≪思想≫ 中川淳一郎氏『「大切な誰かのために」という言葉は、個人を窒息させる恐怖のフレーズである』

 

投稿者:いいまつたかさん

  

出国前にまだまだ頑張っておられる、日本のモドリッチこと中川アニキ‼‼ プレジデントオンライン連載記事からです。

 

日本中で繰り返される「大切な誰かのために」という言葉は、個人を窒息させる恐怖のフレーズである

あなたの人生は、あなたのものである

https://president.jp/articles/-/65013

 

このコロナ禍で繰り返された「大切な誰か」というキラーフレーズに対する鋭い論考・・・・・全くその通りと思います。

 

『「大切な誰か」論法は欺瞞である。早くそれに気づき、主体的に生きるべきだ』

 

自分は本記事を読ませて頂いて、よしりん先生が描かれた大東亜論頭山満の言葉

 

『一人でいて寂しくない人間になれ』が頭に浮かびました。

 

多くの皆様、ご覧頂ければと思います!!!

 

ところで、中川アニキこと、中川淳一郎様いよいよ確定申告終了後(2023年2月ですかね)に日本脱出となるとのことです。

 

https://twitter.com/unkotaberuno/status/1608811070516498434

  

寂しさは感じますが、いつか唐津へモドリッチ‼でお願い致します‼‼

 

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

今回の「俺(中川淳一郎氏)がもっとも言いたいこと」

 

◆コロナ騒動以降、日本では「誰かのため」「大切な誰かを守ろう」といった言説がはびこるようになった。

 

◆「誰か」の定義はあいまいすぎる。「誰か」って、誰だよ?

 

◆実態がわからない「誰か」のために、利他的に行動することを強要されるのがいまの日本。それができなければ排斥されてしまう。

 

 

◆「大切な誰か」論法は欺瞞である。早くそれに気づき、主体的に生きるべきだ。

 

・・・

 

かなり面白い論考ですね!

 

これを踏まえて、私は好き勝手に思想をやるだけです。

 

※アニキは、いちいち怒らないですね(笑)

 

・・・

 

「誰かのために」を他人に強要する行為が強権的で駄目です。

 

コロナ禍における「誰かのために」とは、誰かが設定した間違ったルールを他人に強要し、その結果、ルール設定をした誰かの利益に繋がっていたから最悪なんです。

 

 

 

一方で、そもそも「公」というのは「誰かのために」です。

 

「誰かのために」そのものを否定するのなら、無人島で1人で暮らすしかない。

 

そこには「公」など無いし、純粋に「自分のためだけに生きる」ことができるでしょう。

 

中川さんは「日本脱出」も、まぁぶっちゃけ、それに近い行為ですね。

 

・・・

 

>「誰か」の定義はあいまいすぎる。「誰か」って、誰だよ?

 

コロナ禍における「誰かのためにの誰」の正体は、製薬会社及びそこからディベートを取る利害関係者たちのことです。

 

次に、私が言った「公=誰かのために」の誰かの正体は子供です。

 

今の子供達のみならずまだ見ぬ子供達をも含む、概念としての子供です。

 

「公とは子供のことである」と分かり易く言い切ってもいいです。

 

 

コロナ禍は子供のためになっていない!子供たちに迷惑をかけている!最悪だよ!!

 

だから私はホームページでずっと怒っているんです。

 

過去の記事、どこを切り取られたとしても、そこは全くブレていないはずです。

 

・・・

 

「子供のために」なる知識人や政治家の行動は、その都度評価します。

 

過去に評価した知識人や政治家が、「子供のために」ならないと行動をすれば、私は批判に転じます。

 

それを「手のひら返し」とか、「人を排除したら誰も残らなくなる」とか、「人を見る目がなかった」とか、どうか思わないでもらいたいです。

 

評価は、あくまで「その都度」です。

 

・・・

 

ただ『一体何をもって「子供のために」と言えるのか?』という大問題があります。

 

それも「その都度」変わってきます。

 

価値判断とは常に人生をかけた決断。

 

だから、毎日ゴー宣をベースにした思想をやっているわけです。

 

窒息もしない、恐怖も無い。

 

 

子供のために思想をやる。

 

子供のために、今打てる最善手を見つけ出して、そして打つ。

 

これが私の公です。

 

 

まだまだ未熟者ゆえ、令和5年も、どうかご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます<(_ _)>


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コメント: 16
  • #16

    こびないナビ (日曜日, 01 1月 2023 03:02)

    平成の頃から、自分>子どもな人たちは増加傾向にあったような。原因としては経済不況で女性が男性に頼るようになったから。
    後悔先に立たずですが、10年ほど前から現在のワクチン禍に備えて何かできたのではないかなと考えちゃいますね。

  • #15

    madoka (土曜日, 31 12月 2022 22:58)

    あ、失礼。カレーさんの文章に、共感します。

  • #14

    madoka (土曜日, 31 12月 2022 22:58)

    とても共感いたします。

  • #13

    嵐三太夫 (土曜日, 31 12月 2022 22:50)

    誰かのためなら、おまやが
    往ね!
    阪神電車ではよ帰れ!

  • #12

    神奈川県民 (土曜日, 31 12月 2022 21:51)

    公とは「誰かのため」である、と言うときに中川氏の「誰かって誰だよ」という問いにすぐに答えられないようでは公たり得ないということでしょうね。
    だからカレーさんの「公とは子供である」という主張は正しい姿勢であると思うわけです。
    公とは、実現すべき未来であって、そこにある問題の解決策であって、困っている人への救いであって、具体性が伴うはずなのですね。マスクをしないと何が困るのか、マスクをするとどう改善するのか、センモンカ達は都合のいい論文やらデータを持ち出して結論ありきのプロパガンダに終始し、公からかけ離れた態度に恥じ入る様子もありません。

  • #11

    枯れ尾花 (土曜日, 31 12月 2022 19:43)

    「 子供達のために 」

    禿同!

  • #10

    馬ノ骨 (土曜日, 31 12月 2022 19:24)

    自分たちの利益の為に、他人の命や生活を犠牲にできる心無い奴が「誰かのために…」なんて軽々しく口に出してほしくない⁉︎

  • #9

    かわじ (土曜日, 31 12月 2022 17:37)

    僕も中川さんのこのツイッターでの「誰かの為に…『誰か』って、誰だよ?」に、
    思わず「うんうんそうだ!」と首を縦に10回くらい振りました(笑)

    虚ろなものの為に命はかけれませんよね。
    子供=公なら分かります。

    あともうひとつ。
    中川さんは外国へ行きますが、
    根源的ななにかを問いただしたくて、僕は最近、山へ行っております。
    何か明確な答えが出たらまたご報告いたします(-人-)★

  • #8

    鎌倉三四郎 (土曜日, 31 12月 2022 17:07)

    「誰か」「みんな」の同調圧力による日本社会の特殊性は、欧米人にも知れわたっていると思います。

    芸能人の熱愛や不倫のたびに、「この度は世の中をお騒がせしまして」と、世間とやらに謝罪している彼等を見るたびに、「可哀想に」「面白いね」と私は眺めています。
    そしてすぐに飽きます。
    不倫報道って最初は興味があっても、長くて1週間で私は飽きます。
    あんなのを、何ヵ月も何年も追いかける週刊誌やテレビは鬼畜の集まりだな、ストーカーだな、と思って眺めています。

    不倫報道なんて、イメージが無かった人があった場合は、「へぇー。面白い」としか私は思わないのに、世の中の人はなぜか怒った振りをしなければならない。
    たぶん、本気で芸能人の不倫に腹をたてている人なんて、世の中に1割もいないんじゃないか、と私は思いますが、皆、テレビカメラの前では怒っている振りをしなければならない。

    結局、「戦争論」による宗教感に戻るしかないんでしょうけど、欧米と違い、日本では「個人」が育たなかったから、「お天道様が見てる」としか考えられなくなったんでしょうね。

    私は最近の日本人を見ていて、非常に不安なのは「自分は無宗教だ」と宗教を否定する人が多いことですね。
    宗教を完全に否定すれば、中国のように中国共産党以外の価値観を失うことになります。

    本気で考えていますが、今の日本人は倫理観や道徳観を持っているのでしょうか?
    宗教感を持たない人間が倫理的であることはあり得るのでしょうか?

    「誰かのために」「みんなのために」は権力者にとって非常に都合の良いパワーワードです。
    戦時中は「日本は負ける」と言えば非国民でした。「日本は負ける」という言葉の意味は考えずに、「みんなが不愉快になるから止めろ」という訳ですよね。
    それは権力側にとって都合の良いワードです。もしくは国民が望んだ「空気」か「世間」なのかも分かりませんが。

    色々書いてみて思うんですけど、こういうことって、昔から色々な人が指摘してますよね。
    どうすれば改善するんでしょうね?
    分析はある程度なら誰にでも出来るんですけど、解決策が誰にも見つけられないんですよね。何十年も。
    地道に訴え続けることと、外圧しかないんでしょうけど、それはとにかく時間がかかるんですよね。

    早急にマスクとワクチン接種の同調圧力を、社会から無くしたいんですけどね。

  • #7

    さらうどん (土曜日, 31 12月 2022 16:36)

    中川さんは強烈な「個」を持った方かなと思いますけど、
    自分勝手に生きている訳ではないですもんね。
    書く文章やtwitterやトーク動画を通じてしか人となりは知りませんけれども、
    いろんな方々とのやりとりの中に、「公」が見える方だなと思っています。
    批判に対する反論の中にも、中川さんの知的誠実さが垣間見えます。

  • #6

    ねこだるま (土曜日, 31 12月 2022 13:50)

    中川氏の文章はマジメでも読みやすい。
    9ページ一気に読めました。

    この記事で真っ先に思い出したのが放送局の
    ≪思想≫私から公への経路 ~子供の運動会~ 投稿者:リトルさん
    https://www.worldofgosen.com/2021/12/04/思想-私から公への経路/

    でした。
    この記事リトルさんのお子さんへの「私的な」愛情が素直に表現されていて非常に好感持てたため結構読み返したりしてます。(笑いを誘う表現もあったし)

    この記事を頭に≪思想≫ってつけて採用したカレーせんべいさんが、

    >私は何度か「公のために」という言葉を使ったことがありますが、あれは全部「嘘」です。
    >本当は「子供のために」なんです。

    と言っていたのも(失礼ながら)面白かった。
    概念的に言えば、子供は人類の未来そのものだから、「公のために」という言葉を「嘘」とヒゲせんでも、と掲載当時は思ったものですが。

    中川氏の記事に戻ると感染対策の殺し文句「誰かのために」とは、「自分だけは感染したくない」というエゴイズムを逆転させる表現として実にうまく使われたな、と思います。
    中川氏が今回欺瞞を暴いてくれたわけですが、その正体は我先に行列に並ぶようなエゴイズムだったわけですね。

    追加して言うと、コロナ状況って「わからない」ことを都合よく使った人が余りに多いですね。
    「未知のウイルス」なんだから、間違っても責任問われない。
    因果関係不明なんだから、薬害被害者に対して責任追われなくて済む(そうならなくなってきてますが)
    おしんみたいに「一生懸命に努力する」ことが非難すべからずの聖域に入っちゃいやすいのもあると思います。

    中川氏に関してはツイッターで日本から出ることを「逃げる」と表現してましたので、多少の後ろめたさはあるのかも知れません。
    ともだちというか飲み仲間は非常に多そうなので、完全に「日本を捨てる」ことはないと思ってますが。

    カレーせんべいさんが提出された「公=子供」というテーゼに関しては(今のところ)反論するような根拠は私は持っていませんが、論からモチベーションまで高めようとすると「かわいい子供」「子供のかわいさ」というイメージが必要と思います。

    そして「子供のかわいさ」というイメージは今や水戸黄門の印籠みたいに無敵で非難できない聖域に入っているかも知れません。
    感染対策キャンペーンに子供のかわいさが無数に悪用された、ということも頭に入れておきたいと思います。

  • #5

    sparky (土曜日, 31 12月 2022 13:04)

    この「誰かのために」という言葉は、「誰かのために行動しない」正しくは自分達が「こうするべき」と思っている通りに振舞わない、それこそ「誰か」(実は誰でも良い)を、堂々と(世間とやらのお墨付きで)叩き楽しむための口実に過ぎない。叩き楽しむがメインなので、相手は誰でも良い。
    かなりの数の日本人がこの楽しみを覚えてしまった。明けない夜が始まるのかもしれない。

  • #4

    輝くような黄色 (土曜日, 31 12月 2022 11:34)

    我々が死守すべきものは、「公」であり、人間の歴史の中で熟成されてきたcommon senseであり、「次世代」だったはずでした。ただ、これらの概念はあまりにもぼんやりとしています。なので我々が頭に浮かべるべきは、それを象徴する「誰か、何か」となります。それが、子供だったり、郷土だったり、国柄だったりするんでしょう。
     だから、カレーさんの仰るとおり、「誰か、何か」を守る、という発想自体は極めて大事なものだと思います。それを捨てた先には、混沌しかありません。
     しかし、それが「誰か」の「命、健康」に限定されてしまっているのが現状であり、それにより守られるものは、生権力的な「システム」の維持である。そして、それが一部の人間を利し、その他の人間を不幸にし、本来守るべきだったものを破壊している。問題はここにあるのだと、愚考しています。

  • #3

    自灯明・法灯明 (土曜日, 31 12月 2022 10:09)

    「誰か」が「誰か」のままではダメということですね。
    価値観に裏付けられた優先順位がありませんから。

  • #2

    パワーホール (土曜日, 31 12月 2022 10:06)

    本当に誰かのためを思うならマスクなんかしない、これに尽きるのではないでしょうか。職場では未だにせざるを得ませんが。そしてコロナ騒ぎを終わらせる。
    中川先生には早く日本に戻ってきてほしいです。日本および日本人を異様にした感染症専門家を騙るウイルスストーカー連中こそ日本から出ていくべきですし、それが嫌なら本来の仕事であるウイルスとの共存を実現すべきです。ウイルスを目の敵にしてこれ以上日本および日本人をオモチャにしないでほしい。

  • #1

    惜春 (土曜日, 31 12月 2022 09:56)

    所詮、人間突き詰めれば、自分の為にしか生きられません。

    自覚が有るか無いかが問題。

    それにしても奴等は酷すぎる。

    美しく生きたいものです。