≪考察≫災害時の共感疲労「自分は日常を送っていいのか」

 

投稿者:ひとかけらさん 

 

自分は日常を送っていいのか。災害時の共感疲労に注意。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4a137a9e2b5b521cb6489b0b5a865d4767d98578

 

災害時に自分は当事者じゃなくても共感して楽しいことや日常を送れないのは優しい人が多いのでしょうね。

 

その中で日々の暮らしを大切にすることは必要なことだと思います。

 

私は共感することなく初詣に行き、温泉行って前から気になっていた寿司屋に行き正月を満喫し万全の状態で明日の正月明け初出勤を迎えます。

 

私は優しくないのか個人主義なのか分かりませんが皇室の方々の被災地へのメッセージのような慈しむ心を持ちたいと思います。 

 

(管理人カレーせんべいのコメント) 

 

井上達夫先生から学んだ「反転可能性」を応用すればいいです。

 

「もし自分が被災した場合、被災地以外の人々に自粛をして欲しいかどうか?」です。

 

私は自粛してもらいたくはないです。

 

そもそも外食したり、旅行に行ったりすることも「経済活動」に参加していることになります。

 

もしそれを止めてしまうと、結果的に被災地支援の体力を奪うことになってしまいます。

 

 

だから私は災害時の経済活動の自粛は間違っていると考えます。

 

それとは別に、被災地に寄せる思いは、自然にあるでしょう。

 


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コメント: 12
  • #12

    千本通り (土曜日, 06 1月 2024 16:03)

    我々はどうやって平静を保っているかというと、ルーチンワーク、日常の決まりきった作業・動作をしているからだったりする。特別なことをする必要はない、しかし心に余裕が生まれたら募金に寄付したらいいだろうし、近所で北陸フェアをしていたらそこで品物を買ったっていい。被災していない地域の人々がいつものように暮らすことが回って被災地を潤すことになる。

  • #11

    おおみや (土曜日, 06 1月 2024 13:05)

    遥か昔の日本列島に到達する前の人類も共感力によって生き抜いてきた筈。日本列島に住みつき、後から加わってきた集団も共に(時には争い)、場合によっては疲労に繋がる程に共感力の強さを上げて、その「受け入れ、受け流し」の手法までもを共通項・(言語表現の豊かさも含む)文化として継承してきていると理解しています。よくよく見ると日常の中にも垣間見えるその現れ方、一見すると真逆な行動も含め「そういう海の中」に居る事を感じます(埼玉には海も琵琶湖もありません)。生きる為に備わった共感力という基本を再確認して、私も愛をこめて通常勤務の今年が始まりました。

  • #10

    チャチャ (土曜日, 06 1月 2024 12:56)

    大切なのは、日頃より日常をしっかり生きて、非日常(災害時)に備えること、と思ってます。
    地域やもっと身近な人との交流や、普段からの水や食料の備え、仕事でやってることが非常時生きてくるかも…。
    そんな気持ちで自粛はしません!

  • #9

    KUROうさぎ (土曜日, 06 1月 2024 12:56)

    お笑い芸人でも元自衛隊員はしっかりと答えています。

    能登半島地震「私たちができることはなに?」⇨元自衛隊のお笑い芸人・やす子さんの回答がさすがだった
    https://news.yahoo.co.jp/articles/cc74ae97f443c1fcb1d421228149df183c80c2e8

  • #8

    ひとかけら (土曜日, 06 1月 2024 04:46)

    同居してる両親が自分の住んでる所以外の被災地に同情し人生悲観的になったり楽しめない人間です。こういう人たちを明るく笑わせるのは大事なことですね。

  • #7

    さらうどん (金曜日, 05 1月 2024 23:46)

    地元百貨店で石川県の名産を買う、というプチ偽善はしました。
    あとは普通に普段通りの日常を送っております。
    持ちつ持たれつ、困った時はお互い様というやつですね。
    普段通りの日常を送れる人は、どっしり構えておきましょう。

  • #6

    コバティ (金曜日, 05 1月 2024 23:44)

    ご自身も大変な思いをされたリカオンさんの言葉には、重みがありますね。強く頷いています。

    私は、「他者に対する自分なりの節度」という感覚がしっかりしていれば、不自然に娯楽や楽しい話題を控え目にしなくても大丈夫! と考えるようにしています。

    共感するにしても、被災された方とのギャップは埋めようがなく、その苦しみを同じように味わえる筈はない…と常々感じます。

    つい、(偽善っぽい)神妙さに傾きがちな自分をいさめつつ、国民同士だからこそ湧き起こる「情」の方を大切にできるといいな、と思うのです。

  • #5

    リカオン (金曜日, 05 1月 2024 22:22)

    災害大国だから災害に合わせていたら、落ち込む一方だよ。
    国を引っ張って良くするためには、明るい希望あふれる方向に踏み出さなければ。

  • #4

    枯れ尾花 (金曜日, 05 1月 2024 21:30)

    今日の私の外来で、ある不眠症のおばあさんは石川の地震について以下のようなことを仰ってました。
    「地震に遭った人達に比べたら、私の悩みなんか大したことじゃないんですよね。」
    と。
    今の自分より不幸と思える人達を見て自分の悩み不安を相対化させ、ある種の安心感を得ようとする心理。これは一種の防衛反応なのかな?
    一方で、事件や事故のニュースを観るとそれに引っ張られ、ひどく落ち込まれる方が少なからずおられますね。これは感情移入が過ぎて精神衛生上好ましくはないですね。

  • #3

    ひとかけら (金曜日, 05 1月 2024 21:17)

    潤峰さん:#1

    年間死者数140万を365で割ると3835人、24時間で割ると159人。改めて考えて驚きました。毎日たくさんの人が亡くなってるにも関わらず日本人は活発に活動してます。
    しかし、コロナ禍後は人生を楽しめない人が増えてると思います。皆で不幸になれば辛さも軽減されるという歪んだ心性になってますね。

  • #2

    ひとかけら (金曜日, 05 1月 2024 21:09)

    反転可能性についてカレーさんに教えて頂いたのは2度目ですね。自粛したら被災地の人は喜ぶどころか自分のせいで人々が自粛してしまったと重圧に苦しむことになるかも知れませんね。被災地の方々に思いを馳せても自粛せず人生を楽しむのが大事ですね。

  • #1

    潤峰 (金曜日, 05 1月 2024 20:24)

    災害(報道がたくさんある)時に(だけ)自分は当事者じゃなくても共感して楽しいことや日常を送れない人を不思議に思います。
    なぜなら・・・災害報道・事故報道が無くても、毎日、日本人はたくさんの人が亡くなっています。
    私は日本人の年間死者数を365で割り算した数値にびっくりしました。さらに24で割ったところ、もっとびっくりしました。