≪思想≫ マスク社会と昭和天皇が看破した「国民の付和雷同性」

 

投稿者:シュウジさん

 

明けましておめでとうございます。

初めて投稿します。

 

私は結婚が遅く、現在53歳てすが4歳になる息子がいます。

 

昨日(2023年1月1日 元旦)、初詣に家族で参拝のために一列に並んで、顎マスクの状態で子供とたわいもない話をしてる際、前に並んでいた老夫婦の奥様の方に「マスク」をするよう強要されました。

 

瞬間的にカチンときましたが、うっすうっすのマスクを隙間だらけに装着する姿を見てなんだか気が抜けた気分になり、黙ってマスクを上げてしまいました。

 

ワクチンも5回打ってるんだろうなぁと思いながら切ない気分で参拝を終えました。

 

本当の事がわかった時どんな気分になるんでしょうか⁉️

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

まずは初投稿、ありがとうございます!(^^)/

 

これからも気楽に投稿したり、投稿しなかったりしてください(笑)

 

・・・

 

「老人」はどうしようもないのかもしれないですね。

 

一度インプットした情報をアップデートする体力がないのかもしれない。

 

あるいは「天皇陛下ですらマスクをきちんとしているのに、臣民たるお前がどうしてマスクをしないのだ!」と思っているのかもしれない。

 

まぁ後者は無いか。

 

・・・

 

昭和天皇は、先の破滅的な戦争を回避できなかった国内の要因として、日本国民の付和雷同性だと看破されていたそうです。

 

私も、つくづく、それを感じます・・・。

 

コロナ禍に限らず、あらゆる場面で「付和雷同」を感じます。

  

別にロックミュージシャンのように「俺は人と違う感性を持ってるぜ!」と肩に力を入れるのではなく、「自分の意見を持つことを大切にしよう」くらいの軽い心掛けでもいいじゃん。

 

小さな子供にだって、大人はそう教えてるじゃん。

 

でもそれがどうしてもできない国民性、社会性があるのが日本人なんですよね。

 

 

そして、シュウジさんご報告のあったような「マスク自警団」になって他人に自分の意見を押し付けるのは最悪だと思います。

 


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コメント: 12
  • #12

    おてんば (日曜日, 08 1月 2023 00:47)

    日本人が付和雷同を選ぶのは、自己肯定感が低いからだと思います。
    他人の意見を優先させて、少しの我慢で批判の的になるのを避けて、少しでも安全地帯で暮らしていたいのでしょう。

    しかし私は、付和雷同に流されたくないです。
    理由は、3つです。
    ①子供時代に機能不全家庭で心身の虐待を受けて育ったため、大人になってからのトラウマ回避のためにも、これ以上の人権侵害は、生理的に我慢の限界だからです。

    ②マスクを強制されている子供達を見ると、自分の子供時代を思い出し、助けたくなります。せめて私がノーマスクなら、子供も外しやすくなるかもしれないと考えています。更に今、市の子供達のマスク選択制に向けて、請願書の採択に向けて活動中です。

    ③小林先生の書籍の中で、自由とは、命懸けで護るものだという言葉があり、共鳴しています。
    日頃、ノーマスクだとサラリーマンに睨み付けられたり、入店拒否されたりしますが、私の場合、批判上等と思いながら暮らしています。
    日本人がマスクを着けているから外国からワクチンを売り付けられているのだと思うので、ノーマスクは個人が日本の自由を護る方法の一つだと考えています。

    それから、皇族の皆様がマスクをつけていることに関しては残念ですが、ノーマスクの海外では外されていたので、日本国民が外せば皇族も外せるはずです。やはり、個人が皇族をお守りする方法もノーマスクで生活することだと思います。

    根本原因の自己肯定感を高めるには、健全な精神になることです。健全な精神は健全な肉体から生まれるので、太陽の光を浴びて運動することだと思います。
    また、大人が子供達を大事にして、子供達にのびのびと人と自然の中で自由に遊ばせてあげることだと思います。

    今の日本人がやっているのと逆のことをやるだけ。
    簡単なことなのになあ。

    私は、日本を護って下さった昭和天皇に恥ずかしくない生き方をしたいです。感謝の気持ちで、その日本を子孫に引き継ぎたいです。そして自分が死ぬ時、自分の生き方に納得して死にたいです。
    だから批判されても、嫌な思いをしても、マスクは着けません。

  • #11

    JET (火曜日, 03 1月 2023 22:31)

    昨日、セールに某有名デパートに行きましたが、人は多く皆マスクと思いきや一名女性でつけていない人がいました。
    私はマスクしていませんでしたが、店員の対応は丁寧で気持ち良く買い物できました。
    マスクしないから邪険に扱われる事は無いので、過剰に心配している部分はあると思います。
    以前、違う店でマスクをするよう言ってきた店員にいつまでやるつもりか問い正したところ、自分も面倒くさいし早くやめたいが店の方針なのでと言っていましたし。

  • #10

    マスクOFFゾロ(おおみや) (火曜日, 03 1月 2023 15:47)

    何度も失礼しまして…
    数字を間違えてたので更に訂正がてらに「駅の3が日1500人中ののマスクなし数」はこうなりました。
    一昨年=5人
    昨年=0人
    今年=13人
    この僅かな変化にも「来年はどうなっているか?その時に今の光景を形作る事に参加したりシュウジ様に注意する行為に走って何かを解消しようとした御老人は何を思うか?」(鬼に笑われようとも)今からちょっと興味深い事になりそうな予感がしています。

    駅前百貨店テナントの結構大きな書店には皇室の本もいくつか並んでいまして、そのうちの一つが(両陛下がエリザベス女王の葬儀へ向かって歩いている時のあのお姿が表紙)でした。


  • #9

    こびないナビ (火曜日, 03 1月 2023 09:04)

    天皇陛下のマスク姿に違和感を覚える感覚が普通なんだと。
    日本で同じ感覚を共有できるのはゴー宣ファンのみかもしれません。
    早く日本人も外国人なみに目覚めてほしいです。令和の文明開花でも起きないかなあ。

  • #8

    おおみや (月曜日, 02 1月 2023 21:30)

    #7を少し訂正
    × 2020年=1492人
    〇 2020年=1495人
    (僅かばかりの訂正ですが)
    今年はサンプルをあと500人残してこの数字を下回るのは確定しています。

    シュウジ様程の年齢の方であればきっと元旦の切ない気分もより早く消化できておられるはず。後は楽しい正月を。53歳で4歳の息子さん、大したものです。

    「解決策の無い不安」解消の為の代替行為としてマスクさせる(という光景を目に焼き付ける)、これは結構やってしまいがちな事なのだろうな、と。うちのマスク脳上司が従業員全員にマスクさせておこうとして+仲間にマスクチェックをこっそりさせていたのも「メインはそのチェック表に全部〇がつく光景を見て安心したかったから」と見ています。自覚していなかった感じでしたのでこれは本人にはっきりと言いました。そして私のせいで願望は遂に叶わないままチェックは終了。

    御老人の件に戻りますと
    本当のこと、それは何か?を追うよりも周囲とひたすら同化しておく そうやって生きて来た事が成功体験として蓄積されているのでしょうね。かなり多数の他の世代でもそうでしょう。本当の事とは何だったのか、が仮に示されたとしても…「多数と同化を選ぶ多数」になりそうです。その時にどんな気分になるか?もまた多数に委ねている筈です。

    (まだ気が早いかもですが)シュウジ様におかれましても次の世代の活力あるしっかりした大人を育ててくださいね~♫

  • #7

    おおみや (月曜日, 02 1月 2023 17:57)

    能登一宮の地で育ち武蔵一宮で暮らす私は元旦にそこの二の鳥居で2023人数えてみました。マスクなしは64人でしたのでマスク率96.8%でした。昨日と今日の駅のカウントでは1000人中994人。この3が日というのは普段と違う行動となるがために(警戒しておこうモード)に入る人が多い筈ですのでその前後の時期よりもマスク率は上がる傾向がありそうです。
    過去2年の駅では3が日1500人サンプルで…
    2020年=1492人 2021年=1500人(=なんとパーフェクト!)でした。今年は若干綻び?が出始めた傾向、これは他の時期での1年前と比較してもそうなっています。

    御老人は(いつもと違う行動によって惹起され&逃れ得ない遺伝的不安体質による増幅)によってそういう言動をしたと思われます。また、これも個人差のある事ですが(感情がまだまだ湧き上がる&それを抑える力は知らないうちに弱まっている、そういう年代)にも当てはまりますね。昔から癇癪を起こすのは多くが御老人というイメージ。今ではマスク警察(のニュース)になり易い年代、と気づいている方も多い事でしょう。特にその被害に遭い易い女性の方は察知しておられる事と思います。
    一庶民として、せめて目の前でそれが展開されたなら赤の他人であっても上手にとりなして収めたいと常に。シュウジ様が「うっすうすのマスクを隙間だらけに」で力が抜けて、良かったです。咄嗟の場面でもそこにも目が行きモノを考える余裕がある、それこそが貴方の力の一つですよ。

  • #6

    mister_ (月曜日, 02 1月 2023 16:56)

    私がシュウジさんの立場に居たら、私はどうしていただろうかと考えます。
    まわりに他の人がいなかったら言い返すかも、でも大勢の人がいる初詣の行列で騒ぎになるのは不本意だから黙って歌舞伎の真似をしてにらみ返すか、あるいはムッとしてマスクを上げて不機嫌を引きずるか。いやいや、お話を聞いただけでうんざりします。

    #1タロー.Gさんが指摘された>「大多数=公」なんですかね? というのは本当にそうですね。多数派の意向がただちに常識ということではありますまい。カレーせんべいさんが言われるように付和雷同の習性に流されないよう、そんな心意気だけは持ち続けたいですね。

  • #5

    さらうどん (月曜日, 02 1月 2023 15:45)

    昭和天皇が触れた「日本国民の付和雷同性」はいつ頃からなのでしょうか。
    こないだのライジングを読むと、鎌倉時代にもその萌芽が感じられて、
    日本人にとっての「世間」の暗黒面は何千年単位での根深い付き合いなのかなと暗澹たる気持ちになります。
    現在の皇室も、コロナ脳どっぷりの日本国民を反映するかのように、陛下も皇族もマスク姿で、
    コロワクを打ち、移動時の車にも無意味なビニールの暖簾をかけています。
    マスク着用をつっぱねる術はいろいろとありますし、私も活用させて戴いていますが、
    日本の世間とコロナ脳しぐさが強烈に結びついてしまっている事象は看過出来ないと思います。

  • #4

    やなちゃん (月曜日, 02 1月 2023 12:12)

    シュウジさん、嫌な想いをされましたね。そんな事言う方がいるのも驚きですし、マスク=良識みたいな価値観がのさばってる現状に私も腹が立ちます。かといって全く知らない人に議論吹っ掛けたくないし、そういう方は自説を曲げないでしょうし、お互い気分悪くするくらいなら渋々状況に従うしかない…という流れになってしまいますよね。
    付和雷同…根が深い問題ですよね。打破すべく行動に移しても、それがまた妬みの対象となり叩かれてゆく現状があると見ています。

  • #3

    大阪の一会社員 (月曜日, 02 1月 2023 11:56)

    #2一部間違えました。
    「スポンサーの意向に沿わない人物」→
    「スポンサーの意向に従う人物」でした。
    失礼致しました。

  • #2

    大阪の一会社員 (月曜日, 02 1月 2023 11:52)

    「付和雷同性」…
    私の好きなサッカーにおける、日本サッカー界の環境も同じですね。
    本来の目的のサッカーの発展、競技力向上に目を向けるより、権力者に対して波風立てず、政治力のある人間ばかりが重宝される。
    2010.12.10発刊の「サッカー批評49」という本にも、内情が書かれておりました。
    一部抜粋。
    「会長選挙には、各種都道府県協会代表、各クラブ代表、関連団体代表者が選挙権を持つが、協会主催の大会に参加したり、協会が定める資格を取得する為には、「登録」が必要であり、その「登録」及び「登録料」は日本協会が一括管理し、地方協会への予算配分も日本協会が行う」為、意見が言えない仕組みで、付和雷同でいる事が将来の出世にもつながるという事です。
    しかも、選挙をするという事さえ、FIFA(国際サッカー連盟)より、日本協会が閉鎖的であると指摘されて、合議制からようやく変わったものです。
    よって、代表監督選びも、実力や理念よりも「スポンサーの意向に沿わない人物」「会長を始めとする協会幹部に波風立てない人物」である事が優先される、という訳です。
    私にとって、サッカー日本代表は、好きなものと愛国心が重なってしまっている為に、つい長々と書いてしまいました。
    しかし、この流れは、サッカーに限らず、現代日本社会のあらゆる場面における問題の根幹の一つでもあると思います。

  • #1

    タロー.G (月曜日, 02 1月 2023 10:28)

    シュウジさん、災難に遭われてご愁傷様です。私だったら、「健康上の理由でできませんので」って突っぱねますね。
    それにしても、カレーせんべいさんが指摘された昭和天皇の「国民の付和雷同性」…。昭和天皇の血筋を引かれ、上皇様から薫陶を受けられている今上陛下がその付和雷同性に加担しておられる事に国民の一人として慚愧の思いです。陛下に申し上げたい、「陛下がそうやって魔吸苦し続ける事で、子供たちが1人、また1人と不幸になっていくんですよ!」と。
    前の記事で「日本人の大多数が魔吸苦している以上、公の体現者である陛下が魔吸苦するのはやむを得ない」ってコメントしてる方がいましたけど、「大多数=公」なんですかね?それこそまさにJ.S.ミルが危惧した「多数派の圧政」じゃないですか。そんな社会に与する公なら今まで少数派に目を向けてこられた皇室の存在意義が問われるんじゃないですか?
    色々書きましたが、私としては早く陛下には少数派に目を向けて欲しい、と願うばかりです。