≪思想≫ 「因果応報」の捉え方

 

投稿者:ゆりさん

 

安倍政権時代のゴー宣道場で、当時天皇陛下だった上皇さまの譲位や女性天皇の議論をしていたとき、質疑応答で参加者の方から、「もう何をどうやっても政府が動いてくれないので、障害となっている安倍首相をどうにか(ここは察してください)するしかないのではと思ってしまいます」という発言があったのを思い出しました。

 

勿論その方はそれ以外の方法を見出だすために質問をされていたのです。

 

そのときよしりん先生は「ここでもし安倍首相が暗殺されるようなことが起きたら、殉死したという印象を世間に与えて英雄視されてしまう」と答えておられたように思います。何も解決しないと。

 

今回のことで報道、政界、海外、世間の反応を見ていると、ああ、やっぱりよしりん先生の言われたとおりになるんだなと思いました。

 

なので私は天罰とか因果応報とはやはり思えないのです。

 

 

報道で「安倍元首相の歩み」と題して政策を振り返っているのを見ると、当時の怒りや忌々しく思ったことを思い出し、今でも苦々しく思います。

 

安倍政権時代に私が感じていたのは「長い悪夢の中にいるよう」でした(今はまた別の悪夢が続いてますが)。

 

安倍氏のことはやっぱりまったく評価できない、功績なんかあったか?という思いに変わりはありません。

 

それでも今回の銃撃による死亡は後味が悪いのです。

 

犯人も崇高な志があったわけでもないので、モヤモヤするばかりです。

 

愛子さまサイトのブログで、「このことで政治家、国民双方で言論が萎縮し、監視ばかり強化され息苦しい国になってしまったらそれこそよくない」ということが書かれていましたが、ほんとに懸念されるのはこういうことです。

 

たたでさえ考えることを放棄している人達が大多数の日本で、それに拍車がかかる、日本が後退していくばかりのように思えます。

 

 

投稿者:稲垣さん

 

 

初めてコメントさせて頂きます。

 

今回の事件は、否が応でも価値観、人生観、そして死生観を己自身に問い掛けるきっかけにならざるを得ないと考えています。

 

私はよしりん先生を信頼しているのは腑に落ちるコメントが多いからなのですが、少なくともこの場での皆さんのコメントを読む限りにおいては、腑に落ちる意見はありませんでした。

 

テロ行為は悪いという一面性だけで語れるとは、どうしても思えないからです。

 

私個人の考えとしては、安倍晋三自ら引き起こした運命であるとしか思えません。

 

結局、人はそれぞれが歩んできた人生の経験の延長線上でしか、納得出来ないのてはないでしょうか。

 

いずれにせよ今回の事件は、100人いれば100通りの考え方、正義があるという当たり前の事を突きつけられただけのような気がしています。

 

 

そしてそこからどう結束するのかと、改めて突きつけられているのではないでしょうか。

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)   

 

「物理的な力で、相手の生体反応を停止させること」を肯定してしまうと、議論や思想は暴力よりも下であると認めることになると私は感じました。

 

流石に、それは認められないです。

 

議論や思想は死後も残るし、それが子孫たちに残す「文化」という名の土になると信じているからです。

 

私は議論と思想で”安倍晋三”をヤりたかったです。

 

だから私は、今回のことを「因果応報」と意地でも言いたくないです。

 

 

それにしても大きな事件とはいえ「1つの事件」で、ここまで色んな意見があったことは正直驚きました。

 

私は自分の腑に落ちない意見からも考えることが多々ありました。

 

勉強になります!!


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コメント: 24
  • #24

    くれは (火曜日, 12 7月 2022 23:55)

    ねこだるまさん、今回の因果応報についての問題提起を見て「俺、なんか火種を投下したか?」と当初困惑しましたが、ねこだるまさんのコメントを読んで、あっそういうことかと理解できました。

    因果応報とコメントしたのは、あくまで自分の人生で培ってきた判断基準に照らし合わせることて、考えることなく自然に出てきた言葉です。

    「安倍晋三の死に関しても政治家がテロられる意味、それによる影響などをしっかり考えないといけない」というのはおっしゃる通り思想を深める上では大切なことで、因果応報これでチャンチャンとは私も思ってないです。

    個人的には安倍さんがしたことで許せないこともあります。もう真相は闇の中ですから悔しい思いもあります。

    と同時に、私は仏教的な思考が根本にありますので、自分のやったことは良いことも悪いことも両方残る、死んでも消えない、それは来世で安倍さんが両方背負うことになるという解釈もしています。

    死んだら全部終了という考えの人からしたら、ファンタジーな話に思われるかもですが。

  • #23

    カブ好き (火曜日, 12 7月 2022 21:45)

    グッビオのオオカミさんとくれはさんのやり取りや、他の方々の意見を読んで、知的好奇心が刺激されて眠気が吹き飛んでしまいました。ものすごく勉強になりました!ありがとうございました(^^)

  • #22

    ねこだるま (火曜日, 12 7月 2022 21:26)

    因果応報は仏教用語であるということで、ある仏教者から聞きかじった話をひとつ。

    「子供を産めない人のために輪廻転生という考えは存在する」

    とその仏教者は言い、それを聞いた私はいい話だなぁ、と思いました。
    その人は「「輪廻転生は間違いなく存在する」という実感はないと言ってました。

    何が言いたいかというと、輪廻転生という考えが正しいか正しくないかということより、人の中でどのように使われるかの方が大事ではないか、ということです。

    私自身も輪廻転生が正しいかどうかは判断つきませんが、どうしようもない理不尽として子供が産みたくても産めない人は現実に存在し、その人の心が輪廻転生という考えで癒されるのなら少なくとも悪い話ではないな、と思いました。

    で因果応報ですが、カレーせんべいさんは「社会人ならば理性的に社会をよくしようと考えなければならない」という考えが強い人ではないかとお見受けしております。
    で、安倍晋三の死に関しても政治家がテロられる意味、それによる影響などをしっかり考えないといけないと思ってるところに「因果応報」という超自然的なものを持ち込まれ、それで解決、それ以上の解釈は不要、みたいに感じて愕然とした、というのがこのスレッドが立ち上がった「因果」なのではないか(笑)と考えております。

    安倍晋三の政策の功罪を正当に評価できるほど興味を持って政治を見てきたわけではないですが、ゆりさん、稲垣さん、くれはさんが「因果応報」という言葉を使った気持ちは解る気がします。

    安倍晋三の「政策」により理不尽をこうむった人達はたくさんいる、そのことは今でも「これはこう、あれはああ」という形で評価、非難することはできるが、安倍晋三個人は生命をなくすことの代償として、この世のことわりから開放されたわけですから、個人をこれ以上憎みたくはない、という気持ちが働いたのではないか、と邪推しております。

    つまり「因果応報」という考えを死者を必要以上に憎まない、ということに使ったということかな、と思ってます。

    もちろん社会人として安倍晋三の死の意味を理性的に考える、というのはひとつの見識として、「因果応報」という考えで必要以上に個人を憎まない、という考えも少なくとも「ひととして」は悪いものではないと思ってます。

  • #21

    taka (火曜日, 12 7月 2022 12:09)

    専門書等で勉強したことはありませんが、因果応報は普段から意識していることなので、私なりの解釈を書かせていただきます。

    一言で書かせていただくと、「自分がやったこと(行動した結果)が自分に還ってくる」です。

    上手くいくこともいかなかいこともありますが、行動すれば必ず何かしらの結果が伴うはずです。
    逆に、何も行動しなければ何も還ってこないと思います。

    飲食したら排せつ物が出ます。
    単純な因果応報の一つだと思います。

    その飲食を、どのような物をどのくらい飲食したかや食べ方など、飲食の回数を積み重ねていくことによる体調へ影響も因果応報だと思います。

    ただ難しいのは、結果が分かりやすい形で還ってくるばかりではなかったり、時間差がありすぎたり、複合的な行動の積み重ねの結果として還ってくるものも数多くある点だと思います。

    魂が存在し、輪廻転生のシステムがあるという前提になってしまいますが、過去世で行った行動が現世で還ってくるという場合もあるでしょう。
    ですから、現世の行動だけでは理解できない因果応報も数多くあると思います。

    因果応報は、自分がやったことは自分で責任を持つというシステムでもあると思っています。

    ところが弱肉強食の世界では、強者が弱者から成果を横取りしたり、責任を押し付けることができてしまったりすることがありえると思いますし、地上では実際に色々事例があるかと思います。
    弱肉強食の今の世界では、きちんと対等公平に機能していない部分もあるでしょう。

    因果応報を意識するからこそ、以前よりは自分の一つ一つの行動を考えてするようになりました。

  • #20

    グッビオのオオカミ (月曜日, 11 7月 2022)

    くれはさんへ
    こちらこそ、お礼を申し上げます。一種の「諸宗教対話」の中で仏教の理解が深まり、私自身にも有意義なやり取りでした。根気よく付き合って頂き、丁寧な返答を下さり、ありがとうございます。

  • #19

    くれは (月曜日, 11 7月 2022 19:19)

    グッビオのオオカミさんのコメントを読んで勉強になりました。私ももっと本を読んで勉強したいと思います。ありがとうございます。

  • #18

    グッビオのオオカミ (月曜日, 11 7月 2022 16:23)

    すいません。すこしだけ#17の補足をさせて下さい。
    「霊的中枢」は国民の精神的権威に成り得ます。
    伝統(トラディショナル)と正統(オーソドキシー)は似て非なるものでしょう。正統後継者は「霊的中枢」である事の証です。
    愛子様が直系なので「正統後継者」である事は便宜上の話だけではなく、皇位の「正統性」に関わります。霊的中枢としての皇位が日本の「正統性」…だと思っています。個人的には。

  • #17

    グッビオのオオカミ (月曜日, 11 7月 2022 16:00)

    くれはさん、言いにくい話に思い切ったコメント本当にありがとうございます。
    実際、私もくれはさんの#16の視点は本当は重要な論点だと思います。また、私も森元総理の発言の感想始め、霊的視点なしに日本を語っても仕方がないと思います。
    これを言うと袋叩きにされるかな?まあ、ぶっちゃけ言ってしまいましょう。
    「その霊的存在の中枢に位置している人が天皇陛下であると私は思います。敬う気持ち、畏敬の気持ちが無い、心無い人たちが、男系に固執したり、暴言を吐けるのだと思います。
    天皇陛下は祭祀王であるというのを天皇論で知った時は衝撃でした。腹に落ちました。」
    その通りだと思います。
    こういう視点が無いのに天皇陛下の存続を願うなら、たとえ歴史の知識があろうと単なる憲法と政治の「道具」や「手段」や「条件」としてのみ皇統を語ってる事になります。
    男性天皇か女性天皇か、それ以前に天皇の存在自体、日本人にとっての「霊的中枢」であることが一番肝心だと思います。私も同意見です。
    因果応報から、話はそれますが、この際良いと思います。
    なかなか宗教論とは日本では一般にタブーになってる節があるので、私は逆に信仰心とは何か、死生観や世界観とは何か「霊性について」余計なタブーなく、自由に話し合えてる事が嬉しく思います。
    個々の宗旨は違いますが、結構くれはさんとは近い意見ですね。

  • #16

    くれは (月曜日, 11 7月 2022 14:04)

    これも私個人の考え方です。独り言と思って頂ければ幸いです。

    宗教の話を他者にする際は勇気がいります。怪しいやつと思われるからです。これはオウム真理教はじめ、事件を起こした宗教団体の影響が大きいからでしょう。

    ただ、日本人とは何か?日本とはどういう国か?を考え始めると、日本に古くからある仏教、神道、戦国期に入ってきたキリスト教、民間に残るシャーマニズムなどなどを拒否すると、本末転倒になると思います。

    昔、森首相が日本は神の国であると言って袋叩きにされていましたが、あれは日本は八百万の神々が住む国と捉えれば問題ない発言だったと思います。説明不足でボコボコにされていましたが。

    日本に古くからある文化も、ルーツを辿っていくとそういった霊的な存在抜きでは語れません。祭り、茶道、華道、能、歌舞伎、盆踊りなどは神々との遊びと言えると私は思います。家庭で行う仏教の法事も、先祖霊の存在なくしてはありえません。

    愛媛県今治市の大山祇神社のお祭りに、一人角力がありますが、これは完全に神様との遊びです。これ、見えない相手と相撲を三回勝負します。相手は神様(精霊とも)です。最初は神様が勝ち、次は人間、最後は神様が勝ちます。最後に神様を勝たせることで来年の豊作を願う訳です。神様に花を持たせる理由は、神への感謝と畏敬の感情があるからでしょう。

    https://www.youtube.com/watch?v=ubWuI6sV5fo&t=36s

    死生観とか道徳も、宗教を抜きにすると私は語れません。

    グッビオのオオカミさんの言う通り、仏教宗派も宗派によって考えが違うところがあります。浄土真宗は幽霊は存在しないという考え方です。他の主な仏教宗派はお盆には先祖供養をしますが、浄土真宗の場合は幽霊がいないという解釈なので、先祖供養もないのです。

    これは念仏を唱えて阿弥陀如来に帰依すれば必ず浄土に行けるので、この世に留まることはないという解釈のようです。私はそれを知った時「えっ!?」と驚きましたが、そういう考えなのだからそうなのです。

    仏教宗派がいくつもあるのは、それは人間の悩みがそれだけ多く、複雑なので仏さまがそんな人間を一人でも多く救うために様々な教えを人に伝えたと私は解釈しています。弘法大師、伝教大師、法然、親鸞、道元、日蓮などなどなどです。

    日本全国の寺社は膨大な数でしょう。近所の個人がお祭りしている屋敷神、交差点の祠とかも入れれば神仏だらけです。

    よくよく周囲を観察すれば、日本には神仏があふれています。それも相当昔から・・・。仏教の諸仏、八百万の神々、祖霊などなど霊的な存在を認めないと日本は語れません。

    その霊的存在の中枢に位置している人が天皇陛下であると私は思います。敬う気持ち、畏敬の気持ちが無い、心無い人たちが、男系に固執したり、暴言を吐けるのだと思います。

    天皇陛下は祭祀王であるというのを天皇論で知った時は衝撃でした。腹に落ちました。

  • #15

    グッビオのオオカミ (月曜日, 11 7月 2022 08:30)

    ここからは、くれはさんとは関係なく、つぶやきます。
    #14で言いたかった事をもう少しまとめたくなりました。
    以下、あくまで私個人の「日本人論」です。
    江戸時代の寺請制度によって増えた仏教徒は「家系の相続」と「仏教の教えの意味」を混同し始めます。
    それは実は男系固執派や男尊女卑とも無縁とは思えないし、政治の堕落と無縁だとは、私には思えません。一口に仏教と言っても禅宗と浄土宗・浄土真宗は教えのベクトルがある部分真反対のはずなのです。どちらが正しいと言ってる訳ではありませんが、その事を意識しない人は多い様に思います。
    信仰心が無い事は「生命の神秘」に思いをはせる感覚が薄くなります。
    それは自分の意志やプライドを重視する「自我主義」に簡単に陥ります。
    自我主義は「自分の~」が大好きです。私は自我主義と生命至上主義と現世利益主義は現在の日本を深く蝕んでいると考えます。
    自我主義と生命至上主義と現世利益主義に共通するのは「自分の~」という、私情だと思います。
    「自己保存願望」に通じます。そして自己保存願望は結局は「私情」です。
    すいません。実名を上げます。
    橋下徹が「維新の会」を立ち上げる。維新の会は本来「リストレーション・パーティー」で王政復古党のはずなのです。それが女性天皇に関心を示さない。本来なら大きく矛盾しています。
    そして、それを支持する国民がかなりの数います。あけすけな物言いをする、彼に自分達も共感しているのです。
    維新のイメージは坂本竜馬の亀山社中のイメージでしょう。「近代的ビジネスマン、坂本竜馬」が彼らのイメージでしょう。
    だから橋下徹の維新は幕末の志士でも何でもありません。
    かれがロシアによるウクライナ侵攻でどう言ったか有名ですね。
    かれはグレンコ・アンドリー氏との討論で言います。
    「祖国防衛。そこで命を落とすんだって状況になってしまうと、国外退避することが恥ずかしいことだ、やっちゃいけないことなんだ、売国奴なんだっていう批判を恐れてしまう」
    これのどこが幕末の志士の維新なのでしょう?
    ここまで言って、もう一度、書きます。
    現世利益主義と自我主義と生命至上主義、その根っこは「自己保存願望」である。
    男系固執派も新自由経済も「コロナ怖い。マスク付けろ」も実は全部「自己保存願望」という「私情」な気がします。
    世界や人類の成り立ちや、一人一人の人生の始まりと終わりの「神秘の深さ」を想起するセンスが無い事は、容易に「自己保存願望」に憑りつかれると私は考えています。
    信仰心とは何か。畏敬の念や敬虔さとは何か。
    別に「~教、~宗、~派」が良いと言いたいのではありません。
    ただ、現代の日本人の堕落に「信仰心の薄さ」と「宗教オンチ」が一枚噛んでいる気がして仕方がありません。


  • #14

    グッビオのオオカミ (月曜日, 11 7月 2022 01:41)

    くれはさん、こちらこそ、ありがとうございます。いやまあ、私が最近思う事の一つに、皇統問題や、ロシアウクライナ問題や、コロナ禍問題に共通して欠けるのが日本人の死生観だと思います。また、死生観の話に決定的に欠けるのが実は、宗教学や仏教学やキリスト神学、聖書学などの存在だろうと思うのです。いわゆる神学論争ですね。
    そういう事は案外、合理的なものだし、本来もったいつける必要がないシンプルなものだと、思います。
    多分、大半の日本人にとっと、神仏に祈る事と怪しいオカルト神秘主義の区別はついてないと思います。
    多分、くれはさんみたいに深く仏教を理解し、仏教を生きようとされる方は極めて少数派だろうと思います。
    多分、江戸時代の寺請制度の名残りでしょう。
    徳川幕府の政策により、仏教徒は増えました。しかし、私はここから仏壇と家の宗旨を相続する「葬式仏教(同級生や後輩に僧侶がいます。彼らもこれを嘆いています)」になりさがたった事が大きいと考えています。
    また、日本人の宗教オンチがこれらの混乱に一役買ってると見ています。
    例えば皇統問題、皇室に宮中祭祀は何故必要でしょうか?
    神話と伝承、そこに聖域と神秘を前提としなけれは、たしかにどうでもいい事になるでしょう。
    神秘を前提としない。では、単に立憲君主制という、政治と憲法のために必要だから、政治装置として残したいのでしょうか?
    また、キリスト教は甘い、純粋まっすぐな偽善者たち、愛国心などない連中だ、位に思われそうです。確かに日本のキリスト教徒はそうでしょう。しかし、欧州諸国と"武士道と仏教が誇りの日本人"、早くコロナオミクロンを見切ったのはどちらでしょう?
    ウクライナが軍事大国ロシアに必死の抵抗を試みています。ウクライナ人は東ローマ帝国にルーツをもつ伝統的なキリスト教の「東方正教会」が多数派でしょう。武士道の日本人、コロナごときで何回緊急事態宣言を出したのでしょう?日本人よりウクライナのキリスト教徒の方が遥かに勇敢だと思います。
    一神教でありか無しかでは無く、宗教オンチは絶対に思想が深まらない、少なくとも、向き合う事もせず話題から避けるのは最終的には「思想」とは、言えない言葉遊びに終わると、個人的には考えています。
    戦国大名の上杉謙信は曹洞宗や臨済宗で禅を学び、最終的に高野山真言宗で修行をし、僧侶になったと言います。
    家の宗派は〜だ。江戸時代以前はもっと柔軟だったはずです。
    失礼しました。かなり脱線しましたね。
    くれはさん、本当に今回は、勉強になりました。
    丁寧な説明、ありがとうございました。

  • #13

    くれは (月曜日, 11 7月 2022 00:12)

    グッビオのオオカミさん、ありがとうございます。私も学生時代はプロテスタントの学校にいましたので聖書は少しですが読んだことがあります。学校の授業で一番面白かったですね。先祖に隠れキリシタンがいたようで、遺物も家にあります。

    因果応報も仏教用語である以上、当然そこには仏の存在があるでしょう。往生要集には地獄で鬼に責め立てられ、のたうちまわる亡者の話が出てきます。

    私も子供の頃に親に地獄絵を見せられ、悪いことをすると地獄に堕ちるぞと言われて震え上がったことがあります。

    極楽とか地獄に関する記述を読むと、悪いことをすると、いや普通に生きているだけで地獄に堕ちます(これ全員地獄行だろうという厳しさです)。だから阿弥陀如来の念仏をとなえよう(良い行いをしようもあるかも)というのが平安~鎌倉時代にかけて大流行しました。平安時代は末世といわれ国も荒れていましたから。

    因果応報というのは、輪廻転生というものにも絡んできますし、そこには仏や地獄の使者というものが出てきます。死後、自分の行いにより、地獄で苛まれるという場面からは悪いことをすると、神仏、鬼といった超常的な存在が何か動くように思えます。

    しかし、因果応報の意味はそれだけとも思えません。

    因果応報を国語辞典で調べた際、出てきた言葉に「過去または前世の悪業の報い」という一文がありました。「業」です。業を辞書で引くと「善悪の報い引き起こす行い」とあります。自分の行いが結果をもたらすのに、そこに超常的な介入はないように思います。

    阿部さんがした行いを全部知っているのは本人だけでしょう。たらればになりますが、阿部さんが別の選択をしていれば別の結果になったのではと私は思います。(なにをどうとかは分かりませんが)天罰ではないでしょう。稲垣さんがいうように自ら引き起こした運命だと私も思います。

    〉私は「敬虔」と「畏敬」を失う事は近代的価値観の一番の特徴だと考えています。

    浅学ゆえにこういう言い方は出てきませんが、この畏敬という概念はまさにその通りだと思いました。小林先生は人は権力をもつと堕落すると著書で言ってましたが、人間が堕落するストッパーになりえる考え方の一つがこの畏敬だと私は思います。

    〉因果応報論は目先の快・不快や損・得の現象ではなく、そういう風に世の中の神秘の深さを考え、自分自身の短い人生のはかなさを真剣に考えた時に、初めて価値を持つ視点だと思います。

    そこまで私は難しく考えて無かったです(笑)。

    因果応報という言葉を知った時、悪いことはなるべくやらずに、良いことをしようと子供の時思いました。親父が熱心な仏教徒でしたし、神社、お寺が大好きな人で、いろいろ教えてもらいました。民俗学の本も本棚にびっしりあり、死んだ今でも「おい、本は読めよ」と言われてるような気がします。

    グッピオのオオカミさんが考えていることはそれで良いと思います。行動の指針は人それぞれ違うでしょうし、この件に関しても様々な人それぞれの結論があるのが当然かと思います。

    このサイトでやり取りしている人たちの議論を読むと、ホントにすげぇなと思います。こんな言い回しは自分には出来ないから参入するの怖えなと思います(笑)

  • #12

    グッビオのオオカミ (日曜日, 10 7月 2022 22:45)

    くれはさんへ
    因果応報の考え方、よく分かりました。もともとは仏教的な輪廻転生から来た言葉なのでしょう。
    以下、私の考えを書かせて下さい(別にケンカを売ったりはしないのでご安心下さい。まためんどくさかったら適当に無視して下さい)。
    私はカトリック教徒です。キリスト教的には「審判」という考え方になりますね。
    世界の終わりが「公審判」個人個人の人生の終わりが「私審判」。
    マタイ福音書から手短に引用します。
    終わりの時に「この世の何か」財産や、世間的な立場や、そういったものはとは関係なく神から問われます
    「お前は私が飢えた時に食べさせ、渇いた時に飲ませ、旅をした時に宿をかし、牢ににいた時、病の時に訪ねてくれた」そうして選ばれた人には何の事か分かりません。
    「この小さなもの、一人にしてくれた事は私にしてくれたことである」
    あくまでも「実際にそうなるか?だれか現実に見たものおるんか?」という話ではなく「イメージ」です。

    結局は、くれはさんが因果応報の話で紹介して下さった事と通じる部分があると思います。
    つまり、何か縁があって限られた人生が与えられ、限られた出会いと限られた時間、それらは必ず終わりが来ます。
    審判でも因果応報でも、結構ですが「限られた人生、取り返しの利かないたった一度の人生をどう生きたか」を問うメッセージだと思います。
    また、つい自分の尺度で「あいつはバチが当たったからだ」「あいつは何か悪い事をしたからだ」と勝手に決め付けます。しかし、くれはさんの因果応報論でもどこか「自分以上の何か」を考えないと本当には成り立たない気がします。
    そうでなければ一種の「取引」になってしまいますね。例:これこれをやったから俺は神や仏の目に敵うまたは、あいつはこれこれをしなかったから神や仏から罰が当たる。掟主義と現世利益主義でも言うのか。
    結局は「それを判断するのは誰か?」ですね。
    神でも仏でも構いません。世間の目に理解されない、誰からも裁かれも認められもしなかった善や悪。それはきっと自分を超えた神秘に対する一種の「敬虔さ」が必要な気がします。
    私は「敬虔」と「畏敬」を失う事は近代的価値観の一番の特徴だと考えています。
    因果応報論は目先の快・不快や損・得の現象ではなく、そういう風に世の中の神秘の深さを考え、自分自身の短い人生のはかなさを真剣に考えた時に、初めて価値を持つ視点だと思います。
    くれはさんと切り口は真反対ですが、私なりに理解してみました。
    全然、違ってたらごめんなさい(笑)。
    だから、安倍元首相の突然の死が如何に衝撃的でも、私は因果応報とも天罰とも何の関係もないと考えています。事件は事件、端的にそれだけだと思います。


  • #11

    松戸の翌週 (日曜日, 10 7月 2022 19:47)

    応援演説が長野県が中止で奈良に向かったとか、岡山で未遂に終わった犯行が京都の実家近くの奈良で再びとか、演説会場が見渡しのいいところなのに警備が薄かったとか、安倍晋三か犯行を引き寄せてたとしか思えなくてしょうがない。全ては天の意向か。

  • #10

    くれは (日曜日, 10 7月 2022 19:42)

    因果…物事の原因と結果。行為に応じて報いがあること。過去または前世の悪業の報いとしての現在の不幸があること。

    応報…人の行いや考えの善悪に対して必ずそれに応じた結果があること。

    天罰…天の下す罰。自然に来る悪事の報い

    手持ちの国語辞典で調べた内容です。

    因果応報という言葉は、自分の選択によって訪れる結果のことで、天罰は何か神様的な存在がその人の悪行を許さず罰を与えるという意味でしょうか。この二つの言葉がごっちゃになっている方がいるので、まずこの二つは分けて考えた方が良いでしょう。

    因果応報とは仏教用語です。国語辞典の解説をもう少し捕捉しますと、仏教では前世・現世・来世という時間軸が存在します。

    今我々がいる世界は現世で、生まれ変わる前の世界が前世、死んでからの世界が来世となります。無論認識できるのは現世だけです。

    まずはこういう世界観が前提にあるわけです。

    因果応報という考え方が何百年(いつからあるかは断言できませんが、源信という平安時代のお坊様が、往生要集という書物を遺しましたが、これからこの言葉が広まったと私は推測)も前から日本にあります。こういう世界観、考え方を受け入れることが出来るか?それとも出来ないか?で話が変わってきます。受け入れることができなければそれでこの話は終わりです。

    前世とか来世とか検証しようがないものはさておき、仏教の世界観を人生に当てはめると、前世は過去、来世は未来となります。

    今の自分は過去の自分の思考と行動、使った言葉の総決算と私は考えます。未来の自分は過去の自分と今の自分の思考と行動、使った言葉の総決算です。

    自分の最後が納得いくものか?それともいかないものか?その結果に自分の選択、行動、考え方は最後の場面に直結しないでしょうか?私は大いに関係あると思います。

    これそんない難しい話ではないと思います。例えば小林先生が漫画家を目指さず、ほかの仕事をしていれば、今、このファンサイトは存在しない訳です。見ず知らずの人達が熱い議論をかわすこともなかったでしょう。小林先生の考え方が世の中に出たことで、今の我々に繋がっています。これも因果応報です。

    ただ、世の中には自分の過去の行動に関係なく、自分の落ち度がないのに、不幸な目にあう人がいます。人生のスタートから大きなハンデを背負う場合もあります。ある人は海で亡くなりました。ある人は突然の交通事故で、突然の病気で、天災で・・・。

    一体何故こんなことが起こるのか?本当のところは誰にも分かりません。

    そこに一つの回答を見出したのが仏教でいう因果応報という考え方です。考え方の一つなので当然受け入れることが出来ない人も大勢いると思います。

    しかし、受け入れたことで苦しみを乗り越え、前に進めた人も多いと思います。この言葉は日本では推定1000年は残っている言葉です。ある種の真理が含まれているので私は残っていると思います。偽物の言葉ならとっくに歴史から淘汰されているでしょう。

    今、犯罪者が罪を逃れて死んだとしても、仏教的解釈だと、来世にその負の遺産は本人が引き継ぐとなります。

    でも、私は現世で悪いことをした人は現世で裁かれてほしいと思っています。

  • #9

    通りすがり (日曜日, 10 7月 2022 13:08)

    悪い頭で「因果応報」について整理してみました。

    1.否定論
    悪事を重ねた人間は、悲惨な最期となるのは、自業自得であるから受け入れるべきという考えは、犯行を正当化することと、表裏一体であり、断じて認められない。
    従って、今回の事件をか「因果応報」と捉えるのは、言語道断。

    2.肯定論
    今回の事件で「因果応報」と主張すべき対象は、あれだけの酷い殺され方をしているにも拘わらず、一般の残虐殺人のような、哀しみを抱いて貰えないことであり、決して犯行の容認ではない。

    両者は、対立関係ではなく、両立しうる考え方に思えてきました。

  • #8

    カブ好き (日曜日, 10 7月 2022 09:33)

    容疑者の動機が少しずつ明らかになってきました。今の段階で私が思うのは、今回の事件についての安倍氏は単なる被害者であるということです。それは彼のこれまでの行いによる因果応報とは違うと私は考えています。

    確かに私も、銃撃されたという速報の段階では安倍氏の何らかの被害者がとうとうやったのかと思っていました。それでも私は因果応報よりも「自業自得」だという考えでした。しかし、安倍氏の容疑者に対する直接的な関与が現段階で認められないこと、容疑者が初めは宗教団体のトップを狙っていたという情報から、安倍氏は単なる逆恨みで殺されたのではないかという考えに至ってます。今後新たな情報が出てくれば、私自身の考えも変わる可能性はあります。

    安倍氏がこれまでの悪事を認めることなく、罪を償うことなく殺されてしまったことは残念でなりません。今報道されている安倍氏の扱い方については違和感しかなく、ゆりさんが挙げられているよしりんの言葉が正に今の状況を表しています。

    「天罰」「因果応報」についてですが、ビッグオオカミさんが書かれているように『自分が思う』というのは当たっていると思います。なぜかというと、その人の立場によって物事の捉え方は異なるからです。私がよく使う「バチが当たった」というのも似ています。相手に対しても自分に対しても己の言動を改めるべきという考えから使いがちですが、もしも当人がポジティブ思考の持ち主であれば「神様からの試練」「乗り越えられない壁はない」と捉え、その後も前向きに行動するはずです(死んでしまっては終わりですが)。

    したがって、安倍氏に対して「天罰」「因果応報」「自業自得」「可哀想」「逃げられた」と捉えるのは個人の自由で、様々あって良いと思います。

    しかし、安倍氏のこれまでの悪事を無かったことにはしていけないと思います。各報道機関は過剰に忖度•対応するのではなく、淡々と職務を遂行してほしいと思います。(ネット記事にありましたが、テレビで全員が喪服って違和感しかありません。単なる一国会議員でしかないのに。国民が死亡したときは喪服なんて誰も着ないのに。)

  • #7

    近藤 (日曜日, 10 7月 2022 07:14)

    私:
    因果応報、お天道様は見ている、
    を信じて生きてる。

    安倍:
    モリカケで役人を自殺させた人殺し。
    殺されて当然。

    政治家との距離への影響問題:
    街頭演説の警備を増やせば良いだけでは。

    犯人:
    家族トラブルの八つ当たりを他人にする
    異常者。何の同情も無い。

    テロ:
    復讐の方法として有り得る。
    人にやれとは言わない。
    自分の子供が殺されたら相手を必ず殺す。
    カミさんの場合は、少し考える。

  • #6

    猫娘と猫息子の母 (日曜日, 10 7月 2022 01:30)

    #2ねこだるまさんのコメントにおおお! と目覚めを感じました。両極の思想が自由自在に集合するこのゴー宣ファンサイトはやはり凄いですねー。

    「因果応報」は仏教用語ですが、基督教を主題とした遠藤周作の「沈黙」を思い出してしまいました。基督教禁止の古い時代、おびただしい数の殉教者がありましたが、きわめて日本人的な思想心情においてその思想心情が勝ち、殉教者の肉体は滅びていく。「理不尽極まりない死」を選ぶ日本人も、またいたのだという歴史もあります。どう生きて、さらにどう死ぬかということも、選択する覚悟を持てる民族、それが私ら日本人の特質なのではないでしょうか。と思います。
     西部邁の「死生論」に背筋がぞっとしたものですが、命が惜しくても醜態だけは晒したくない。非常時にどう行動するか。静かに考えています。

  • #5

    グッビオのオオカミ (日曜日, 10 7月 2022 00:17)

    連投すいません。
    だから、私は、この殺人事件は因果応報論の限界と、因果応報論の矛盾こそ、示していると思います。結局、裁かれもせず、栄華の内に不意に死ねたんだし。色々ばれずに済んだ位な所もあるはずです。
    やはりこれは、因果応報論の"限界"ですね。

  • #4

    グッビオのオオカミ (土曜日, 09 7月 2022 23:53)

    因果応報とは、関係ないでしょうね。
    事件そのものの客観的な因果関係しかないと思います。それ以上でも、それ以下でも無いでしょう。
    天罰や因果応報は、こちらがそう思っただけでしょう。だからそれはあくまでも自分が思う「天罰」自分が思う「因果応報」ではないでしょうか?
    これは、逆に「暴力の限界」になるのですが、何がどう不当かを論理と証拠で突き付け、認めさせる。将棋やチェスの"詰み"の様に、負けを認めざるを得ない…むしろ、論理にはそういう強さがありますね。
    ゆりさんがモヤモヤするのは、安倍元総理は銃殺され、死んだ。
    しかし、彼は別に自分の非を認めた訳でも、日本社会に広く彼の非が公式に認知された訳でもない。その意味ではむしろ彼が単に"不意に死んだ"だけで、一番肝心な部分の是非の問いから「逃げられた」感じになったのではないですか?
    因果応報…私自身は特別そういう人生観・世界観でもありませんが、確かに「因果応報」とこの件は何の関係もありませんね。

  • #3

    枯れ尾花 (土曜日, 09 7月 2022 22:47)

    今回の事件に対し、私は犯人の立場から別のことを考えていました。
    彼にとって安倍氏を殺すことが他にどうしようもない、やむを得ないことだったのか、そうでなければ彼のやった行為は悪であると。
    やむを得ないわけではない行為は、総じて悪であろうという価値観を私は持っているなあと認識しています。

  • #2

    ねこだるま (土曜日, 09 7月 2022 22:36)

    まず「因果応報」という言葉に関して言うと、私は神秘主義者でないので使う気はしません。
    単なるおはなし的な比喩表現として使われていると思いますが。

    カレーせんべいさん:
    >「物理的な力で、相手の生体反応を停止させること」を肯定してしまうと、議論や思想は暴力よりも下であると認めることになると私は感じました。

    >流石に、それは認められないです。

    私は物理的な力や肉体の方が、思想などの観念的なものより強いと思ってます。
    私も含め大抵の人が喉元にナイフを突きつけられただけで思想は変わるはずです。
    「恐怖の殺人ウイルス」という幻想に怯え、人を差別することを選んだ人がこれだけ多いわけですから。

    カレーせんべいさんは喉元ナイフくらいでは変えないかも知れませんが、思想を変える物理的な方法はあると思ってます。
    というか脳とゆう肉体の一部が麻薬、熱中症、ワクチンなどによって変質させられたらどうしようもないと思います。

    肉体 > 観念

    と思います。

  • #1

    パワーホール (土曜日, 09 7月 2022)

    繰り返しになるが、今回の件が因果応報なら玉川やコロナ煽りをした専門家連中もいずれ悲惨な末路が待っているのだろうか。彼らには、できるならば自分たちの過ちを認めコロナへの過剰な恐怖を煽ったこと・マスクやアホらしい生活様式で息苦しい社会にしたこと・ワクチンにつき今からでも遅くはないから謝罪してほしい。私も彼らに言い過ぎてお叱りを受けたが、安倍氏のような悲惨な末路をたどらないためにも修正と謝罪をきちんとしてもらいたい。玉川や専門家の皆様、今からでもきちんと謝ってください。