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週刊SPA!2月11・18日号 第73章「慰安婦、儒教の国の女」

慰安婦、儒教の国の女


 

タッチ&ゴー

《収録参加》

シ:シュウ

え:えみりん

た:たっちゃん

カ:カレーせんべい

  

《収録》

2020年2月4日 20時40分~21時15分

 

週刊SPA!2月11・18日号

ゴーマニズム宣言 第73章

 

慰安婦、儒教の国の女 

 

た:SPA!ゴー宣第73章「慰安婦、儒教の国の女」。シュウさんは今週のゴー宣を読んでいかがでしたか?

 

シ:今回は1コマ目から笑えました。よしりん先生が、すごい真っ直ぐな目で「日本国の未来のためだからだ!」と言ってるのに、秘書のみなぼんさんの返しが「先生だって人間だからトシをとれば良いこともするんですね。」と一刀両断()

 

た:よしりん先生とみなぼんさんって、実際にもこういう会話をしているのでしょうか?

 

カ:これは「実話」だと思います。みなぼんさんがよしりん先生に対してビックリするような返しをしたのを、二度ほど目撃したことがあります()

 

た:その時は一体どんな「返し」だったんですか?

 

カ:これはブログでも書いていたと思いますが、よしりん先生が「わしを立ててくれる女性に対して、信頼して、甘えて、強いことを言ったりもするが、でもそれは決して当たり前のことであってはいけないんだよ。」というような内容のことを仰ったんです。するとそれをそばで聴いていた秘書のみなぼんさんが、ユーモアを込めたゆったりとした口調で「自覚しているならばよろしい!」と言ったんです(笑)

 

え:みなぼんさん、おもしろいです()

 

カ:私も面白くて笑いました。だって「秘書が社長に言うセリフではない」ですから()

 

シ:確かにそうですね()

 

カ:それが、咄嗟の掛け合いとして出るということは、よしりん先生とみなぼんさんの信頼関係は、一般的な社長と秘書の関係では測ることができないくらいに強いと感じました。

 

た:それなら漫画で出てきた掛け合いも、きっと実話なんでしょうね()

 

◆◆◆

 

た:えみりんさん、読後感想はいかがでしたか?

 

え:李氏朝鮮時代の男尊女卑というのがすごくて、読んでて腹が立ってきました。こんなにもひどかったんやと衝撃的な内容でした。

 

シ:そうですよね。

 

え:朝鮮の男の人が真っ白の服を着るために、女の人がすごい重労働をしていて、それ以外でも炊事も全部やって、多くの女性が体を壊すほど働きづめになっていたのは、すごい時代やなって思いました。

 

た:そして当時の朝鮮の女の人は【蟄居】をさせられていて「七歳で男女はべつべつになり、女の子は厳しく奥にこもらされて、結婚前は父親と兄弟以外、また結婚後は実家と嫁ぎ先の親族以外、男性にはまったく会えなくなる」んですよね。

 

え:こんな時代に「おびただしい数の朝鮮人女性が、父親または夫によって売春宿に売られたり、あるいは一家を貧困から救うために自ら進んでその道を選んだりしていた」と書いてあって、それは激しい男尊女卑があったからこそ、女の人を使い捨てのような扱いをしていたのかなって思いました。

 

た:「男で生まれるか、女で生まれるか」なんて2分の1の確率だと思うんですけど、たったそれだけのことで、こんなにも違いが出てしまうのかと愕然とします。

 

え:それに「よその男と手が触れただけでも殺されたりする」って、異常やなって思いました。

 

た:異常です。手が触れただけ殺されるなら、必死に避けなあかんてことでしょ(苦笑)

 

え:ただそれも今の価値観では「異常」ということで、この時代の朝鮮の人々には、普通のことだったんでしょうね。

 

シ:そういうことですね。

 

◆◆◆

 

シ:「韓国論」の本筋とは関係ないところですけど、よしりん先生が「他の男には指一本触れてほしくないという気持ちはわからんでもないけどな…」と本音を言い、それにみなぼんさんがキレるっていう表現も面白かったです。

 

カ:それはユーモアでもあるし、かつ欺瞞的ではないということですよね。

 

シ:そして、えみりんさんがおっしゃったように、男が白い服を着るために女性たちが異常なくらい必死で働いてて、男はただそれを着るだけという。それが当然だったんだろうなと感じました。

 

た:李氏朝鮮時代に、男尊女卑の価値観があったっていうことを、左翼の人たちが知ったらどう思うのかなと読みながら考えていました。それを知ってもまだ「韓国無謬論」なんでしょうか?

 

シ:そうですね。

 

た:自分の身近に玉川徹さんみたいな人がいたら、今週のゴー宣作品を読んでもらって感想を教えてほしいなと思うんですけどね。

 

シ:「他の男には指一本触れさせないというくらい大事にしてて、家が傾きだしたら売春宿とかに売ってしまうという極端さ」は凄まじいと思いますよね。

 

た:それは女性を「大事にしている」ではなくて「所有物扱い」ってことですよね。

 

シ:そうですね。

 

カ:ホンマわけが分からんよ。「俺の女に触れた男をしばく」と言うなら分かる。だけどなんで「女が悪い」になってるんだ?あえて言わせてもらうけど、それって「女々しい」よな。

 

た:でもそれが、この時代の、この社会では当たり前のこと、慣習だったわけですよね。誰も疑問を持たないし、「そもそも疑問を持つことができない」というところが根本的な問題ですよね。

 

◆◆◆

 

た:カレーさんは、今週のゴー宣を読んだ感想はいかがでしたか?

 

カ:私は今週のゴー宣を読んで「儒教って一体なんなんだろう?」と興味を持ちました。

 

た:なるほど。

 

カ:大雑把に言いますけど「儒教的な価値観」というのは、私自身、無意識レベルですごく影響を受けていると思っています。

 

た:それはどんなことですか?

 

カ:たとえば最近ホームページのコメント欄に「君子交わり絶ちても悪声出さず」という言葉を引用したことがあったのですが、これってある意味「儒教的な価値観」かなぁと思ったんです。

 

た:それってどういう意味の言葉ですか?

 

カ:要するに「人との交際を断った後で、その人の悪口は絶対に言わない」という価値観ですね。実はその後に続く言葉もあるんですけど・・・まぁそれはともかく、古代チャイナの価値観を、自分の美意識として取り入れてしまっているところは沢山あると自覚しているんです。

 

た:「論語」とかもそうですよね。

 

カ:正直私は「論語と儒教の違い」を理解していません。だけど、今週のゴー宣で紹介された李氏朝鮮時代の男尊女卑に対しては、やっぱり嫌悪感を覚えるんです。これも儒教の朱子学なんですよね?そうなると「儒教」を一度勉強してみたいと思いました。

 

シ:儒教の教義というより、社会の中で色んな慣習と混ざり合った結果として伝統になったのかなとは思います。たとえば今のキリスト教の原理主義者の考えだって、キリスト教の本来の教義からはかけ離れてると思うし。時の権力者の都合も含めて、いろんな事情とか混ざり合った結果じゃないかなと思っています。

 

◆◆◆

 

カ:だけど、李氏朝鮮時代の男尊女卑は、現代の日本の男尊女卑と共通する部分はあると感じました。特に「男系派」の振る舞いや考え方は、李氏朝鮮時代の男尊女卑にそっくりだと思います!

 

シ:なるほど。

 

カ:私は一つ問題提起をしたいです。現在、男女同権と言ったって「結婚したら、9割以上が男の名字を名乗る」わけじゃないですか?本来、どちらの名字にするかなんて選べるのだから、50%50%にならないとオカシイはずですよね?ところが「9割以上が男性の名字を選択している」ということは、現代の日本人も、無意識レベルで儒教の影響があるんじゃないでしょうか?

 

た:うーーん。

 

カ:もっと言えば「女系公認論」の人ですら、9割以上が結婚後に男性の姓を選択しているんじゃないでしょうか?これは知り合いに聞いて回って調査すればすぐに分かることだと思います。その感覚や慣習というのは一体どこから来ているのかと言ったら、やっぱり儒教の影響じゃないかなと僕は予想するわけです。

 

た:カレーさんが結婚したときは、名字はどうするのかって、話し合われたんですか?

 

カ:話し合いなんてほとんどしてないです。当たり前に「男側の名字を名乗る」ということでした。僕の周りの人だってそうですよ。女の人の名字を名乗ってる人なんてほとんどいないし、いたとしても、婿養子として奥さんの家の財産を継ぐ人ぐらいでしたね。

 

た:日本人は「仲間外れにされたくない」と思う傾向があるじゃないですか。だから僕は、仲間外れにされたくないってくらいの気持ちで男側の名字にしたいと軽く考えていたんですけど・・・。

 

カ:その「仲間外れ」ってやつが「慣習」から来ているわけですよね?結局、李氏朝鮮時代の男尊女卑の感覚も「慣習」から来てるんじゃないかなと思うわけです。

 

た:いやでも「500年にわたった李氏朝鮮は、成立後まもなく儒教の中でも最も原理主義的な朱子学を国教とし、仏教その他一切の宗教を禁じた。」ってあるじゃないですか。だからそれ以外の価値観は政策として全部禁止してるわけですよね。

 

カ:あ。なるほど、そうだったのか。

 

た:そのような国策が無かったとしたら、もうちょっと違う社会になっていたんではないでしょうか?

 

シ:やっぱり、上の人に都合がいいようにできていると思いますけどね。

 

た:上下関係が絶対って感じですね。

 

シ:権力者に都合がいいからこそ国策にしてるんかなって思うんですけど。

 

カ:日本の「封建制」とはどう違うのかなぁ。「殿様と侍」ではなく「王と奴隷」という気がします。

 

◆◆◆

 

た:朝鮮の女性がイザベラバードに「女性が自由に外出できる西洋の慣習についてどう思うか」と質問されて、朝鮮の女性が「あなた方はご主人からあまり大切にされてないと思う。」と答えたエピソード。これなんかは「洗脳されてる」とすら思いますよね。ちなみに、えみりんさんは、このエピソードについてどう思われましたか?

 

え:今でいったら束縛されてるという感じなんかなあ。例えば自由に外に遊びに行ったりしてはいけないとか、そんなことをいちいち言われたら嫌です。

 

た:そりゃそうですよね。

 

え:「束縛されて、すごく愛されてるわ」っていうふうには思えないです。私なら「信用されてない」と感じます。

 

シ:僕は「進撃の巨人」を思い出しました。人類が壁の中に閉じ込められていて「この壁が私たちを守ってくれている。壁の中からは出てはいけない。」と思うわけです。

 

カ:その話を聞くと、私はどうしても『日米同盟と憲法9条』を連想してしまいます。

 

シ:なるほど。

 

カ:アメリカに守られてる今の現状が自由なんだ、平和なんだ、愛されているんだ、という今の日本人の感覚。それはやっぱり「奴隷」なんです。その状況は「飼われている」としか思えないです。

 

た:だけど今の日本だったら、日本人がその気になれば奴隷から抜け出せるはずなんですよね。一方、当時の朝鮮は、朱子学以外の宗教や価値観が全部禁止されているわけだから、そもそも自分が奴隷であると気付くことが難しいかなとは思いますね。

 

◆◆◆

 

カ:今回の作品で述べられている「歴史は現在の日本の価値観で見たら決して理解できない。現代の常識と過去の常識とはあまりに違う。外国ならもっと日本と違う常識が浸透していたりする。」という言葉、これは肝に銘じないといけないですね。

 

た:もし自分が朝鮮の女性の立場だったら、もっと自由が欲しいと抵抗したと言いたくなるんですけど、だけど実際にその時代にその立場でいたら、そんな考えは持ちもしないのだと思います。

 

カ:そういえば、韓国は夫婦別姓の国らしいですが、それはけして「男女同権」という意味合いではなくて、女の人は結婚しても家族の中では他人であり、ファミリーネームは名乗らせてもらえないから、と聞いたことがあります。

 

た:今の韓国でも、そういう儒教的な感覚が根強く残っているということでしょうかね?

 

カ:たぶんそうだと思います。

 

た:さすがに「よその男に指一本でも触れたら死ぬ」は無いですよね。

 

シ:さすがに無いでしょう()

 

カ:韓国では女性が大統領になったことがありますしね。日本やアメリカでは一度も無いですから。

 

◆◆◆

 

た:今回の「韓国論」を読んで、儒教の朱子学というのが重要なキーワードになる気がしました。

 

カ:以前のタッチ&ゴー宣で、シュウさんと「朝鮮の人が髷を切ることを強制されて反乱を起こした感覚が分からない」と話したじゃないですか?

 

シ:朝鮮の庶民が、髷を切ることになった途端に反発しだして、それで国が潰れるくらいの勢いになった。だから当時の朝鮮人は、慣習みたいなものにすごく拘る人たちなんだろうなと思いました。

 

カ:それは、アラブ社会における「ブルカ」とは、どう違うのでしょうか?

 

た:伝統と因習は紙一重ということですか?

 

カ:「ブルカ」が男尊女卑の因習だと言って、アメリカの空爆を正当化していた保守派がいました。私はブルカは「伝統」だと思っていました。ただもし仮に因習だったとしても、それを理由に外国が空爆すんなよって話ですけどね。

 

た:イスラム圏では慰安婦とかいるのでしょうか?

 

シ:えー。なんかダメそう。

 

カ:ダメそうやね。いくら男尊女卑だろうと、宗教的にダメやろうね。

 

シ:一夫多妻でも、売春はダメでしょうね。

 

カ:私は勉強不足なんですが、「李氏朝鮮の男尊女卑」とイスラム原理主義ってなんか似ていると感覚的に思ってしまいます。

 

シ:「姦通罪」がある国もありますよね。

 

カ:「名誉殺人」が慣習として続いている国だって、まだあるんでしょう?

 

た:他の男性と交際したら身内が殺すという点では、確かに今週のゴー宣で出てきた朝鮮の男尊女卑と似てますね。

 



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