≪実話≫ 教団は正体を隠して人を勧誘し信仰を植え付ける

 

投稿者:和ナビィさん

 

主人が学校に入ったばかりのことだったそうです(もう半世紀余り昔;のこと)。

 

下宿近くのアーケード繁華街を一人でボンヤリ歩いていたら、2、3人の男女の若者が愛想よく近寄って来て語り掛け「アンケートに答えて頂けますか?」とのこと。

 

何気なく応じたら「もっとお話ししましょう」と集会所のような所に伴われたそうです。

 

そして「次回こんな集会がありますのでお出かけください。」と誘われた時点で「・・やだな・・」と感じてそれっきり行かなかったとのこと。

 

今思い出しても「わー、危ねえ危ねえ; アレ統一協会だったんだな。オレよっぽどボケーッと隙アリ!な顔して歩いてたんだろうな(^へ^)>;。そのまま取り込まれてたら今頃どうなってたかな・・」。

 

 

大きな地方都市でのことでしたが、そうやって声掛けされたのは何人もいたはず。

 

別な地方ですが、学内に「原理研」サークルがある所は多かったです。

 

また学生自治には無関心なノンポリ学生ばかりだった大学では、いつの間にか自治会がすっかり原理研に乗っ取られていた事例もありました。

 

知り合いがそこの一学生で「オレんとこの大学の自治会『原理研』なんだって!。新聞で知ってびっくりした。」と言っていました。

 

隙・無関心・孤独・・・そういうココロに正体隠して巧みにと侵入し乗っ取る手口です。

 

「自らに由っていない・由れない」(自由でない)状態を嗅ぎつけ近づく恐ろしさです。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

へぇ~~、そうやって正体を隠しながら、孤独な個である学生を搦め捕るわけですね。

 

まるで「おぼっちゃまくん」に登場した人食い植物のようですね(笑)

 

 ≪出典≫

おぼっちゃまくん 単行本2巻「汗水流した贈り物ぶぁい」より

 

私は1979年生まれの43歳ですが、年上の人から『原理研』の話を聞くことがありました。

 

私が大学生のなったのは1998年でしたので、オウム真理教事件の記憶が生々しくて「宗教」に関する勧誘は、徹底的に警戒されてて、実際、下火だったと思います。

 

その代わりに「自分探し」という言葉が流行したように感じます。

 

その後、インターネットが普及し、地に足つかない浮遊した個は、良くも悪くも「ネットナショナリズム」に収束され『宗教』がつけ込む隙は無くなったと思っていました。

 

 

実際、どうなんでしょうね?


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コメント: 5
  • #5

    グッビオのオオカミ (月曜日, 05 12月 2022 16:22)

    正体を隠して近づく、それが一番汚い所です。
    ただ、自分の私生活が満たされないと、そういう空虚な感覚に作られた「楽しい感覚」や「使命感」は依存性を持ちそうです。

  • #4

    トミキョウ (火曜日, 29 11月 2022 12:27)

    87年大学入学です。
    地方から東京の大学に。
    母親からは原理研や民青等には気を付けるよう言われていました。
    民青と同じかと思っていましたが、、、、
    無事、事なきを得ています。

  • #3

    はな丸 (木曜日, 24 11月 2022 22:57)

    92年大学入学です。オウム事件前ですが、「原理研=警戒対象」という認識はありました。独り暮らしに際し親に忠告されたのか、先輩からか、同級生との共通認識であったのか・・・思い出せません。
    ただ原理研なるものが何者なのか、深く考えることはありませんでした。
    「原理研=統一教会」であると知るのは、ずっと後のことです。

  • #2

    やなちゃん (木曜日, 24 11月 2022 20:09)

    私もオウム事件後に大学生になったので、宗教への警戒マックスな時代でした。と同時に、超地方の頭悪い女子大だったせいか、そういう勧誘はなく平和でした。
    カルト宗教の誘い自体、頭いい有名大学に集中してあるのかな、と偏見があります。バカを下に見ていて癪でもありますが、誘う側がどういう人を取り込みたいのかが伺えるし、実際に取り込まれた人を見て「偏差値ばかりが能じゃない」と学びにもなりました。

  • #1

    ひらたまさき (木曜日, 24 11月 2022 20:03)

    それ笑うセールスマン