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週刊SPA!9月8・15日合併号 第97章「コロナ差別は恐怖から生まれる」

コロナ差別は恐怖から生まれる


ついに1周年!!

毎週欠かさずゴー宣感想座談会 

タッチ&ゴー

《収録参加》

え:えみりん

た:たっちゃん

カ:カレーせんべい

  

《収録》

2020年9月1日

 

週刊SPA!9月8・15日合併号

ゴーマニズム宣言 第97章

 

コロナ差別は恐怖から生まれる

 

え:今週のゴー宣を読んで、「モーニングショーって狂った番組やな」と思いました。

 

カ:凄い感想やな(笑)

 

た:どうしてそう思ったんですか?

 

え:コロナ感染者がひどい差別を受けていると放送しておきながら、自分たちがコロナに対する恐怖心を煽ったことが差別が起きた原因の一つだということを全く理解してないからです。

 

た:確かに。ゴー宣の中では『放火魔が火の用心って訴えるようなものだ』と描かれていましたが、まさにその通りだと思いましたね。

 

え:自分たちで必要以上に恐怖を煽っておきながら「差別をするのは良くない」って言っているのは、頭おかしいのかなと思って、読んでて怖かったです。

 

カ:イジメが起きるように煽っておきながら、後ろから「おいおい、君たち少しやりすぎだよ。」って半笑いで言ってるようなものかもしれないね。反吐が出る。

 

え:「隔離」という言葉を「保護」に言い変えるところも、怖いと思いました。

 

カ:完全に詭弁ですよ。

 

え:それは感染者のためじゃなくて、自分のために言ってると思いました。「隔離」という言葉を使ったら、自分が差別者と思われるのが嫌やから「保護」と言い方を変えただけだと思いました。

 

カ:小林よしのり先生が完全に論破されていて、『本来、無症状の患者は「保護」の必要もない。これは「ウイルスをうつされるかもしれない」と怯える社会の方を「保護」しているのであって、感染者にとってはやはり「隔離」以外の何物でもない。』と述べていました。

 

え:コロナに感染していない方を守るための保護であり、隔離やろって思います。

 

カ:しかもそれが科学的に基づかない行動であり、ほとんど感覚や気持ちの問題からなんです。それを「差別」と言うんですよ!

 

え:玉川徹って全部自分のために喋ってる感じも伝わってきました。

 

カ:公共の電波で放送しているテレビ局にも責任があると思う。

 

え:責任よりも視聴率の方が大事なんかな?

 

◆◆◆

 

え:1ページ目の感染者差別の内容を読んで、日本人はこんなに醜いんだってすごいショックでした。

 

カ:日本人の悪い部分が表出してますね。「こんなふうに思ってたんや」とか「こんな本性があるんや」というのがよく分かります。

 

え:私の友達で在日の人がいますが、その人のお姉さんが田舎暮らしで村八分みたいな目にあったんです。その人が言うには「日本人ってうわべはすごいいい人やけど、ネチネチしたもんを感じるときがある」と言ってて、それはこういうことなんかなって思いました。

 

カ:すごくよく分かります。私も、仲良かった人や、影からそれなりにフォロー差し上げていた人から、ある日を境に集団で石をぶつけられた経験はありますが、「人は、こんな言葉が言えるのか?」とか「人は、こんな行動が取れるのか?」と驚いたことがあります。人間の奥底に存在するヘドロのような感情は、突然表出するので怖いです。この感染者を差別する人にしても、もし自分が感染したらどうするのかな?

 

え:自分が感染者になったら、こういう差別されても仕方ないって思うんかな。

 

カ:自分や、自分の家族が感染して、他人から差別されるようになって、はじめて反省するのかな?

 

た:いや、自分が差別されたら「人権侵害だ」って言うと思います。

 

カ:まあそうなんやろな。だからね、やっぱね、差別がいっちゃんムカつくな! ほんまにムカつくわ! モーニングショーがリベラルを気取るなら、理不尽な差別に今の私以上に腹を立てるはずでしょう。それならば、その差別の大元が自分たちが形成してきたコロナに対する恐怖感であることを振り返らないものなのか!?

 

え:玉川さんは、まさか自分が差別者だとは思ってないんでしょうね。

 

た:明らかにコロナウィルスを特別視して、感染者を差別してるのにね。

 

◆◆◆

 

た:僕は『放火魔が火の用心を訴えるようのものじゃないか』の絵が面白いなって思いました(笑)

 

カ:「カクリカクリカクリ」「コロナ用心」って言うてるね。

 

た:ハッピも着てて、面白い。

 

カ:確かに、ちょっと面白い。ストラップとして商品化して欲しいクオリティーです(笑)

 

た:やってることや、社会に与える影響は、最悪なんですけどね。

 

カ:ほんまに最悪やで。

 

た:玉川徹が『違うんですよ。「保護」なんです。感染してる人を、「保護」する。』って喋ってるところは凄いインパクトがありました。

 

カ:この論理、もし玉川ファンが聞いたとしても「その通り!」ってなるのかぁ?

 

た:玉川さんが第三者的に自分を見たとしても、突っ込まざるを得ないと思うんですけどね。言葉を言い換えても、本質は何も変わらない。僕もこのコマを見たとき恐いと思いました。

 

◆◆◆

 

た:先週、うちの会社の副社長がPCR検査を受ける話したじゃないですか? 検査の結果は、陰性でした。

 

カ:それはよかったですね。

 

た:副社長は、検査をする際の感染対策が過剰過ぎて、バイ菌扱いされたって怒ってたんです。

 

カ:うーーーん、実際は分からないですけど、それは仕方がないところもありますよね。医療関係者の方々は大変だと思います。

 

た:副社長はPCR検査を午前中に受けて、午後からは普通に出社していたんです。その時点では陰性か陽性か分かりゃしないんですけど、普通に会議もしていたんです。

 

カ:いや、ま、そんなものでしょう。だって症状が無いのだから。

 

た:でもですね。パートさんの子供が通う学校で陽性者が出たときは「しばらく出勤を控えてくれ」って、パートさんには言ってたんですよ!

 

カ:・・・事情が変わった。話を続けて。

 

え:なんですか、その口調(笑)

 

た:パートさんに対しては、お子さんの学校に陽性者が出ただけで出勤を拒否したのに、自分は陽性者の濃厚接触者として検査をしたにも関わらず「自分は絶対に大丈夫や」と決めつけているわけなんです。

 

カ:結局、人は「自分が感染した場合」なんてことは考えずに、「人を見たらコロナと思え」で差別しているんだな。結局、どいつもこいつもフェアネスが無いんだよ、結局! 結局!!

 

た:自分が感染する可能性なんて、普通にあるわけじゃないですか。家族が感染者になることも同じようにありますし。それなのに、「悪」という扱いをするのはオカシイですね。

 

カ:今週のゴー宣では『感染者は不運ではあるけど悪ではない』と描いてます。そんなもん自分に置き換えりゃ分かる話やんか! 誰が自分を悪だなんて思う? 他人だって同じじゃないか!

 

た:それで、会社のグループラインがあって、副社長が「無事陰性でした」と投稿したんですけど、こっちもリアクションのしようがないじゃないですか? そしたら副社長は「何でノーリアクションやねん!」と怒ってるんですよ。

 

カ:あはははは。そりゃまぁ、リアクションが全く無かったら、怒るでしょう(笑)

 

た:そう言われましても・・・。「検査したときは陰性だっただけでその後いくらでも陽性になる可能性がありますよ」って返信しようかな?(笑)

 

カ:「安倍首相、お疲れ様でした」じゃないけど、「陰性、なによりでした」ぐらい返信しておけばよかったかな?(笑)

 

◆◆◆

 

た:じゃあカレーさんの感想はいかがですか?

 

カ:イソジンかな。うがい薬なんだから適量を使う限り悪くはないですよね。口の中や喉に付着したウイルスを除く効果はあるんでしょうね。

 

た:吉村大阪府知事は、コロナについてどう思ってるんですかね。怖いと思ってるのか、大丈夫だと思っているのか、なんだかよくわからない。

 

カ:知事としては、患者数や重症者数を少しでも減らしたいと思ってるんでしょう。ほんで「イソジンは効く」というのを誰かから入れ知恵されて、善意でオススメしようと思ったんやと思います。

 

た:それで、わざわざ記者会見を開きますかね~。

 

カ:あの記者会見、面白かったね。商品をずら〜っと並べてさ、飛び込みの営業マンみたいだった(笑)

 

た:確かに(笑)

 

カ:吉村の人柄がちょっと見えました。慎重さがないというか・・・、「チェーンメールに参加するタイプ」だと思いました(笑)

 

え:イソジンをすすめたのも、善意は善意なんでしょうね。

 

カ:今週のゴー宣で『細胞内に入り込んで感染したウイルスには効くはずがない。』と書いていましたが、その通りですよね。感染予防のエビデンスなんて出せないわけですから、効果を知事が宣伝するには「時期早々」ですよね。マスクの話だって同じことで、「マスクしたらどれだけ感染者が減らせるか」というエビデンスが出せないにもかかわらず、マスク着用の強制を定着させてしまっていいのかっていう問題があるんですけどね。

 

◆◆◆

 

え:最後のページで「謝罪なんか、絶対してはならない!」って書いてあるじゃないですか。芸能人もコロナ陽性になったら「お騒がせしました」って謝罪してるじゃないですか? あれを見てると変な世の中やなって思います。もし自分がコロナ感染したら会社にすいませんって言わなアカンのかな?

 

カ:もし私がコロナに感染したら会社には謝罪すると思います。謝罪しないわけにはいかないですよ。

 

え:えーーーー?

 

た:どうですかね? 僕の会社はそんなに人数が多くないから、コロナに感染したときは、「僕はこれで抗体できましたから」とか言えそうですけどね。

 

カ:私はそんなふうには言われへんわ。100%謝罪する。えー? また私が変なこと言ってることになってますか?

 

た:会社の雰囲気によると思いますけど、僕らは別に何でも喋ろう思ったら喋れますから。

 

カ:良いとか悪いとかは別にして、今、コロナに感染したら会社の事務所からビルまで閉じることになります。濃厚接触者となった人は、わざわざ検査に行くことになるわけです。それであれば、言葉として出すべきは「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」になりませんか?

 

え:私はそうは思わないです。謝罪するのはおかしいと思います。

 

た:コロナ自体、大騒ぎするべきウィルスじゃないですからね。

 

カ:じゃあ一体何て言ったらいいの? 私はコロナに感染し、その結果、みなさんにご足労なりお手を止めてご迷惑をかけることになりました。「遺憾に思います」と言えばいいのか? マイクの前でイカの恰好してさ(苦笑)

 

え:コロナに感染したことを謝罪するというのは、世の中のコロナ差別に加担することになりますよ?

 

カ:いやいや、だからと言って、実際に迷惑をかけた人や不快に思った人に対して、謝罪しないわけにはいかないじゃないですか!?

 

え:今のカレーさんの話を聞いて、日本人は従軍慰安婦問題のときもそうだけど「とりあえず謝っておけばいい」みたいに考えるのは本当に良くないと思う。

 

カ:いやいや待って! 従軍慰安婦問題の謝罪は、国家や先人たちへの名誉の問題なんだから、簡単に謝っていいわけがないんだよ! たとえば会社で納めた製品が不具合を起こしても、安易に謝罪しないでしょう? それは過失がどちらにあるのか分からないのに、会社の利益を損なうわけにはいかないからです。

 

え:そうですね。

 

カ:私が言ってるのは、自分の切腹で責任が負える範囲内であれば、謝罪はせざるを得ないということです。

 

え:いえ。「コロナに感染したことを謝罪するということは、世の中のコロナ差別を助長することに繋がる」わけだから、謝罪の範囲が個人の責任を超えていると私は思うんです。

 

カ:うーーーーーーーん。なるほど。そうか。

 

た:まぁ謝ったとしても、大体は非難されるものなんですよね。

 

え:そうですね。

 

た:謝り方がアカンとかなんとか言われるんです。

 

カ:しかし「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」は日本人の条件反射じゃないのかな? 現実に迷惑をかけておきながら謝罪しないなんてことが実践できるのだろうか?

 

た:じゃあ、カレーさんは、知り合いがコロナに感染したら謝罪して欲しいと思っていますか?

 

カ:謝罪なんてする必要ないです。いつ誰が感染するかは分からないし、そんなもんお互い様じゃないですか。

 

え:自分は謝罪するのに、人には謝罪を求めないなんて矛盾していませんか?

 

た:そもそもインフルエンザじゃ謝罪しないですよね?

 

カ:なるほど。確かに。

 

た:そういうことですよ、シンプルに。

 

カ:謝罪の問題って難しいなぁ。もうちょっと考える時間をください。

 

た:分かりました。とりあえずカレーさんは僕らに謝罪してもらえますか?

 

カ:どないやねん!!!

 

え:(笑)

 


 

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コメント: 7
  • #7

    metalすらいむ塩ムスビ (金曜日, 18 9月 2020 07:24)

    カレーせんべい様有難う御座います。わたくしの愚鈍ですが、どうも憎みきれないオツムもその応えに霞みかかったものが取れた様で喜んでます。

  • #6

    カレーせんべい (木曜日, 17 9月 2020 09:23)

    >>5 metalすらいむ塩ムスビさん
    >あの忌まわしい機内マスク装着ニュースで伝わってきた多くの拍手
    >カレーなら、すっと立ち、「なんだこの拍手は!あなた方と一緒?真っ平御免だ!!」と言い放つでしょう。

    そうですね。それは「お前らと一緒にするな!」という気持ちです。

    例えとして「戦時中」が出てきましたが、
    コロナと戦時中の共通点は【同調圧力】がありますね。

    私は、あらゆる同調圧力に不快を感じるタイプの人間です。

    それでも私は
    『結果において、人様に迷惑をかけたのが事実であるなら、自分の意思で謝罪したい』です。

    特に職場に結果的に迷惑をかけたなら、
    謝罪をしないなんて、できないと思うわけなんです。

    以上が、私の言い分なんですが、この意見も時と共に変わるかもしれません。

  • #5

    metalすらいむ塩ムスビ (木曜日, 17 9月 2020 01:33)

    例えばです。

    先の大戦前にタイムスリップしてしまいながらもこの時代に家族が出来て馴染んだ頃に開戦

    戦争召集命令の赤紙が届いたとき、華麗な貴方なら周りの事など考え負けると分かっても行くのでは?

    それに対する謝罪しない派、負けると分かって行くのは馬鹿馬鹿しいので拒否、拒否派とさせて頂きます。

    時代、空間、目的の方向性が同じでも立場が違えば考え方も人それぞれでは?

    たぶん拒否派の方の考えは、確かに他を、傷つけるだろうが、自身に対しての攻撃損傷上等!いとおしい存在守りきれなかったらごめん!の覚悟の発言なのでしょうが、

    戦場にいるカレーも同じ立場では?
    なんか着地点が見えてきませんが.....

    最近の事ですが、
    あの忌まわしい機内マスク装着ニュースで伝わってきた多くの拍手
    カレーなら、すっと立ち、「なんだこの拍手は!あなた方と一緒?真っ平御免だ!!」と言い放つでしょう。

    拒否派の方々は、加齢に負けてイケません。アンチエイジングです。

    えっ わたくしですか?
    スライムなので音を立てない様にほふく前進です。

  • #4

    カレーせんべい (金曜日, 11 9月 2020 10:20)

    >>1 たかさん
    >>2 皿うどんさん
    >>3 和ナビィさん

    「謝罪論」についてのコメント、どうもありがとうございます!

    投稿を拝見し、自分なりにもいろいろと考えたのですが、
    「理想と現実」「理論と実践」で相当の葛藤があり、
    そう易々と結論を言えなくなり、返信が遅れました。

    ・・・

    会社という生産の場においては、
    「自分とは異なる他者への配慮」というのは
    あらゆる局面で必要となります。

    それを無視して振る舞う人は「個が強い」と同時に、
    「世間知らず」と揶揄される存在になることでしょう。

    その一方、今のコロナ騒動は、
    「公(世間)が間違っている状況」に陥っています。
    その部分が圧倒的にねじれてしまっているので、
    個のあり方も、どうしてもねじれてしまいます。

    その上で、よく考えてみたのですが・・・

    私個人の信条は、
    「人に迷惑をかけたくない」という私情が公よりも上位に来ます。

    したがって、自分がコロナに感染したことで、
    迷惑をかけた他人に対しては「謝罪」をします。


    そのことで「真っ当な公」に迷惑をかけてしまうということを、
    今回の議論やコメント欄を通じて、理解をしました。

    しかし、私は「目の前にいる、迷惑をかけてしまった人に謝りたい」という気持ちを変えることができなかったです。



    以上の結論から思うことは、
    【コロナに感染したからと言って、他人に迷惑をかけてしまうルール(公)を変えたい】ということです。

    コロナに感染したら、他社(親会社)も入居しているオフィスビルのフロアが閉鎖されるというルール(公)は、相当歪んでいると思います。

    歪んだ公を正さない限り、個もまた歪むと感じました。

  • #3

    和ナビィ (火曜日, 08 9月 2020 21:04)

    幼児の子育て中のある母親の旦那さんは、会社のある部署ご勤務とのこと。「もし社員にコロナ陽性者が出たらどのような対応をするか」というマニュアルを作成する仕事が含まれるのだそうです。

     それを見ているせいでしょうか、彼女は「(和ナビィが)どこへ出掛けようとその自由は止めることはできないけれど、帰ってきてからしばらくは会わないで。」「もしあなたが罹ったら石を投げられるのは家族なんだから。」とのこと。ワチャー;;とガッカリしました。
     インフォでミックによってごく普通の人々の中にウィルスならぬこの空気が“蔓延”しているのが今なんですね。(手元にあった初版「コロナ論」贈呈しました。自分のはここのアマゾン経由で再入手(^-^)b)。

     何を恐れるって、自分が罹って体調が崩れることではなく「罹ったら会社や家族に影響が出る、そして周囲から非難される」という心配が大きいのだと思います。ここを解かないと進めないと思います。

     議論後半の「謝罪・迷惑についての議論」をとても興味深く読みました。カレーさんの最初の思いも痛いほど理解できます。でも

    >「コロナに感染したことを謝罪するということは、世の中のコロナ差別を助長することに繋がる」わけだから、謝罪の範囲が個人の責任を超えていると私は思うんです。(えみりんさん)

    は確か。これこそ自分を揺さぶって考える場面---この≪座談会≫の真骨頂だと思いました。Viva!タッチ&ゴー宣☆。
     “常識”と見紛う空気の中で、謝罪すべきでない事を「謝らないこと」に真の勇気がいること、それが次の状況を拓いていくことがあると思います。

     例えば・・・以前、山尾議員がある事件(文春・・)について選挙区の有権者(中年の女性でした)から「今回の事について謝って下さい!」と執拗に詰め寄られたことがあります。その時、毅然と「謝りません。これは謝罪することではないからです。」と断った場面・その時のお顔が忘れられません。
     -----その後、額を上げて歩み、戦い、議員・プロの!政治家として猛然と活躍されて今に至っていることは周知の通りです。

  • #2

    皿うどん (土曜日, 05 9月 2020 18:50)

    コロナに感染して(というか感染してなくてもPCR検査で陽性だったとして)も、謝罪する理由なんかどこにもないと思います。そうやって「謝罪してしまう」ことがコロナに怯える全体主義を形成してしまっているのだし、じゃあその全体主義をどうやって壊すかといえば、一人一人が「真っ当な「公」」を意識して抗っていくしかないと思います。不摂生がたたって風邪を引いたとかインフルに罹ったとかなら、罹患した人に「不摂生したから」というマイナス面が出ますが、それでもその人を村八分にするまで責めるいわれはどこにもないですし、絶対に罹らないことをまるで社会のスローガンでもあるように掲げる理由も全くありません。

  • #1

    たか (土曜日, 05 9月 2020 14:30)

    コロナに感染してとりあえず謝るのは社交性じゃないかな?人が感染したら謝らなくても腹立たないけど、自分がなったら謝りたいと思うのは気遣いだと思うし、他人に優しく自分に厳しくという言葉もあるし。