NFLのコール・ビーズリー選手 「コロナワクチンの接種拒否宣言」

投稿者:くれはさん

 

アメリカ発のニュースを紹介します。

6/20配信のニュースです。

https://nfljapan.com/headlines/65157

 

NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のバッファロー・ビルズのコール・ビーズリー選手は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンを接種拒否したそうです。

 

 

ワクチン非接種の選手は他人に近づかぬように定めたNFLとNFLPA(選手会)が共同で採用するルールに従うつもりはないと主張した。ビーズリー選手はソーシャルメディアでのスタンスに対する批判を受け、現地6月18日(金)にワクチン接種を受けていないことを明かしつつ、「一度きりの自分の人生を何にも関係なく好きなように生きる」とツイートして話題になっているとありました。

 

ツイッターに投稿したメッセージには

「自分の仕事は屋外でやる。人前にも出る。もし俺のことを怖がるのであれば、近づかないようにするか、ワクチンを接種するかだ。もしかしたら、俺はコロナで死ぬかもしれないけど、らしく生きられないのなら死を選ぶ」とか

「骨折してもいない足のために薬を飲むつもりはない。どっちかと言えば、コロナで免疫力を高めたい。今年は自由にプレーし、生まれたときから生きてきた形で自分らしい人生を送りたい。引退を余儀くされるなら、それはそれで仕方がない」とも。

 

記事を読んで知りましたが、アメリカのプロスポーツ(NFL)の世界はワクチンの圧力はかなり強そうです。こうありました。

 

「ワクチン接種済みの選手はチーム施設やチームの移動中にマスクを着用する必要がなくなる。また、移動中の制限もなく、サウナやスチームルーム、ウエイトルームも定員制限なく使用可能になるほか、移動先でワクチンを接種した友人や家族との交流も可能になる。」

 

「一方で、ワクチンを接種していない選手は日毎のCOVID-19検査を受けること、チーム施設内や移動中のマスク着用が義務付けられる。加えて、サウナやスチームルームの使用を禁止され、ウエイトルームの人数も制限があり、移動先でチームホテルから外出して食事したり、行動をともにするチームのグループ外の人と交流したりすることも認められない。」

 

打たないと毎日検査とか、ペナルティーが多過ぎます。

 

 

もう打たざるを得ない状況かと思いますが、その中で個の意見を貫く姿勢は凄いと思います有名人がこういう意見を発信すると、ワクチン接種で迷っている人は心強いですね。日本にも出てくると良いですが、現状期待は薄そうです。

 

(管理人カレーせんべいのコメント)

 

くぅぅ~、シビレるじゃないか、コール・ビーズリー選手!

アメリカにはロックンローラーがいるのか!チクショーー!!

コメント: 2
  • #2

    阿井上夫 (火曜日, 10 8月 2021 22:53)

    新型コロナに2度感染するもワクチン接種を避け続けている
    ボルティモア・レイブンズのQB、ラマー・ジャクソン選手の記事です。
    https://nfljapan.com/headlines/66402
    ただ、記事の締め方がワクチン接種することを期待するような終わり方です…。

  • #1

    たそがれ (土曜日, 07 8月 2021 14:21)

    これは本当にシビれますね!
    新型コロナの脅威が日本とは桁違いであろう中で、
    また立場上ペナルティも多い中で、
    これだけはっきりと自分の考えを発言出来る個の強さに感服します。

    ビーズリー選手の言う通りだと思います。
    コロナが怖くてその対策として自らすすんでやりたい人が、
    勝手に自粛をするなりマスクをするなりワクチンを打つなりすればいい話で、
    それを社会全体に強要して、他者の私権を侵害しようというのがおかしいと感じます。

    大した根拠もない単なる思いつきのようなことで、人の仕事や行動を勝手に不要不急と言って切って捨てる傲慢さというのは、「新型コロナの患者を減らすためだから、不要不急の業種に就いている人は生活できずに死んでも諦めてね」と言ってるように私には聞こえ本当に不快です。

    ワクチンも同様で、まだ分からないことだらけで根拠薄弱なはずなのに安全だと言い放ち、半強制のような空気を作り出す…。
    特定の感染症にならないためなら、他の何を犠牲にしても気にしないという今の風潮は、やはり狂っているとしか思えません。

    ビーズリー選手ほど潔くカッコよく振る舞うことは今の私には出来ていないけれど、
    ワクチン接種をはじめ、今行われているコロナ対策が本当に妥当なものなのか、これからも考え続けていきたいと思います。