≪考察≫ 政治家にとっての「コロナ禍の終わり」とはどこなのか?

投稿者:すえとさん

  

【疑問】政治家にとっての「コロナ禍の終わり」とはどこなのか

 

初めて投稿させていただきます。このサイトを知ったのは今年の8月ごろ、それから頻繁に見ています。

 

冒頭の質問ですが、コロナ禍の終わり、今の多くの一般国民であれば「総理や分科会会長の尾身茂が収束(終息)宣言を出したら」と答えるでしょう。

 

では多くの政治家はどう考えているのだろう?その疑問を感じ、投稿させていただきました。

 

 

この前の日経新聞のネット記事で、特措法改正の作業部会の初会合がなされたことが載っていました。

 

『自民、感染拡大時の私権制限 特措法改正の検討開始』

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA177EM0X11C21A2000000/

 

 

西村康稔氏はその中で、私権制限も選択肢である旨を話していました。

 

特措法改正を考える中で、私権制限という言葉が軽々しく使われてしまうところに強い懸念を持ちました。

 

しかし同時に、西村氏の頭の中で「コロナ禍の終わり」について、答えを出せていないばかりか、考えてさえもいないのではないか、とも思いました。

 

皆さんは、「政治家にとってのコロナ禍の終わり」がどこにあるのか、あるいはそんなこと考えている人はいないのか、それを伺いたく投稿させていただきました。

 

私自身1つ想像できるのは、現政権では「最悪の状況も想定の上での対策」という言葉を使っていますが、その言葉を使ってしまうがために、逆に「専門家」の人たちは「最悪の事態を想定」の上での対策を提言してしまうのではないか、という点です。

 

結果的に、これまで再三繰り返されてきた 

①過剰な感染対策 

②緊急事態宣言の乱発 

が行われてきたのかもしれない、そう考えております。

 

「専門家」からすれば、政治家の人たちに線引きとなる材料や判断が欲しいのではないか、とも考えております。

 

仮に私の推測が正しいのであれば、来年の通常国会では「終わりをどこにするのか」を議論しなくてはならないし、国会だけでなく国民的議論にする必要がある、その時に『コロナ論シリーズ』をフルスペックに活用していく必要があると考えています。

 

長文失礼いたしました。

ご回答お待ちしております。

 

このほかにも疑問を多く持っていますので、また投稿すると思います。その時はよろしくお願いします。

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

初投稿、どうもありがとうございます♪

 

政治家にとってのコロナ禍の終わりについてですが、それは「PCR検査を辞めた時」です。

 

PCR検査を辞めれば、コロナ陽性者の可視化ができなくなるので、政治家も、マスコミも、これ以上取り上げようがないので、自然とコロナ禍は終わります。

 

そしてPCR検査は、日本はアメリカに倣えで、来年から縮小するでしょう。

 

だから「実はもうコロナ禍は終わっている」と私は考えています。

 

 

問題はワクチンです!

 

 

来年2月から5歳から11歳までの小さな子供たちにまで、コロナワクチンが接種される流れですが、これがどうやっても止められない!

 

政策が変えられないのなら、世論を変えるしかないです!


 

インターネット広告欄

コメント: 6
  • #6

    パワーホール (水曜日, 22 12月 2021 21:36)

    一日も早い終息を望むが、今後二度とこんなことが起こらないようにウイルスとの共存共栄のための研究を国家プロジェクトととしてやってほしい。私がもし政治家ならそう提案したい。

  • #5

    すえと (水曜日, 22 12月 2021 14:06)

    皆様、コメントいただきありがとうございます。政治家にとっても「終わり」をどこにするのかは難しいのかもしれない、けれども今の状況が続く限りだと政治家も「専門家」も「終わりを見つけなかったよね」ということになるかもしれないですね。
    今後も倫理・哲学的なことから科学的なことまで、色々疑問に思ったことを挙げていければ・・・と考えております。

  • #4

    モコチ (水曜日, 22 12月 2021 04:11)

    今は変異がさらに進んだオミクロン株の話で持ちきりですが、実際は重症者はほとんど居ないため、ワクチンの出番がこのままではなくなってしまいます。
    とにかく在庫を早く処分したい政府は論理的整合性を完全に欠き、「早く3回目」を、そして「若年層へ接種」をしてしまえと焦っています。
    接種への同調圧力の問題が懸念されるため学校施設での集団接種は極力控えるよう文部科学省は各教育機関へ通達を出してはいますがこの方針もいつ覆るか分かりません。

    来月は私の子供の授業参観があるため、たけしさんの意見広告を持ち、担任の先生にワクチンのリスクを伝えて来ようと思います。

  • #3

    cheongsang (火曜日, 21 12月 2021 23:21)

    これは、武田邦彦さんや森田ひろゆきさんが言ってたことですが、政治家が何人まで死者を許容するかでしょう。
    ゼロにはならない
    交通事故死者数でも、社会的に3000人ぐらいまで許容してて、
    これ以上減らそうと思ったら、車の制限速度を30キロまで落とす必要があるとか、それは、社会的に許容できないから。

    コロナもゼロにはならないから、年間何人までなら死亡してOKかでしょう。まあインフルエンザは年間一万人死ぬので、すでにコロナの死者数は、社会的許容範囲内だと思います。

    これは、政治家が線をひけばいいだけな話です。ゴールポストをきめればいいだけ。

  • #2

    ねこだるま (火曜日, 21 12月 2021 22:42)

    コロナ禍は最初から来てないのであって、「コロナ情報禍」「コロナ騒動」「コロナ茶番」等が正しい表現だと思いますが、小林氏もコロナ禍ってってますね。

    考えられる終わりは

    ・PCR検査をやめたとき(カレーせんべいさん案)
    ・2類から5類に下がったとき
    ・マスコミが新規感染者を報道しなくなったとき
    ・マスクをしなくて当たり前になったとき
    ・人々がコロナを恐れなくなったとき

    等が考えられますが、私は

    ・感染必ずしも悪ならず(免疫ができるので)
    ・感染者増必ずしも悪ならず(集団免疫ができるので)

    という認識を多数の人が得ないと、次の感染症でまた同じことが繰り返されると思ってます。
    カレーせんべいさんのおっしゃるように、いずれこの騒ぎは収まるでしょうけど。

    コロナ脳の人たちはコロナ感染というマイナスのブランドとワクチンというプラスのブランドに取り付かれ、差別のしやっこというか、差別される恐怖から逃れるためにワクチンに走っているように見えます。
    ブランドというものは、内実がわからないまま人を差別化できるもので、ブランドが好きな人はスキャンダルを好むという気がしております。「あの人部落だから」「あなたワクチン打った?」など嬉々として言う人などまさにそうでしょう。

    ただ世の中変えるとか、自分が属する世間を変えるには、自分のブランド力を高めるとか、何かのブランドを売り出していかないとならないのかなぁとも思っています。

    勉強して内実を理解しなければならないものに中々人は飛びつかないですよ。ブランドがあって初めて大衆は投票できるわけで。(愚民思想)

    以上、政治家にとってのコロナ(情報)禍の終わりから離れた話になりましたが、形而上の話が出たのが嬉しかったのでコメントしてみました。

  • #1

    the_k (火曜日, 21 12月 2021 21:30)

    多分ですね、PCRをやめた時だとか、終息宣言をした時だとか、そう言った真っ当な話では無いかも知れません。
    コロナ禍そのものはキッカケであり口実に過ぎず、最終的には独裁政権を作るのが目的なのかも知れませんよ。
    ニュージーランドは着々と独裁政権が作られつつありますし。アレはコロナを口実にして、本当は強権発動出来る体制を整えるのが目的なのをもはや隠さなくなってます。