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ジャックニコルソン

 

ジャックニコルソンと彼を象徴するカウンターカルチャー全般について語るスレッド

 

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コメント: 12
  • #12

    カシアス耕作 (水曜日, 22 9月 2021 07:55)

    最も危険なもの。それは内容だ。大衆は数にしか興味がない。

  • #11

    カシアス耕作 (水曜日, 22 9月 2021 07:53)

    大衆は数で動く。どんどんどんどん数が増えればそこに寄っていく。それが大衆だ。くだらないマスゲーム。でも、それが世の中を動かしてる。それが現実だ。大衆に目利きはいらない。愚かな意見が数で上回れば大衆はそこに身を預け、間違えだったと気づきだした数が増えればまたそこに身を預ける。

  • #10

    カシアス耕作 (月曜日, 20 9月 2021 21:24)

    本当は俺が一番怖かった。殺されると思ってた。死ぬより殺される恐怖に怯え続けてた。本当だ......

  • #9

    カシアス耕作 (日曜日, 12 9月 2021 15:04)

    臆病国の臆病民に最も有効な言葉

    「怖いの怖いの飛んでけー」
    これだけだ.......

  • #8

    カシアス耕作 (日曜日, 12 9月 2021 08:03)

    この状況に対し、当然市民が反発をしないのはおかしかった訳ですが、その様子をマスコミが報道しなかったと言う面があるのでしょう。オーガニック的な目線でおかしいと感じる方、小林さん側の視点とまた、異なる視点で異議を唱える団体も当然います。一つの視点として、今回の事態に対し私が感じるのはマスコミュニケーションの限界です。隣人に対し、正直になる人間も、外側の人間に対する配慮までは持てない。そう言ったことが背景にある。マスコミュニケーションリテラシーを冒し続けているメディアを大衆が歓迎してしまったのは、同じ事を自分たちがやっているからだと言う気がしました。自粛は文化先進国全体が持っている病。それに全てを突き合わせて突き進んでいく恐怖。

    社会学を一つの主軸において、色んな視点を飲み込みながら論考を深めていく小林さん側の立場。有機的な在り方を完璧に否定されていることに対するカウンター、闘い方も横文字を多く使うグローバルなやり方が若い層にあり、小林はもう古い、と言う視点がどこかにあるように感じる。
    明日どのような状況にあるか分からない昨今ですが、このまま平行線が続くと考えている人間は相当鈍いと私は思いますけどね。

    世界同時デモ 一部団体 新型コロナ研究室 URL

    https://coronalabo.com/demo9-18/

  • #7

    カシアス耕作 (金曜日, 10 9月 2021 00:50)

    ① イヤハヤ、本当に驚いた。いつ本格的に読み始めていたかと思えば間違いなくこの「コロナ論」シリーズほど彼に本腰を借りて読んでいることはまず無いのだが、それにこのシリーズへの思いは「好きな世界観で〜」
    とか、そういう類のものじゃない。自分がこの作品を現在自分が抱えている問題に対し、間違いなく必要として、これからも必要とし続けるであろう「現実」を生き抜くための一環として欲し、ここで彼の説く世界観倫理観道徳観こそ、私自身が世界に対し本来的に必要とし、今後成長していく課題として欲しているものだったのだ。だからこそ、現在この国にいてこの本への思い入れを持たずに入れる人とはどうしても違和感や認識の上で距離が生まれてしまう。
    誰もが揺れに揺れていた騒動でただ一人、主旨貫徹してこの問題に対し、一つの答えを出し続けていた。そして、出し続けるであろう男がいた。それが、小林よしのり御大なのである。そう考えると彼は現在この国にいてやはり一つの「カミ」なのだ。自分が今日ここまで彼を「カミ」と思い、必要とする日が来るとは思わなかった。自分にとって、小林よしのりは自分で好んで選んだ物の中で様々な物が天の川のように周りを同じ点で囲まれている物だとしたら、ちょっと他のどの点とも近い距離でいて、大きく遠い渦の中にいる非常に孤立したジャンルの中にいる点だったような気がする。その一つの要因として自分が好きな方達が彼に敬意を称しながらも常に彼を遠ざけた。それは彼が「右翼」と言う正直今日の今日まで私にとってまた、多くの方にとっても非常に曖昧なよく分からない思想的なるものを標榜していた。また、標榜していたからに思えるからであろう。彼の持っている灰汁の強さが一つ抵抗感だったのと、それに+右翼と言う測りきれずにいたものを彼が自称していた。ただ、今回の騒動で彼が「サヨク」「リベラル」と称した人間が主旨欺瞞に満ちた言動を取り続けていたことがこれらの人間に対する私の中での信頼を失墜させ、彼の標榜していた「右翼的なるもの」をじっくり自分の中で腑に落ちるまで突き詰めて考えなければ自然といけなくなった。

  • #6

    カシアス耕作 (水曜日, 08 9月 2021 17:54)

    日本人の従順性と人間本来が持っている欲望のガス抜きの大切さについて、本来、その一翼を担っていた筈の電子メディアの中で生きる人々の増長と照らし合わせて考えたい。
    所謂日本人のオタク気質が何故生まれるかと言えば元来勤勉な性質である日本人が、そのガスを日常で溜め込んでしまい、電子メディアの中で願望成就を願ってしまうようになってしまったことがこのオタクイズムの根本にある。ジャーナリズムの世界と言うものはフィクションの世界でそれを発散させる作り物の世界と違い、大衆が作り物の送り手の表現に対して持っている別の面での鬱憤を晴らす役割も持ち合わせている。だから、この二つがあまりに接近して同調し合ってしまうと、表現の自由は萎縮してしまわざるを得ない。
    かつては太田や松本が徹底的に叩かれ、鍛え抜かれて
    「やったれ! やったれ! 俺らはそんな言葉狩りには絶対に負けへんで!」
    と気張っていた時代がった。ところが太田にしろ、松本にしろジャーナリズムに接近しすぎてしまうとそこで更に、大衆の評価に合わせて更に発言の自由や倫理的な問題について慎重にならざるを得なくなる。たけし的な芸人=文化人時代の重大な落とし穴がここにある。批評家や知識人の舞台に表現者を持ち上げて載せてしまうことが如何に危険なことか、本来は周囲が芸術家の表現の自由を尊重すればする程配慮していかなければならないし、守ろうとする努力をしなけらばならない。
    割りに合わない理由で
    「自粛しろ! 自粛しろ!」
    とジャーナリズムに携わる人間がドヤ顔で発信したら、それに対して
    「何言うとんのや!」
    と反発する力をかつてなら、テレビは持っていた筈なのだ。つまり、局内部にも健全な意味での喧嘩があり、曲がりなりにも両論併記があった。無い。それは幻想だ。と思う気持ちも正直ある。ただ、昔不謹慎だったと言われる放送内容を考えてみればいい。自粛を国民に仰ぐテレビができそうもないことばかりだ。つまり、テレビ内部で働く人間の中に自由を尊ぶ雰囲気があったし、それを害すことを悪と言う倫理があった。見ている人間も反発を覚悟でそれを支持していたからこそ、実生活でもそれを侵されることに対する健全な意味での嫌悪があった。
    フリードリヒニーチェの説く「道徳の系譜学」では道徳の持つ一般的には意外と思われるかも知れない落とし穴が当時のドイツ並びにヨーロッパが置かれていた状況やそこに至るまでの歴史的背景を通して、記されている。曰く
    「英雄はあまりに長生きしすぎた」
    この言葉はタレントの世代交代が上手くいかず、未だにお年寄りを皆で持ち上げて有り難がっている風潮やお年寄りの健康長寿だけを願って、若者や社会全体に過剰な自粛を仰いでしまっている現状と被らせられないだろうか?
    「もう、いいかい?」「まあだだよ」
    の現状が今なのである。
    「もう、いいよ」
    と自由を尊ぶ人々全てが、音をあげるのを待っています。
    ポランスキーが「チャイナタウン」で近親相姦問題を扱った直後にニコルソンの自宅で彼の留守時に幼女を襲ったのは有名な話です。アレだけ作品を通して発散を重ねている人間ですら、その中で埋もれてしまう欲望を抱えている。それくらい人の中に宿る欲望というのは底知れないわけです。
    だから、局にいる人達がどれだけその放送局の中でその欲望を発散しても、公的な場としてやっている以上
    「自粛するべきだ」
    の一点張りじゃダメなんですよね。みんな、玉川さんが最初に出したガスが広がって、そのガスを浴び続けながら我慢してる。玉川ガスを世界中に蔓延させて浴びせ続けている状態なんですよ。これが、国民全体に与えたトラウマは底知れないし、それに我慢出来ないと思っている人がどれだけいるかという事について、本来マスコミの中から外へ出れば彼らも一般人なんだから、その声をしっかり掬い取って取り上げないのは異常事態宣言と言うしかない異常な訳です。マスコミと言うものがいかに狭い世間で生きてるつまらない人間で、世の中を知らず、その世間知らずが国を貶めたか。

  • #5

    カシアス耕作 (月曜日, 30 8月 2021 20:29)

    モハメドアリのドキュメントを観た。愛と闘争の世界を生きたアリの勇姿は今見ても心が震える。
    ハッキリ言おう! ジョンレノンの辿り着いた思想は危険思想であり、非難されて然るものだ。彼の晩年の発言で最も彼の人間的脆弱を表す言葉がある。

    ジョン:マーティンルーサーやマハトマガンジーは非暴力によって暴力に敗れた偉大な人物だ。僕はどうしてもそれが分からない。非暴力が暴力に負けると言うことがどうしても理解出来ないんだ。

    酷い話だ。若き日の喧嘩っ早かった頃の彼。その後も元嫁のシンシアとその間に出来た息子ジュリアンに対する限りなく酷な仕打ち。

    シンシア:ジョンは彼に心を許す人間の誰もを激しく傷つけました。もし、もう一度彼と会った人生と会わなかった人生を選ぶかと聞かれたら「NO!!」と答えるでしょう。

    如何だろうか? 彼は散々若い頃から死ぬまで自分を取り巻く人間を激しく傷つけておきながら
    「非暴力が暴力に負けると言うことがどうしても理解出来ない」
    などと抜かすのだ。これをリベラル左翼の軽薄思想と言わずになんと言えようか? 断罪されて然るべきであり、彼が射殺されたことはYESとは言わないが、思想的に危険なものをこの世に振り撒いたことは確かだ。後年それを更に自分に都合よく利用して「愛と平和のジョンレノン像」を作り上げたオノヨーコはGO TO HELL!! あっかんべ太郎! 地獄へ堕ちろである。ちなみに彼女は日本人でありながら死刑廃止論を唱える極左売国奴でもある。

    マーティンルーサーも同じように間違い。彼もリベラル的左翼であり、極左の有り難がる危険人物だ。目には目を! 歯には歯を! 闘争こそ我が人生。マルコムXであり、モハメドアリが正解である。ちなみに私のHNは彼と彼が闘った相手「ソニーリストン」をビーチボーイズがパロったコント「カシアスラブVSソニーブライアン」からヒントを得ている。

  • #4

    カシアス耕作 (金曜日, 27 8月 2021 20:33)

    活動黎明期。 未だ陽の当たらなかった頃のジャックは、デビュー作での演技がB級映画の帝王ロジャーコーマンの目に止まり、以降彼の低予算映画に多数出演することになります。初めて彼がスクリーン上でその存在感を発揮した作品と言えばやはり、リトルショップオブホラーズでの怪演でしょう。この演技が怖くて受けつけられない人はジャックのコアへの理解は難しいかも......

    リトルショップオブホホラーズより。ジャック演ずるマゾ患者のスケッチ 
    https://www.youtube.com/watch?v=RAli9a8bbys

    ニコルソン曰く
    「気づかない人も多いけど、僕は作品によって声色を毎回微妙に変えているんだ」
    元々ルックスで売れるタイプではないと言うことと、それを跳ね返すための作品への没頭と理解。詳細なキャラクター分析が性格俳優としての彼の方向性を決めたようだ。ある方の分析で「レッドフォードには女性のファンばかりだが、ジャックは男性のファンを多数抱える俳優なのだ」
    この辺の古風なダンディズムがドメスティックな支持層によって成り立つ彼の個性である。

    それ以前「古城の亡霊」と言う今では彼のファンからもケチョンケチョンに貶されることの多い作品で主演を果たしている。「フランケンシュタイン」で有名なポリスカーロフが城主役。監督はコーマンだが、制作補佐として当時無名だったコッポラも関わっている。こうキャストを見てみると相当な実力派が関わっている作品なのだ。百歩譲って駄作でも、凡作ではない。非凡なる駄作。つまり佐藤B作である。私もこの作品の古ぼけた古城に男が入り、怪しげなことが始まると言うスペクタクルに影響されて、小咄を書いた。ちなみに、スティーブンキングの小説家としての出発点は少年時愛好していたB級ムービーの独自の詳細な情景描写の活字化から始まったそうだが、お気に入りの一つにコーマン作品をあげている。おそらくこの作品もその範疇に入るであろう。

    ゴーマンかましてよかですか?

    「私こそ、スタンドバイミーに置けるウィルウィートン演じる文才あふれるオタク気質の小咄男!
    なのでRZ!!」

    Trailer - The Terror (1963)
    https://www.youtube.com/watch?v=N2YRo6dskac

    怪談指南『壱萬三円』
    https://www.youtube.com/watch?v=I472JV2qkfQ

  • #3

    カシアス耕作 (土曜日, 21 8月 2021 05:57)

    初めてジャックニコルソンを意識してみたのは「カッコーの巣の上で」
    但し、それ以前に映画「バットマン」は観ていたし「恋愛小説家」で彼が演じた神経症の中年小説家の症状にも共感を寄せながら見ていた。つまり、彼のネームを意識せず彼の作品にそれ以前も触れていたのだ。どちらかと言うと中年を過ぎてからの作品だったから「カッコーの巣の上で」と同一人物だと数年に渡って気づけないままだった。初期ロジャーコーマンフィルムの一推し俳優として世に出た彼は、スタンリーキューブリックなど、どちらかと言うとそれまで異質だったアカデミック畑の監督まで巻き込んで様々な共演を重ね、後年はジェームズブルックスと言うヒューマンタッチの監督作で、それまでむき出しの情熱の奥に潜んでいたソフトさと官能を併せ持つ演技を見せ、円熟を遂げていく。

    ところで「カッコーの巣の上で」の後、ニコルソンのネームを意識して何作か見たのだが、やはり見てもわからない作品が続いた。その一つが「ファイブイージーピーセズ」
    映画で描かれたテーマやメッセージ自体は時代背景も含め、社会学的に見ることは出来る。ただ、映画は感動が全てとも言える訳で、その面で退屈さや冗長に思える面が多かった。それでも、ニコルソン。瞬間瞬間に人の心に訴えるものを持つ彼が魅せてくれるのだ。

    ゴーマンかまして、よかですか?
    「ニコルソンに駄作あれど、凡作なし!」
    彼の持つ不安定さと不完全さ。これに同質の者として無性にシンパシーを覚えるのだ!

    次の音声作品は私が「ファイブイージーピーセズ」での独白シーンと「カッコーの巣の上で」のタイトル含め折り混ぜ、私的な人生体験を元に自分なりの世界観を提示した作品である。朗読を依頼した方曰く「ひどくエキセントリック」これ以降、朗読者様から私の作風は「スラップスティックと独特のエキセントリック溢れる作風」の評価が定着していく。

    ゴーマンかまして、よかですか?
    「日本のジャックニコルソンとは吾輩のことである!!」

    「らっきょうの巣の上で(朗読者:忍坂けの様)」
    お聞きくだされば幸いである。
    https://www.youtube.com/watch?v=f32BEwh9mXY

  • #2

    カシアス耕作 (火曜日, 17 8月 2021 23:27)

    えーとね、この広い余白いっぱい、何かこう? (森山良子「この広い余白いっぱい」)一つ残さず「ジャックニコルソンとカウンターカルチャー全般について」書こう♪
    ニクソン政権時代、メディアを通して時の権力者に悪態をつきまくっていた彼。かの有名なニクソンブラックリストには後に射殺されるジョンレノン等の他に彼の名前も挙げられていたという。結局ジョンは米政府が洗脳した一市民に射殺されました。が、ジャックも狙われていたし、目をつけられていたし、同じ憂き目になっていた可能性もあった訳です。それを免れたのはジョンの無骨なまでの正直さと圧倒的な大衆性とカリスマ性。これが米政府は怖かった訳です。ジャックはそれに比してあの独特のインチキ臭さと言うかな。潔白を貫きすぎたジョンは糾弾に倒れ、グレイゾーンを強かに持ち合わせていたジャックは生き延びた。

    僕がジャックとの出会いはカッコーの巣の上でだったと綴りましたが、まぁ、あそこに出てくる精神病院で大暴れするジャック演ずるマクマーフィなる人物は映画と出会う数年前。思春期の頃の僕そのものだった。

    ガッコに馴染めず、いじめられ、仲間はずれ。
    不登校から、家族の心配で福祉施設を点々とし続け、その間地元の図書館で様々な音楽、落語、映画。芸術全般に造脂を深める。同時に家にいる時間が長いことで少年時代から続いていた家庭内暴力は酷くなり、ある日受けた父兄からの一方的な暴力に父が塾の仕事に使っていた塾生のためのパソコンを何台も破壊。警察を呼ばれ、一日臭い部屋に入れられた後、罪の軽さからどうしたものかと家族の意見調査により、精神病院に入所。そこで待っていたのは強制的に飲まされる薬地獄と、抵抗すれば保護室。暴れに暴れましたね。映画「14歳のカルテ」そのものだったかも知れません。まぁ、正直やんちゃで可愛く見えたのでしょう。年配の方からも同年齢の方からも可愛がられた記憶があります。私はルックスも悪くなかったですから、モテましたよ(笑)ヤクザにも喧嘩を売りましたし、夜中に入所仲間を院内の外まで誘って「バカやろー!」と怒鳴りあい、看護師が見回りに来ると急いで逃げる。とにかく荒れに荒れていたけど、そのまま養護学校に入って割と大人しくなり、福祉社会で生きる人生が始まりました。

    だから、彼が演じたマクマーフィと精神病院が抱える欺瞞偽善問題には凄く共感するし、理解出来ます。
    とにかく、この映画が彼との出会いでした。それまでジャックに難色を示していた淀川長治さんも見直した! と太鼓判を押したこの映画。スターウォーズでカウンターカルチャーが衰え、サブカルチャー化してヲタ化幼稚化する前の「タクシードライバー」であるとか、荒廃した米国の現実が正直に描かれています。「スターウォーズ」は行き詰まったアメリカが逆ギレした末の活路としての作品だったんですよ。だから、あの映画に追随していった細野さんとか、ティンパンアレイで素晴らしい音楽をやっていたのがYMOになって日本に一つのグローバルモデルを作って売れた結果と言うのは日本オリジナルを捨てて米国に追随し続ける今のコロナ報道禍の現実とも共通している面があるんです。

    狭量・非寛容から生まれる分断。これを解決するにはどれだけ小林さんのような方が正しいことを言っても難しいかも知れない。大事なのは自分だけでも仏の心を皆に示すこと。音楽であり、お笑いであり、そう言ったイデオロギーの壁を超えて人々の心に語りかけるものがある。文化は不要不急どころじゃない! スティービーワンダーのキーオブライフの頭一曲目「ある愛の伝説」の言葉を借りるなら、今こそ音楽を通し、芸術を通し愛の力を皆に伝えなければいけない。

    茶目っ気たっぷりのジャック。ユーモアたっぷりのジャック。毒気とブラックユーモアたっぷりのジャック。スクリーン狭しと大暴れするジャック。その実情愛に溢れたジャック。スクリーン狭しとそんな人間そのものの姿を曝け出し続けたジャックニコルソン。今はボヨボヨの豚と化し、映画自体に情熱がなくなってしまったと語っていることは正直残念だが、いつか彼を主演にしてコロナ報道禍の欺瞞を暴き出す作品を誰か上映して欲しいものだ。

  • #1

    カシアス耕作 (日曜日, 15 8月 2021 18:59)

    ツッ、遂に!!ついに作っていただけましたかあああああ!! なんていうか。なり物入りでゴー宣サイトにコメント残してまだ1ヶ月も経ったかどうかもわからない状態で、気分はデビューして数年でお笑いスター誕生の審査員に上り詰めたタモリの心境です!! カレーせんべいさん、この場を借りてお礼させて頂きます!!

    彼と私は-----なんて、そんな馴れ初めでもないのですが、出会いはカッコーの巣の上でした。ドラッグカルチャーとロボトミー実験と当時アメリカが抱えていた問題を真正面から取り上げたこの作品は見事76年のアカデミー賞を受賞したのだった。その後はスターウォーズですか? アメリカのカルチャーが行き詰まりからある種の逆ギレのようなヲタと幼稚に走った世界に活路を見出していく訳ですが。

    ちょっと出来たてほやほやでまだまとまりがつきませんが、あれこれ語りたいことは山程あります。
    とりあえず私の作品の中から彼について語った動画を添え、後日その動画の内容についても折りに触れ解説していきたいと思います。

    カレーせんべえ様、どうも有難うございました(^^)

    妄想パイロット「ジョンパーカー・インタビュー」再び(朗読:忍坂けの様)
    https://www.youtube.com/watch?v=fVfisCBxGnw