≪思想≫ 本当に死生観持っていますか?

 

投稿者:kenさん

  

少し違和感があります。

死生観、軽々しく死生観などと皆さんおっしゃいますが本当に死生観持ってますか?

たかがコロナを恐れないくらいのことを死生観なんて思ってるんじゃないでしょうね。

と、少し皮肉を言いたくなるハザマ世代です。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)   

 

こういう建設的な皮肉はヒップホップのMCバトルみたいで嫌いじゃないです^^。

 

それでは私がアンサーします、YO(笑)

 

・・・

 

死生観とは要するに「美意識」を持っているかどうかに尽きると思います。

 

具体的に言えば「自分が美しいと思う態度を、死ぬまで選び続けて生きていこうとすること」だと思います。

 

 

 

だけど肉体的・精神的な痛みや苦しみや恐怖を前に、美意識を保つことは難しいです。

 

国のため、子供のためと戦場に出ても、

 

戦場の恐怖と飢えと痛みに直面すれば

 

その美意識が保てるかどうかは全く自信がない。

 

 

たとえば私は今、2週間後の7月23日には小林よしのりと生放送をやると思うと、プレッシャーと緊張で、今から体がガタガタふるえちゃって、胃まで痛くなっちゃって、こんなんで「私には死生観がある!美意識がある!」などとは胸はって言えないです!

 

だから普段からトレーニングをするしかないんです。ここまで弱いんだから仕方がない。

それが私が思想をやってる理由です。

 

死生観は、免許や資格みたいに1回パスすりゃハイ終わりじゃなくて、日々磨いていくしかないのでしょうね。

 

 

・・・さて、今度は「kenさんの死生観」を聞かせてください。マイクをどうぞ(笑)

 

 


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コメント: 18
  • #18

    ロドリゴ (月曜日, 11 7月 2022 11:34)

    私は他者に対する「死生観」と自分に対する「死生観」を分けて考えています。

    他者に関しては
    忌野清志郎が延命より歌声を選択したこと、つんくが声よりも生きる可能性にかけたこと等々のどちらの死生観にも口出ししようと思いません。人にはそれぞれ優先したいことがあるでしょう。
    産まれ、育った国や環境による影響も強いと思います。死産が多く、平均寿命が若い国、爆撃で家族を失った子供。外的要因も多く影響することだと考えています。
    ただ、日本の自殺の多さには心を痛めています。

    自分に対しては
    「死生観」含む「人生観」として
    今生きていること自体が奇跡だと思っています。そして、「死ぬ時は死ぬ」位です。
    痛みや飢えの時に自分がどうなるかは不明ですが、食料は子供に与えたいと思っています。

    日本で「死生観」が育っていないと仮定するならば、まず「安楽死」や「脳死」の議論が必要なのでは?と思います。良い悪いではなく、日本人にとって「死」と接する機会が少なくなっているのも要因だと思います。

  • #17

    よっしぃ (日曜日, 10 7月 2022 23:44)

    人が自分の死を意識しそれを考えたなら、その時点でそれは死生観なんだと思いますよ。
    個人個人の考える事を他人が高尚だとか下劣だとか言って評価する事も不粋だと思いますしね。

  • #16

    グッビオのオオカミ (日曜日, 10 7月 2022 21:50)

    死生観。美学や美意識というよりも「自分はいつか死ぬ。人生は有限。いつどういう形で死ぬかは選べない」それを了解する事が大切な気がします。
    別に日頃、大した人間でもありませんが、死ぬまでにいいことを一個くらいはしたいとは思っています。
    極限状態で自分がどうなるか、その時にしか分かりません。生身の肉体があるので自分の想像以上に弱い気もします。しかし、出来れば、出来るだけは、別段美しく無くても良いので、良い事をして終えたいという思いはあります。
    難しいですね(笑)。

  • #15

    潤峰 (日曜日, 10 7月 2022 17:51)

    人間は必ず死にます。
    自分自身へ「どんなふうに死にたいのか?」と問う事も死生観の醸成に繋がると思います。

  • #14

    神奈川県民 (日曜日, 10 7月 2022)

    私は新コロがさして怖いとは思いませんが、いつ死んでもいいと思っているわけではありません。単に人生の中に転がってる様々なリスクと比較して、特別避けて通らないといけないものとは思えなくなっただけです。これは死生観がどうというより、単なる事実でしかないと思います。
    こうして考えると、コロナと死生観を考えるとしたら、リスクの低い若者とリスクの高い高齢者がどのように社会で共存するかということに尽きますね。若者の視点に立てば、自分自身の自由や人生の充実を高齢者の命のためにさしだすのはいかにも模範解答のように思えます。
    自分が高齢者の立場なら、自分の命のために若者が息苦しい思いをするなど考えたくもないことですが、今の日本を見てるとあまり共感されない考え方なのかな。それとも実際に歳を重ねると感覚も変わるのか…

  • #13

    稲垣 (日曜日, 10 7月 2022 14:03)

    死生観について日常の中だけでは中々考える機会は少ないと思いますが、不意に襲ってくる非日常(親しい人の死や戦争、自然災害等)的出来事に直面すると、否が応でも人間は必ず死ぬという現実を考えざるを得なくなります。その経験、体験、思考の積み重ねにより、次に現れてくる非日常的出来事への気持ちの準備がアップデートされて行くのだと思います。
    それは己自身そして周囲の身内、仲間の死への準備と言い替えてもいいかもしれません。

    死生観とはそのように積み上げていくものであり、当然ながら個人個人違って当たり前だと思います。

    結論

    『死生観を理解しているのか?』

    という質問は、他人に聞く事ではなく、己自身に問い掛けるものだと、私は思います。

  • #12

    おてんば (日曜日, 10 7月 2022 13:37)

    私は48歳のシングルマザーです。
    仕事は高齢者の訪問リハビリマッサージで、パート職員です。
    カレーせんべいさんの死生観「自分が美しいと思う態度を、死ぬまで選び続けて生きていこうとすること」に共感します。
    私は今まで、訪問リハビリマッサージの営業所を2箇所で働いてましたが、ご利用者のワクチン接種後の被害を見て黙っていることができないため、所長にワクチン接種の危険性をご利用者に話したいと申し出たところ、1箇所の職場からは解雇され、今は1つの職場で働いてます。
    私を解雇した所長は、もしも、ワクチン接種せずにコロナでご利用者が死亡したら、店がご利用者を殺したという悪い噂が立つから辞めてほしいとのこと。
    私は、人に嫌われることと、ご利用者の命を護ることを天秤にかけるなら、人に嫌われる方を選びます。
    同調圧力の日本で、自分は真実を選び、誰かのために働くのは、リスクがあると覚悟の上です。
    嫌われても、できる限りの周りの大事な友人、知人を護りたいと思っています。
    周りに迎合して自分だけ得をする偽善者には成り下がりたくないです。
    それこそ、死にながら生き続けるようなものです。
    高齢者は老害ではなく、日本を護り、支えてくれた功労者です。
    その功労者を護り、子供を幸せに育てられたなら、いつ死んでも本望です。
    これが私の死生観です。

  • #11

    SR (日曜日, 10 7月 2022 12:14)

    「人は必ず死ぬ」「数年後に生きていられるかどうかも分からない」、これを感覚として受け入れているかどうか、庶民の死生観はこのくらいで良いのではないでしょうか。

    「コロナで死ぬかもしれない!!」となったとき、「その通りなんだが、自動車事故やらなにやら、そもそも死ぬかもしれない毎日で、特別大きなリスクじゃないよね」と普通に思えたかどうか。

    >たかがコロナを恐れないくらい

    「たかがコロナ」と思えるかどうか、その人に死生観があるかどうかの影響を受けると思いますよ。

  • #10

    枯れ尾花 (日曜日, 10 7月 2022 11:43)

    「朝、目が覚めると、蒲団の中で先ずこれをやる。出来る限りこと細かい己の死の様々な場面を思念し実感する。つまり入念に死んで置くのである。」
    確か、冒頭このような文言で始まる
    「死ぬことと見つけたり」隆 慶一郎著
    という時代小説が、死生観という言葉から先ず頭に浮かんできます。
    主人公は佐賀の鍋島藩士の物語なんですが
    自分を死人と捉えて生きていくことで死を恐れず、一瞬に己の全てをかけることで凄みが増す。「失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼らは勝つことさえ望んでいない。勝っても負けてもやるべきことはやる」という考え方。
    私は武士道については詳しくないのですが、作者は小説の中で自分が理解している武士道の死生観についてこのような表現をされたのかなあと思っていました。
    生き方に美意識を求めようとするとやはり土壇場での態度が評価の要因になるのだろうと。
    私も自分が死ぬ様を色々シミュレーションしてみようと試みたことがありましたが、
    恐怖に押し潰されてしまいます。
    人生死ぬまで鍛練だと肝に銘じてます。

  • #9

    ねこだるま (日曜日, 10 7月 2022 11:26)

    kenさん:#10

    >老人を老害などという下品な言葉でディスる投稿が目立ったので皮肉のひとつも言いたくなったわけですが、

    「老害」という言葉の下品さ、同意です。
    私も妻が両親(私の義父母)を介護している状況ですので、そんな言葉はとても使う気になれません。
    溜飲下げるためにちょっと言っておくとこの言葉は2ちゃんねる界隈で発明され使われるようになった(と思われる)ということです。
    2ちゃんねるの世間は全てのことをネタとして面白がり、「ネタにしてるオレの方がされてるヤツより上位」というバカ殿を気取る世界ですから。もちろん一時的な世間であり、2ちゃんねるを見たり書いたりした人が 365日2ちゃんねる的「老害」的な物言いをする人だと言うわけではないですが。

    「老害」という言葉が社会に悪影響を与えるとか、自分が将来介護される身になるということに対する想像力が欠如し、あるいはバカ殿を気取るためにわざと欠如させて「言ってみただけ」の言葉と思います。

    >なんやかんや言っても今の日本はなかなか公正で住みやすい国であり、それを作り上げた先輩方をもう少し信用してあげてもいいのでは、と思います。

    20年前ならもろ手をあげて賛成しました。
    当時は宮台真司読者の界隈で「社会が悪い。個人に同調圧力をかけてくるから AC が出てくるのだ」みたいな物言いがたくさんあったので、それに対するカウンターとして、
    「今は平和で豊かないい時代。そう言わないとご先祖様に申し訳ないと言う気持ちもあるが、それを割り引いてもいい時代」と当時のサブカル仲間と言い合っていたことを思い出します。

    なんだかんだ言って平和であり、物質的にも文化的に豊かで、マウスクリック少々とカードの情報拠出すれば世界中のものが手に入る状況ですからね。

    ただ現在では生きていくのも難しい、まして子孫を残すのも難しい時代になってきているな、とひしひし感じます。そういう時代にしたのは先祖様でも先輩方でもなく自分ですが。

  • #8

    パワーホール (日曜日, 10 7月 2022 11:20)

    死生観という言葉は軽々しく使っていい言葉ではないと思います。私は、今月で40になりますが、誕生日に西部邁先生の死生論を購入しようと思い、アマゾンで調べたのですがもう発売されてないみたいですね。確か西部先生の著作で小林先生があとがきを書いたものがあるようなのでできればそちらの著作を教えていただきたいです。
    思えば、この2年間、コロナ騒ぎのせいで人生の貴重な2年間を無駄にされたと感じています。1万年生きたいという玉川にも呆れますが、大学卒業後の人生をウイルスを目の敵にすることにのみ捧げる感染症専門家たちにも怒りを感じます。奴らは本当につまらないやつですし、そんな連中のせいで多くの人が苦しみ、異様な世の中にされたことが本当に悔しいです。横道にそれますが、感染症に備えることも大事だと思う一方で、感染症専門家になる奴は最低だとも思ってしまいます。専門家なら感染対策だけでなく上手く付き合っていくことも考えてほしいです。
    それと、私も死に対する不安、死んだらどうなるんだろうというものがあります。死後の世界とかいろいろ言われると不安が増しますよね。本当にコロナ騒ぎが終わってほしいし、これ以上、人生を無駄にされたくないです。

  • #7

    のんくん (日曜日, 10 7月 2022 09:58)

    私は50代になったばかりの時に過労死寸前の状態で倒れた時生まれて初めて死を強く意識しました。
    そしてようやく良くなってきた時に自分より若い友人が47歳でがんで亡くなりました。
    この5年間親戚やお世話になった知人が立て続けに亡くなり、若い頃よりも死が身近に感じられるようになり以前より生への執着よりも、どう死ぬか?何を遺して死ぬか?を以前よりも考える様になりました。なかなか明確な答えは出ないですが
    今のところ親が健在なので親を見送るまで死ねないと思ってますが、子供や孫世代に恥ずかしくない生き方を示して死にたいですね。

  • #6

    ねこだるま (日曜日, 10 7月 2022 09:54)

    萬田緑平氏のプレジデントオンラインの記事より
    https://president.jp/articles/-/59340
    4歳児が「5歳にはなれない」と悟ったとき…難病を生きた青木一馬くんが大好きな人たちに伝えたこと

    関連性は薄いかも知れませんが紹介しておきます。
    美学という言葉が出てますが、自分がこの青木一馬クンと同じくらいカッコよく死ねるかどうか----

  • #5

    Richard Tiger (日曜日, 10 7月 2022 09:28)

    そりゃ確かに、「悪法も法なり」と言って、自ら毒酒を飲むソクラテスみたいに、死生観を確立するなど、なかなか難しいのかもしれません。

    ゼロイチの話ではなく、いま上に向かって磨いていくか、堕落するかの話なんだと思います。

    残念ながら、私も未だに死に恐怖を持っている最中です・・・

  • #4

    近藤 (日曜日, 10 7月 2022 06:29)

    ただ生きることを目的にしないこと。
    自分が生きている意味を考えること。
    自分に生きている価値が無いと思ったら
    自分の手で死ぬこと。

  • #3

    ken (日曜日, 10 7月 2022 00:53)

    私は煩悩にまみれた凡夫ですので死生観などという高邁な言葉を使えるような完成された人間ではありません。
    なので死生観というより私の人生観について恥ずかしながら少し。
    仏教を多少勉強してましてその過程で、人間の本質は『関係性』であるという共存の思想を知りました。
    今の自分が存在するのは過去の自分の行為はもちろんのこと、関わったすべての人々、先輩、この国の先祖あらゆる影響に育まれて今の自分があり、そしてこの自分の生き様も、ちっぽけではあってもなんらかの『影響力』を未来に及ぼすのだろうと考えています。
    仏教用語でいうところの縁起です。
    つまり私が今日いかに生きるかということが未来の世界に無関係ではありえないと自覚しながら生きることです。
    とはいえまだまだ未熟な還暦の私は、ちょっとしたことにも腹を立てたり怒ったりしては自己嫌悪に落ち込む毎日です。
    そんな時は【生きとし生けるもののうえに幸いあれ】という言葉を思い出して心を鎮める努力をしています。
    とまあ、この程度の人間ですので死生観を語るには未熟すぎるようです。

    老人を老害などという下品な言葉でディスる投稿が目立ったので皮肉のひとつも言いたくなったわけですが、なんやかんや言っても今の日本はなかなか公正で住みやすい国であり、それを作り上げた先輩方をもう少し信用してあげてもいいのでは、と思います。
    乱文失礼しました。

  • #2

    かっきー (土曜日, 09 7月 2022 23:10)

    もし、緊急事態条項やワクチンの強制接種基本的人権がなくなるなど、あったとしたら安倍首相のような銃撃で死んだ方がマシだと思っています。
    それを阻止するために今できる事をしたいのです。

  • #1

    ひとかけら (土曜日, 09 7月 2022 22:16)

    美意識を持って生きるには最悪の事態をいつも想像して生きる必要があると思います。例えば身内が出かけたまま帰ってこないという可能性を想像するとか。しかし、そんな緊張感はいつも持ってるわけではないと昨日の安倍晋三氏の銃撃事件を見て思いました。彼がこんなに早く去ってしまうとは想像してませんでした。私は彼の支持者ではないですが。