのような権力者優位な状況へのガス抜きとして、自殺絡みや乳幼児絡みなどセンセーショナルな事案が生じれば、大衆感情の赴くままにターゲットとなった大企業/権力者がその時だけは全面譲歩を強いられます。この場合、法律上の適否や弱者側の過失割合などは、もはやそれを論じること自体が不道徳だとして封殺されるでしょう。

    保守思想を信奉する自分としては、大衆社会の中で法治主義を強調しても、韓国のように法そのものが大衆の情緒を反映したものに改廃されるのではという懸念もあります。しかしながらそもそも上述のように、もともと大企業/権力者に有利な法治主義が各界各所に行き届いていた結果、その反動として昨今特に問題となっている抑制を失った社会的制裁・大衆リンチが断続的に現れている――と随分前から負の螺旋に陥っていたというのが、現代日本の素描なのではと感じました。

  • #5

    ねこ派 (土曜日, 17 2月 2024 13:49)

    意地悪な見方かもしれませんが、なおジョカさんのご投稿で紹介されていたセミナー弁護士のお話は、ネットワークビジネス会社側に付く弁護士の見解であろう、と思いました。
    逆に、消費者や消費生活センター側に付く弁護士の見解というのもあるに相違なく、それは、ネットワークビジネス会社側のとは、違っているように思います。
    住宅の賃貸借においてもそういうのがあって、貸しているアパート大家側の弁護士と、借りているアパート住人側の弁護士、というふうに二分されているところがある。
    日本人が、法律で白黒を決めることを尊重する社会を望み、真に、日本を法治主義国家たらんと欲するならば、参考にするのは、法治主義では遥に先行するアメリカでしょうが、そのアメリカは、司法の影響力が強く、弁護士も、社会で広く深く、活躍しています。
    アメリカ人は、アメリカ合衆国大統領より、連邦最高裁判所の長官のほうが、立派で権威があると思っており、実際、連邦最高裁判所の判断は、社会的影響力が極めて大きいです(例:人工中絶問題)。
    そして、クリントン元大統領やオバマ元大統領は、両者共に弁護士出身でした。ついでながら、クリントン元大統領の妻・ヒラリーさんもまた、弁護士でした。
    さて、日本は、アメリカのように、法律重視の、司法が強い、弁護士が強い国に、なるでしょうか?
    私は、そういう国には、なって欲しくないです。
    けれど、今のままでいいかというと、そうは思いませんが。
    日本の司法は、軟弱過ぎます。憲法を無視するくらいですから(例:コロナ禍が始まってすぐの頃、裁判所は機能を停止した。憲法においては、国民の裁判を受ける権利が、しっかり規定されているのに、である)。

  • #4

    和ナビィ (土曜日, 17 2月 2024 11:09)

    キャンセルカルチャーが我が物顔で吹き荒れる中、なおジョカさんのご投稿は大注目、目を見張りました。講師の弁護士さんが語られた「会社VS消費者の法的な争い」の冷徹な推移の実際を伺い、「法治」の冷静さ・奔流への杭の重大さを思いました。

     立証も出来ない「言ったもん勝ち」の風潮を煽る週刊誌、大衆メディア。作られる雰囲気に正義の味方面になって糾弾して(楽しむ)大衆、後に残るは文化の茂みも伸びる芽も駆逐された焼野原です。「人治」--生身の恣意的な動きに左右される、不確かなまま情に流され易い危険さは想像以上です。歯止めのない凶暴さへとエスカレートしていきます。

     折しも「松本人志VS週刊文春 1回目の審理は3月28日」とのこと(ほぼ当時に投稿されたまいこさんの記事より)、普段の仕事をすべて休止してこの【裁判】に集中し、闘いを開始した松本人志!。【法治】を手に、自身へ降りかかったキャンセルカルチャー攻撃に挑むのだと感じます。

     主人公は、「獣」と呼ばれる巨大生物を退治する「大日本人」である。彼の家系は代々≪日本国内に時折出現する獣の退治≫を家業としている。---松本氏の作った映画【大日本人】(2007年公開)ですが、登場する可笑しくもグロテスクな「獣」は、相手取る「文春」(似たようなメディア)を彷彿します。頭部は無く、股間から長い目玉が飛び出し執拗に絡みつくもの。悪臭を振り撒き街中で恥知らずな行為;に及ぶ雄雌の獣。・・・

     「エンタメしか勝たん!」---ここにもよしりん先生のその言葉の深さを想います。粛々と「法治」を以て臨む戦いなのだと思います。なおジョカさん、まいこさんの仰る通りです。

  • #3

    牛乳寒天 (土曜日, 17 2月 2024 09:30)

    なおジョカさん、素晴らしい考察で大変勉強になりました。

    ネットワークビジネスは色々ジャンルがありますし、全てが悪徳ではないのもわかりますが、長年主婦をしていると、人の良い気弱そうな方をターゲットにされている印象です。私も何度かターゲットをされ、軽く恐怖を煽られたり、必要以上に相手を誉め、その商品がいかに相手の良さを引き立てるかを丁寧に説明されたりしてきました。正直、どんな素晴らしい商品や、こと細かに説明している知人に対して、薄い恐ろしさしか感じられないでいましたが、お話を伺い色々納得できました。

    この薄い警戒心は当たり前にわく感情だとは思いますが、それと被害者面したキャンセルを呼び掛ける感情は地続きになっていると、お話を伺い理解できました。性被害という衝撃的な言葉だけでなく、四方から雑多な感情が寄せ集まり、キャンセルカルチャーの大きなうねりが醸されているのも感じられ、自分も渦中にあるのだと思い知らされました。
    ネットワークビジネスに対する警戒心は残りますが、自身の甘えにも気づかされました。いくら立場や頭の弱い消費者であっても、厳正なる法が裁きのど真ん中であってほしいと切に願います。

  • #2

    パワーホール (金曜日, 16 2月 2024 22:38)

    本日のゴー宣ジャーナリストブログで福沢諭吉について触れていました。福沢は日本が近代国家になることを目指していましたが、その反面感染症医であり日本医師会を作った北里柴三郎を援助していました。もし福沢がいまだに日本が近代国家として不十分なところを見たらどう思うでしょうか。むろん、北里の感染症専門家や医師会の横暴に対する姿勢についても同様です。
    福沢は学習漫画で北里を「国の宝」という場面があるのですが、手前味噌になりますが法治主義を日本に根付かせるために奮闘しておられる倉持先生こそ「国の宝」ではないでしょうか。

  • #1

    枯れ尾花 (金曜日, 16 2月 2024 21:57)

    キャンセルカルチャーという異常現象に対峙するには法と論理で対処してゆくしかない…そして、結果的にそれによって日本は法治国家だったんだと改めて気が付く人達が出てくる…なるほど~~
    痛い目見んと気が付かんか~~~

    勉強になります。