≪問題提起≫感染症専門医育成について

投稿者:パワーホールさん   

 

10月21日(木)の朝日朝刊3面にパンデミックに備えて感染症専門医を増やす必要性があると書かれていました。

https://www.asahi.com/articles/ASPBG5TRVPBFUKJH00Q.html??iref=pc_special_coronavirus_list

 

 

私は感染症専門医の育成は必要だと思いますが、ただ増やせばいいという考えは良くないと考えます。

なぜならこのコロナ騒ぎで登場した専門家の多くがひたすらウイルスに対する敵意や恐怖を植え付け多くの国民を洗脳状態にし、あまつさえ社会を混乱させたからです。

 

ですから今のようなウイルスに対する視野狭窄な見方しかできない専門医を増やせば、今以上に多くの国民が扇動され社会や生活に悪影響が出る可能性は否定できません。

そのためにも感染症専門医育成の第一条件として病原体としてのウイルスではなく、生命体や生物としてのウイルスについての広範な知識をしっかり学ばせるとともに、パンデミックになっても人々が安心して暮らせるように考えられる思考。

 

また、私たち国民がウイルスについての広範な知識を持つための博物館での展示やワークショップの開催も同時に提案します。

私も先月、地元の博物館に行き、ウイルスについての展示やワークショップをやってほしいと職員の方にお願いし、またアンケートにも記入してきました。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

朝日新聞が取り上げた「パンデミックに備えて」を話し合う会議で「忽那賢志」が登壇しているのだから、パワーホールさんがおっしゃった「ただ専門家を増やせばいいという考えは良くない」というのはその通りだと思いました!

 

一方で「専門家の育成」というのは、本当難しいことですね・・・。

 

これは、薬害エイズ事件の時に「官僚の体質」を糾弾し、「正しい官僚の在り方」を提唱していた学生運動にも言えることですが、究極的なことを言えば『自分が専門家になるしかない』と考えます。

 

もし育成対象が「政治家」であれば、選挙権の行使によって多少は選ぶことができるのですが(それとて実質的には「育成」とはほど遠いと感じるわけですが・・・)、「専門家」の育成というのは、さらにハードルが高いと感じます。

 

自分がその現場を取るしか、現実に変革することなどできないからです。

 

 

ただ、自分がその専門家にはなれない場合、「どうにもならない」とニヒルに諦めて思考停止してしまうのではなく、パワーホールさんのように問題意識を持っていれば、いざ世の中に動きが起こったときに、正しい判断と行動がとれるのだと思います。

 

自分の身は一つだけ。一生のうちに成し遂げられることは極々限られた範囲。

 

それでも国を想い、全方位的に思考を続けることが、無意味だとは思わないです。

 


 

 

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コメント: 2
  • #2

    匿名希望 (日曜日, 24 10月 2021 18:28)

    私は広い意味としては、医療というサイエンスの知識、理解を一般教育(小、中、高といった義務教育、準義務教育)の場で教えてないことが問題と考えます。感染症というのは誰もが出くわすもので(医療の分野では尚更、人間を診ている限りほぼ全ての科で関連がある)、専門性も重要ですが基本的知識が不足しないことが必要とされます。自分自身の肉体、精神にも及ぶ、現実的な科学的知見に興味のない人はおそらく居ないでしょう(高齢の方々の健康番組、宣伝に対する視聴率の高さからも伺える)。教科書に載せるようになれば、御用学者のみによる誤ったデータ、説明の披露とばかりにはなりません。できれば、皆さんも同じ意見であればと思います。

  • #1

    パワーホール (日曜日, 24 10月 2021 13:21)

    カレーせんべいさん、ありがとうございます。思考の後の文章が途切れてしまい申し訳ありません。送信時に確認したのですが。
    専門家にならなくともやれることは必ずあるのでできることはやるのが大切だと思います。