昔話とコンプライアンス

 

投稿者:さとがえるさん

 

昔話もコンプライアンス?により変わっているとの話題です。

 

カチカチ山、さるかに合戦はどう変わった?

時代と共に移り変わる「日本昔話」のコンプライアンス事情

https://dime.jp/genre/1533577/

 

 

個人的にはコンプライアンスによって物語を変えるのはどうかと思いました。

 

殺すという表現を取り上げても、殺人はなくならなく、想像力を奪っているだけと感じました。

 

言葉を奪うというのは、1984年のニュースピークに近いのかもしれません。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

この記事、Yahoo!ニュースのトップにも上がっていましたね!

https://news.yahoo.co.jp/articles/244dc6d5057e1e01fbc37ce86d11bc45f731bd8b

 

 

今のタイミングで、この記事がアップされたのは【よしりん御伽草子】が発売されたからかなぁと正直思いました^^

 

この記事を読んで気づきましたが、そもそも私は「かちかち山」の本当のストーリーを知りませんでした!!

 

私が子供の頃に読んだ絵本でも「たぬきは生き残っていた」んです。

 

悪さをしたタヌキを懲らしめるのお話でした。(むしろウサギがやり過ぎだと思っていたくらいです。)

 

私が子供の時点で、すでに話がマイルドになっていたんですね。

 

・・・

 

さて。以下からは思想的考察。

 

そもそも「コンプライアンス」とは≪法令遵守≫という意味なんです。

 

昨今の表現の不自由の正体は≪自主規制≫なんです。

 

本来「法令遵守」と「自主規制」は全然違うものなのに、自主規制の罪悪を誤魔化すためにコンプライアンスを持ち出しているのだと私は感じています。

 

 

表現の自由が無くなる。

 

鑑賞の自由も無くなる。

 

精神の広がりを、バリケード設置して押さえつけるようなことが、本当に「公」のためになるのでしょうか?

 

 

そういう意味では【よしりん御伽草子】は表現の自由を広げる公共性のある作品と言えると思いました。


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コメント: 13
  • #13

    パワーホール (金曜日, 03 2月 2023 23:43)

    勝手に昔話の内容を変えることは良くないと思いますが、格闘漫画等で女性キャラが顔を殴られる描写についてはいい気持ちがしません。

  • #12

    やなちゃん (木曜日, 02 2月 2023 14:29)

    子どもの頃聞いたおとぎ話が随分歪曲されている事に強い違和感あったので、しみじみ納得しながら、こちらの投稿拝読しました。事なかれというか潔癖というか、一見清らかだけど随分歪んだお話は嫌ですね。的違いでしょうが、テレビで戦争ものアニメが放映されなくなった経緯にも繋がる話だと思います。

    すごく前に、本当は怖いグリム童話…みたいなのが流行りましたが、どんなに怖く汚いものをひた隠しにしても、結局はそういうものこそ見たい人も一定数いる表れだと思いました。

  • #11

    Dr-mukimuki (木曜日, 02 2月 2023 12:59)

    大東亜戦争のことを今の価値観で批判してきたサヨクの性根と同じやな。

  • #10

    すろん (木曜日, 02 2月 2023 10:29)

    よしりん御伽草子をまだ拝読していないので、もしこの件が書かれていたら、ごめんなさい。
    カチカチ山でのタヌキのセリフとして、かなり小さい頃からわたしが記憶しているフレーズがあります。

     やーい、やーい、ばばあを喰った。じじい、流しの下の骨をみろ!

    出典はわかりません。

  • #9

    へたれダイバー (木曜日, 02 2月 2023 01:14)

    昔話の残虐な場面が改変されている、と言う話は自分の子供が幼かった頃20年くらい前にも聞きました。
    こんな風に「臭い物に蓋」で本当に良いのか?と思います。悪いことや意地悪をしても謝れば許してもらえる、謝ったら許す、それでいいのでしょうか? 悪いことをしたらそれなりの代償を支払うべきだと思うし、子供にもそう教えるべきでしょう。

    かちかち山の「婆汁」の話を当時何かで読んで「サンダーバード2号のパイロット」を連想してしまった私は・・・

  • #8

    リカオン (木曜日, 02 2月 2023 00:58)

    昔話にコンプライアンス(法令遵守)を求めるのってちょっと理解できない。
    昔の人が作り上げて既に完成したものをなんで変更するの?いったい何の法律が関係するの?
    日本の仇討ちは加害者が行方不明になって公権力が処罰できないときに公的に認められたということなので、当時のコンプライアンスはクリアしている。
    勝手に現代の価値観に合わせて変えるのって、昔の人の感覚を残酷だと言っているようなもので失礼だ。


    赤ずきんちゃんも時代とともに変えられてきた。
    1. 原型と言われる話では、オオカミはおばあさんを襲って殺したあと、女の子を待つ。女の子はオオカミに襲われそうになるのを、トイレに行くと嘘をついて抜け出し、知恵を使って逃げおおせる
      ↓ もともと女の子は知恵で自力で切り抜けれたのに無力な女子に変えられた
    2. ペロー版はおばあさんも赤ずきんちゃんもオオカミに食べられたまま助からない。
        ↓ おばあさんも赤ずきんちゃんも死んでしまうのが助かる話に
    3.グリム童話版はおばあさんも赤ずきんちゃんも助かる。


    シンデレラなど継母にいじめられる話も多いが、原型は実母だったという説もある。
    実際、実の母親が子供をネグレクトすることもあり、兄弟に対して扱いに差をつける事もある。しかし、実の母親がそんな事をしてはいけないというので話が変えられ、継母にされる。

    原型が人間の業や現実を反映した話であっても時代の価値観や理想に合わせて作り変えられてしまう。
    それは、人間の闇の部分を覆い隠して、キレイなところしか見せないというのは純粋真直ぐくんを産むことになるのでは?
    そして変えられた何の毒気もない話を自国の伝統の昔話と勘違いして、他の国の昔話を残酷な人たちと断罪しそうで偽善を感じる。

  • #7

    グッビオのオオカミ (水曜日, 01 2月 2023 23:28)

    思うに、そういう事にクレームを言う背景には「子ども」は「子どものままでいて欲しい」という所有欲が働いてそうな気がします。
    しかし、裏を返せば「大人になって欲しくない」という感覚でもありそうです。
    日本人の「反戦平和主義のお花畑」的な思考は、自分たちの幸福「感」を邪魔されたくないというエゴイズムではないかと思います。
    「死」を忘れたい。考えたくない。だから、子供達にも考えさせたくない。
    それは「子どもが」と言っても、実は「自分が」耐えられないだけだと思います。
    コロナ禍でマスク着用やワクチン接種強要などが起こるのも「自分が怖い」から、なおさら他人にも「優しさ」を押し付ける心理が働いている気がします。
    イマジネーションが働かないのでしょうね。一般に「善」とされてる事を行った時に、見えない犠牲者が出る事に。

  • #6

    さとがえる (水曜日, 01 2月 2023 22:58)

    カレーせんべい様、掲載ありがとうございます。
    よしりん御伽草子との関連性、まとめきれなく、現状だけでお送りしたところフォローいただきましてありがとうございます。
    皆様のコメントにある通り、コンプライアンスというからには根拠法が必要なのですが、なにもないただの表現の自主規制、あるいはどこかの父兄のノイジーマイノリティコメントか…
    いずれにしても残念です。

    さるかに合戦の「合戦」が消えているのは衝撃的でした…

    表現の自主規制に踏み込んだ、差別論スペシャルを思い出しました。
    文化を駆逐する自主規制、改めてほしいものです。

  • #5

    ねこだるま (水曜日, 01 2月 2023 20:22)

    さとがえるさん紹介のページを見に行くと
    「よしりん御伽草子」に関連したすっごい重要な話があったんすが……

    カレーせんべいさん含め誰もふれてませんね。
    ふれてはいけない事情を忖度して私もふれません。

    自主規制の原因は父兄からのクレームでしょう。
    自主規制の主体は出版社でしょうが、クレームを入れた親が悪い。
    「ワクチン射たせろ!!」と政府を煽った国民みたい。
    クレーマーが社会のハンドルを握るようになってだいぶになるのか……

    さるかに合戦もかちかち山も私の幼少期には死ぬ死なない両方のバージョンがあったように思います。「まんが日本昔ばなし」では死ぬバージョンでした。
    溺れ死のうとしているたぬきを見殺しにして「うさぎはたぬきをゆるすことはできなかったのです」とナレーションが入ったのを覚えています。

    そういえば、2人の娘に100冊以上絵本を読み聞かせしたけど、死ぬの殺すのはほとんどなかったなぁ。「ジャックと豆の木」と「長靴をはいた猫」をアレンジした「くつやのねこ」くらい。

    「ジャックと豆の木」は殺されるキャラが「人喰い鬼」と呼ばれていたけど、作中では全く悪行をしていませんでした。人喰い鬼を悪人とみなせる状況証拠は奥さんの「子供を殺してたべちゃうんだよ」という証言と巨大な体とみにくい顔のみ。
    つまりジャックによる強盗殺人の話だということに気づきました。
    ジャックという名前が名前だしね。

    「ジャックと豆の木」はイギリス民話ですが、イギリス人の海賊行為、略奪行為を正当化させるはたらきありましたね。さすが略奪品を大英博物館に「誇って」陳列してるだけある。

  • #4

    古也 (水曜日, 01 2月 2023 16:10)

    人以外には人の法は通じない。故にコンプライアンスも通じない。

  • #3

    くぁん (水曜日, 01 2月 2023 14:40)

    コンプラと自主規制の違い、その積み上げた自主規制の罪悪感からコンプラを多用。さらには、国民の自由もそうやって、知らぬ間に奪われていくことへの警鐘。その窮屈な現状、表現の自由を奪い返す意味での「よしりん御伽草子」、へと繋ぐ理論は凄いですね。天才ですね、カレーさん、文字通りいい意味で♪

    自分では世直しのつもりなのか?わからないけど、とにかく苦情をノイジーに撒き散らす人達の、まさに思う壺の世界になっているんですよね。あぁ、やだ!

  • #2

    パソコン・ITど音痴 (水曜日, 01 2月 2023 13:42)

    コンプライアンスは、法令遵守、という意味なのに、表現を規制するために、これを用いている。
    しかも、よく見ると、紹介されている記事には、コンプライアンス「事情」、と記されている。
    「コンプライアンス事情」って、なんなんですか?
    そういえば、今も続くコロナ禍では、ご時世、という言葉が、巷間、使われ続けている。
    ご時世ですから、と言って、例えば、同調圧力によすマスク着用「強制」を、する方もされる方も、仕方がない、と思い込まされたり。
    そもそも、マスク着用を求めるのは、コロナ感染防止対策上、お願いの域を出でず、強制はできないのだけれども。
    ご時世、で、誤魔化しやがる。
    「コンプライアンス事情」という言葉といい、「(コロナに関する)ご時世」という言葉といい、日本人は、ほんと、誤魔化しの臭いプンプンの言葉を、平気で口にするんだなあ、と思いました。

  • #1

    はな丸 (水曜日, 01 2月 2023 12:36)

    窮屈な、つまらない時代ですね。
    昔のドラマやアニメが再放送されないのを不満に思ってますが、昔話もでしたか。

    なるほど、コンプラがコンプラが言われるけど、本当は法令遵守のことなんですね。
    全然違うやんけ❗️
    ただの自主規制やん‼️

    そういえば以前ジャンプで「こち亀」の連載が終わる時、第1話が特別に載っていましたが、所々オリジナルから差し替えられ、何ともつまらないセリフになっているのを、昔単行本持っていた私は見逃しませんでした。
    東大一直線なんか、どうなるんでしょうね~?

    あーつまらん。